見出し画像

竹美映画評72 私達の煉獄『ハスラーズ』("Hustlers"、2019年、アメリカ)

今朝、このツイートを見て、これ『ハスラーズ』と同じだ!と思って本作を観ることにしました。監督は女性で ローリーン・スカファリア、主演は『クレイジーリッチ!』のコンスタンス・ウー、共演はジェニファー・ロペス、『NOPE』キキ・パーマー、ジュリア・スタイルズなど。

お話

時は2007年、NYでダンサーをやっているデスティニー/ドロシー(コンスタンス・ウー)はお金に困っていた。彼女は、新しく雇われた高級ストリップクラブでトップダンサーのラモーナ(ジェニファー・ロペス)に出会う。直ぐに意気投合した二人は協力し合い、売り上げを伸ばしていく。そこへ2008年のリーマンショックが起こり、仕事はなくなり皆は別々の人生を歩み始めた。2011年、「このままではお金が足りない」と考えたラモーナは、昔の馴染み客を呼び出し、ドラッグで眠らせクレジットカードを使って高額のお金をだまし取ることを思いつく。荒稼ぎをし、乗りに乗る仲間たちだったが、幸運は長くは続かなかった。

犯罪者の描き方が正反対!

前に『パーフェクト・ケア』を観たときに本作がどうも気になっていた。でも観ないで草するのもかっこ悪いし、と思って観てみたら、意外や意外、好きな映画だったし映画館で観たらよかったなと思った。とは言え…

『パーフェクト・ケア』も本作も、お金持ちからお金搾り取って何が悪いのよ!ここまでしなきゃ生きられない世界が悪いんだ…という一つの物語(虚構といってもいい)を積極的に生きる女性たちを描いている。でも、力点が全く違っている。前者が、二人のレズビアンカップルを描きながら全く共感できないように作られていたのと反対に、本作は、女性同士の友情に焦点を当てることで「弱者はいつでも正義を体現しているわけじゃない」というポイントを誤魔化しているように思える。

更に、非当事者の「アライ」の表象も出ている。事件後彼女達を取材に来たエリザベス(ジュリア・スタイルズ)という記者が「あんな男達はああいう目に遭って当然だと思う」と言ったところが何とも嘘っぽい。あの態度こそ、ネット上で人を非難して追い詰める我々のアライ的な心理そのものだ。彼女は中流の何不自由なく育った女性だということで、作中デスティニーから責められて何も言えなくされているシーンが効いているのである。「弱み」を握られるのだ。我々観客も一緒に。あのように苦労して育ってきた人達(当事者)以外の非当事者は一種の罪悪感を持たねばならない。出身成分が悪いのだ。この点は如何にも今の時代をよく表していると思う。またそれを、立身出世を体現したジェニファー・ロペスがプロデュースしてしまうのも何とも言えない。

騙される方が悪いのよ!

どうせ酔っぱらってそこらへんに使うだけのお金なんだから、私達がもらって何が悪いんだってセリフがあり、私も納得するところがあった。実はインドに来る少し前…私は、ある場所(二丁目じゃないよ。二丁目はそういう場所じゃない)に呑みに行き、翌朝気が付いたら、どうしてか分からないが、気が付いたら信じがたい金額のお金をそこで使っていたことが分かった。詳細は書かないが、あちらさんとしてはいいカモだっただろう。私は飲んでちょっと楽しく過ごしたかった(私は東京にいた頃、飲み屋依存症だった)のだろう、はたと気が付いて金額を観てぞっとしたが、その割には手加減してくれたんじゃないかとも思った。私が警察行ったらあの人たちも面倒だっただろうし。私は騙されたとも言えるし、自業自得とも思っており、あの頃は引っ越しや片付けに失敗してお金がドカッと出たことでひどく落ち込んで荒れていたが、なんとまあ、またお金を失ってしまい、失意のどん底に落ちた。それもまあ、私というダメな人間の総決算だったのだからいいのだ。そしてあのお金で、あの人たちの親族にいい服でも着せられたんだって思うことにしている。

…ってさ、ふざけんなよwww

つまり私のああいう体験を映画にしたあげく「騙された方が悪いのよ」って言っただけじゃなく、シスターフッドで消費したわけよね。「悪い人からお金取ってる」って虚構だからね。さすがに映画としてもバランスを取るためにだろうか、本当に不幸でお金も無い(あのときの私みたいだなwうける)男を不幸のどん底に落とし込んで、その件でデスティニーは罪悪感を抱き、ラモーナと喧嘩してしまう。でもそれも…結局は「全ての母親は血迷っているんだ」というようなところで二人は心底分かり合って別れたことが示される。そこの演技はとてもよくてジェニファー・ロペスさすがと思ったが、一方で演技のよさで誤魔化そうとしているようにも思った。

MeTooの逆バージョン?

