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忘れてしまってもいいよね

■忘れてしまったこと

「あっ、そういえば、さっき何かを思い出したんだけれど、なんだっけ?」ということがたまにあります。
そのイメージだけが残って、具体的なことは思い出せないまま。
その後、少し切なくなるといった感じ。

それでも、
「忘れてしまったこと」って記憶にも残ってないし、
それはもう思い出せないまま。
「忘れてしまったこと」ってたぶん、もう覚えていることよりも何倍も、何十倍、何万倍もあるのだろうと思います。

例えば、
何十年も前の旅先で親切に路を教えてくれた人
会社の帰り道「かわいいな」と思った猫のこと
小学校の時、隣の子と一回だけ話した時のこと

もう、「親切な人」や「猫」や「何気ない会話」を、
ささやかすぎて思い出すこともできない。
そんな膨大な「忘れてしまったこと」が僕の頭の中にはある。

■人は忘れられたくない

そして、人は、
誰かのその「膨大な忘れてしまったこと」の中に自分は入りたくない、とも思ってしまう。やっぱり、誰かに覚えていてほしいし、
誰かの忘れられない思い出の中にいたいなと思うものです。

■忘れたり、忘れられたり、それが豊かさを生む

でも、最近は、
誰かの「忘れてしまったことの中」に入ってもいいのかな、
と思ったりもします。

普通に生活をしていて「忘れてしまうこと」は忘れてしまえばいい。
脳が上手い具合に取捨選択してくれて、
それぞれが良い案配で忘れたり、忘れられたり。

無理にデジタルデータなんかに頼らずに、もっと「忘れてしまうこと」を
自然に任せていいのかなと最近は思います。

寂しいんだけど、その寂しさがあっていいよね。
生きてるんだもんね。
その寂しさが豊かさを生むとも思うのです。