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幼少期は虐待地獄①
どうも武丸隊長です♬
21日連続投稿中☆(^^;
(昨日の20日目は日付オーバーしましたが、深夜0時過ぎても投稿はしたのでそのまま連続投稿カウントw)
さて、今日はちょっと過激な話をしていきたいと思います。
筆者の幼少期 (民間自衛隊の様な生活) の事を書いて行きますね。
って、誰が聞きたいねん❗️笑
って感じですが、まぁまぁスパルタ教育をされたので、
今までの出来事はもしかしたら、
少しは誰かの役に立つ様な、
自分はまだマシだな頑張ろうって、
思える様なお話が出来るかもしれません!
なので、すこーしだけでも気になったら読んでみて下さいね!(^^;;
5人家族の末っ子
父親は大工、母親は専業主婦のどこにでもいる、ごく普通な家庭へ、筆者が生まれたのは1986年の事でした。 (早生まれなので37歳と同じ年です)
もう30年以上も前の話に遡ります。
4つ上の兄貴と1つ上の兄貴と筆者の三兄弟。
父親は人面が良い二重人格者で、家庭と外出先での顔が二つありました。
幼少期はよく母親や兄貴が殴られているのを今でも覚えています。
家族5人で楽しく過ごした記憶よりも暴力の記憶の方が鮮明ですね。
覚えている楽しい思い出は5歳ぐらいの時に一つ、二つ。
家族5人でミカン狩りに行った写真と海で遊んだ事ぐらいか。
父親はとても几帳面で、仕事も完璧にこなすし、洗濯物も綺麗にたたまないと気が済まない、とにかく真面目な完璧主義人間でした。
その影響もあり、自分の思い通りにいかないと起伏が激しくなるタイプ。
車を締めるドアの音、ご飯食べる時にグラスを置く音、食器を洗う時に手が滑って食器を落とす音。特に音に対してはとても敏感で、家族全員注意しながら生活してましたね。
※こっから先はとても過激な内容になっていきますので、苦手な方は読まずに離脱していって下さい。
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小学2年生の頃に両親が離婚
筆者が低学年 (おそらく2年生)の頃、母親が馬乗りになって殴られている映像は今でも鮮明に覚えています。
顔には青アザが出来、一つ上の兄貴と二人で『お父さん、もうやめてよ!!』と止めに入っても、二人とも飛ばされる程、その当時の父親は肉体的にも全盛期・・・。
小さいからだの幼い兄弟では止めれる訳もなく、殴られて顔が腫れ、血だらけになっている母親を、一定距離を取りながら、大声で泣きながら見る。
まさに父親が鬼に見えた瞬間でしたね。
また、別日には筆者ら子供らが殴られているのを母親が止めに入り、筆者らを守る為に体を張って殴られている日も何度かありました。
ただのゲス野郎ですよ、本気で。
それから程なくして、離婚したのを知りました。
荷物をまとめて、出ていく長男と母親の足を何度も止め、泣きながら見えなくなるまで手を振り、一日中泣いてた日も鮮明に覚えています。(ノД`)・゜・。
あの日を思い出すと今でも涙がこぼれそうになります。
実は筆者が5歳ぐらいの時にも一度離婚してたのらしいですが、父親が母親の実家に再度やり直すべく、母親の父も居る前で、泣きながら土下座しにきてたそう。
しかし、再婚後も父親のDVは収まらず、二度目の離婚だったようです。
こっからが筆者の生き地獄の日々の始まりでした。
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父親と一つ上の兄貴と筆者の男3人の生活がスタート
一番上の兄貴(長男)にはどちらと一緒に住むか選択させ、母親を選び、
筆者と一つ上の兄貴に選択肢は無く、なかば強制的に父親と暮らす事になりました。
あの時は何故、母親は自分らを置いて行ったのだろうと考えてましたが、母親は仕事をしてませんし、今思えば親権問題的には不利ですよね。しかし、そんなのどうでもよくて、本気で子供を守りたいと思うなら、虐待の事は絶対、行政に話して意地でもどうにかして守って欲しかった・・・(´;ω;`)
門限は16時半。超えたら殴られる。
1分でも超えたら、虐待確定でした。
父親の帰りは平日は仕事に行くので、帰りは18時過ぎになる事が多かったのですが、
ある日、兄貴と放課後遊び過ぎて、16時半過ぎに帰宅したら、たまたま自宅前に父親の車が止まっている時があって、二人とも顔面蒼白。
それから家の中には入れず、言い訳を考えるも浮かばず、2軒隣の塀の前で2時間ぐらい立ち尽くしていると近所の方が『どうしたの?大丈夫?』と声をかけてくる始末。。
さすがにこのままじゃマズイと、意を決して帰ったら、案の定2人ともボコボコにされたのは言うまでもなく。。