まあね、騙される方が悪いのよ結局。うまく立ち回れない人が失敗して文句言っても聞く耳持つな。そういう風に考えることが、グローバル化時代のニュー・ノーマルなのかもしれないけど、それってMeToo時代に、女性同士の絆を描きながら映画が言うべきことなのか。騙されて搾取された女性に同じことは言えまい。取り上げるのがお金だったらいいってことでもないよね。

彼女達は、見た目が美しく、それがお金に換えられる立場に立っている。それは楽して稼いでいるということではなく、どの仕事だって必死にやらなければ追い抜かれるし、まして究極の個人事業で体が資本。稼いで頑張っているのは同じなんだという前提での話になるけど、適材適所しているんだよね。彼女達は。

必死で(人から搾取しながら)稼いだ金できらきらしたものを手に入れたかったわけで、別に慈善事業がやりたかったわけじゃないし、つましい暮らしがしたいのでもない。何ていうか、頑張った先のゴールというのがでっかいんだよね。さすがアメリカ、ニューヨーク!!!「できるだけ荒稼ぎして、足を洗って娘と幸せに(豊かに)暮らすのよ」だなんて、何かが歪んでいるのを、デスティニーはずっと気にしていた。そういう人を主人公にしたのもよかったと思う。本作の良心って彼女だけだもん。同時代のホラー映画が、Z世代がそういう浅はかな夢を見てしっぺ返しに遭う様子をいっぱい描いて来た(代表作『ドント・ブリーズ』『カム・ガール』『NO EXIT ノー・イグジット』等)ことを考えると、やっぱりそういうのは現実的にも上手くいかないんだなって分かる。本作は「荒稼ぎして貧乏人からお金をむしり取った悪い金持ち男どもからお金かすめ取って復讐するのだ」という義賊物語を生きようとして失敗したお話なのだと思う。復讐するだけなら、『ザ・グローリー』のように、綿密に相手を破滅させ、自分も一緒に堕ちていくくらいの覚悟は必要なのだろう。要は、より手っ取り早く(しつこいけど楽してるとは言わない)大金を手に入れるというところに、「復讐」という嘘の物語を振りかけているラモーナの無自覚さが共感できないところなんだな。これは『パーフェクト・ケア』も同じ。

最近流行の「私達は家族よ」って殺し文句が出て来たけど参った。ラモーナだってデスティニーが「この子は売れる!」とピンときた上、ウマが合ったからこそ絆が出来上がって行ったのであって、それはビジネスパートナーとしての友情でしょう。からっとしているんだね。多分男性のじめっとした友情とはちょっと違うんだな。そこはよく出ていた。

でもビジネスに家族ごっこを入れてしまい、高価なプレゼントをして、神様にお祈りまでしてしまった。まさにアメリカ的美徳が欲しいんだね。それがなにがしかを埋めてくれるはずだと期待している。そこにもののあはれがあった。ラモーナの若いころの武勇伝も、あなたそれMeTooの時代にそれ言っちゃうんだ…と結構びっくりした。でもいいんだろう。自分の意思でやったことだからね。

こんなにもこんなにも苦しい時代に、そうやって生き抜いて何が悪いんだって開き直ることが必要なんだろうね。日本人もだんだんそうなって来ると思う。冒頭のツイートの母親のやったことだって、ラモーナやデスティニーのやったことと同じ。子育てからも逃げないし、それなりの快適さを得られないなんてまっぴらごめんだって正直さがある。そこに不幸な背景を描き込んで被害者性を投影したら…全く同じ物語が出来上がると思うよ。

でも、「騙される方が悪いんだ」っていう考え方をする人が本当に心を許せる人は共犯者だけ。そこはその人が背負うのだろうし、ラストもそういう風に描いていた。だがそれは、ギャングが家族を大事にするのと何か違うんだろうか。

この世でその人を苦しめ搾取して来た側に自分たちもなりたいという正直な欲望を、非当事者に認めさせた物語。世の中の仕組みが変わったらいいのにと言っている映画ではない。非常にシビアでリアリスティックだ。浅はかで哀しい我々の煉獄はこれからも続いていくのであろう。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?