以前も5分だけ門限オーバーした時にたまたま父親が家に居て、殴られたのを覚えてたので、もし早めに帰ってたとしても結果は同じだったでしょうが。
なので中学校の時はホームルームが16時10分からの時は門限に間に合わないので、担任に事情を話し、1人だけ帰して貰ってました。
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家事を怠れば殴られる。
小学校2年生から、授業の教科とは別に、家では家事が必須科目になりました。
洗濯機は当時は洗濯と脱水が分かれている2層式のもので、まずは洗濯し終わったら、一旦たらいに全部だして、綺麗に泡等を流水で落とし、
絞って脱水機にかける→ 干す → たたむ。
ここまででワンセット。
もし、やらなかったら、なぜやってないのか問われ、どんな理由を話しても言い訳するなと殴られるのがオチでした。
車のドアを閉める音で内側の太ももを強く捻られたり、
食事中のグラスを置く音でいきなり見えないとこから拳が飛んでくる。
基本、何故殴られるのか理由が分からないけど殴られ続ける日常なんですよ。え?これだけで殴られないといけないの?って感じでした。
家事は兄貴と二人である程度こなし、掃除機、食器洗い、お米炊きはほぼ毎日の様に行い、特に庭の草刈りが一番大変な作業でしたね。
当時の家はトタン屋根の古い借家で、庭が結構広く、150坪程はあった為、草刈りは極力こまめにやってました。
土日は父親も一緒に3人で、朝から夕方まで一日中草刈りで終わる事も。
家事に加えて、動物をとにかくたくさん飼ってましたので、その世話も同時にこなしていました。
(小さい順に数えると、クワガタ、ハムスター、ミドリガメ、スッポン、ヤマバト、鶏、ウサギ、犬10匹・・・)
動物は今でもとてもスキです。僕らの遊び相手だったし、いつも癒してくれるよき仲間でした。
ご飯は大体父親が作ってくれました。
悪くは無かったと思いますが、簡単な料理が多かったですね。
缶詰をアレンジしたものや、レタスとシーチキンをご飯に乗せ醤油とマヨネーズで食べたり😅←これはでもウマくて、今でもたまに食べたりしますw
日に日に上手になって、おばあちゃんによく電話して、いろんな料理方法は聞いて作ったりしてましたので、父親なりにそこは頑張ったのでしょう。
仮にまずくても美味しいと言わないと、明日から飯食うなと罵声が飛び、父親が家の中に居る時は常にびくびくしながら生活し、心が休まる日は無かった様な気がします。
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一日おきに殴られる日々
例えば今日筆者が殴られる日なら、
その日は兄貴は可愛がられ、
明日兄貴が殴られたら、
筆者が可愛がられ・・・
もうね。
訳が分からないんですよ、毎日が。
とにかく365日、父親の顔色を窺いながら、父親がギャグを言えば、
全然面白くもないのに、ケラケラ笑うフリをし、
父親の理屈や考え、意見を聞かされ、
そう思わないかと言われれば、
そう思ってなくても首を縦に振り、
力強く頷いて、全てを肯定する。
完全なイエスマン状態。逆らったら罰。
まさしく軍隊、独裁国家がそこにはありました。
自分はそう思わないなんて言ったら必殺ボコボコの刑ですから、
小学生の筆者らに選択肢は無いんですよ。
殴られる時は大体八当たりか…
行き過ぎた暴力は何度もあり、命の危険を感じた事ももちろんあります。
朝起きたら、父親が仕事行く前に兄弟で起こしあい、急いで準備をして、父親が起きて仕事に行く前に学校に行くのが日課でした。
なぜか。
朝は特に期限が悪く、理不尽な事で殴られるのを知っているから。
ある日、いつも通りに朝早起きして、準備をしていて、食べ終わったご飯のお皿を流し台に置く時に滑らせて大きな音が鳴った瞬間、『ヤバイ!』そう思った数秒後には台所に寝起きで走って来て、筆者に馬乗りになって、何十発もなぐられ、顔面アザだらけに。。
最後は意識飛びかけて『あっ死ぬんかな』と脱力して、グッタリ。
それにビビった父親が大丈夫か?と声かけて起こされた事も覚えてます。
それから、父親は隠蔽の為、学校に電話し
『うちの〇〇は風邪で休ませます』といい、
筆者にはアザが無くなる迄、外に出るなと、外出禁止令が出されました。
その日休んだせいで、皆出席は無くなりました。
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中々濃ゆいですよね〜(;´д`)
続きがあるんですが、
今日は一旦ここまでにして、
明日この続きを書いていきますね。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。m(._.)m
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