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たけぶん滞在記

私が「たけし文化センター連尺町」(浜松市、以下たけぶん)に着いたのは、9月上旬で、外にいるとうなだれてしまうほどの猛暑日が続くころだった。
たけぶんは浜松駅からすぐそばの、「まちなか」にある。
浜松市に初めて来た私も、グーグルマップを頼りにして10分程度で迷わず到着できた。それでも、昼過ぎの浜松は暑かった。額にも背中にも汗をぐっしょりかいてしまった。


「たけぶん」は、重度の知的障害など、さまざまな障害のある人が過ごす障害者施設「アルス・ノヴァ」と、音楽スタジオ、シェアハウス・ゲストハウスなどが併設された複合ビルだ。「アルス・ノヴァ」の支援はアートや音楽を取り入れているのが特徴で、障害者たちが「ありのままに」いられる居場所をつくっている。運営するのは同市の認定NPO法人のクリエイティブサポートレッツ(以下、レッツ)。理事長の久保田翠さんが、重度知的障害がある長男壮(たけし)君(24)の居場所をつくろうと2000年に法人を立ち上げた。
ただ、この「たけぶん」、一風変わっている。
3階建てで、1階と2階は生活介護、日中一時支援の事業所「アルスノヴァ」、3階はたけし君のような重度の知的障害がある人たちが、親元を離れ、「自立」のために、ヘルパーの介助を受けながら暮らすシェアハウスになっている。このシェアハウスには観光客が泊まることのできるゲストルームが一部屋併設されていて、私はここに約1カ月間、シェアメイトとして泊まり込むことになっていた。


たけぶんでは、インターネットで調べておいた事前情報に違わず、みんながありのままに過ごしていた。1階のフリースペースにはふぞろいな形の机といす、これまでのプロジェクトで制作した冊子がつまった段ボールがと並ぶ。壁には無数のチラシや利用者が書いたのであろう絵、利用者の写真などがびっしりと貼られている。雑多で無秩序だが、不思議な統一感があった。そこでは、利用者が介助を受けながら食事していたり、大男がアザラシかのように寝ていたり、坊主の青年が聞き取れない言葉をシャウトしていたりしている。2階はピアノやドラム、キーボードなど無数の楽器が置かれた「音楽部屋」では、例の、あのたけし君が歩き回って手をたたいていた。おのおの、自由にそこにいた。


久保田理事長の娘で、たけし君の姉で、レッツのスタッフで、そして、私の大学時代の友人である瑛(あき)ちゃんと、施設利用者の「かわちゃん」という男性(最初スタッフかと思った)に、施設を一通り案内してもらう。鍵をもらい、3階のゲストルームに荷物を置き、私は再び1階のフリースペースへ戻った。

ここで私は、超、まじで、うそみたいに、情けないほど、面食らう。
やることがない。

パソコンとにらめっこしているスタッフらしき人もいるのだが、正直見ただけでは誰がスタッフで誰が利用者かも分からない。スタッフと利用者の境界線はあいまいだが、私以外はみんなここにいる理由があり、何かをしているように見受けられた。所在なさげに、壁に貼られた絵やチラシを見つめた。人見知りがやりがちな「その辺の文字を読む」という行為を炸裂する始末であった。せっかく大汗が引いたところだというのに、私は再び汗をかき始めていた。


困惑が隠しきれず「何をすればいい?」と問う私に、瑛ちゃんが優しく言う。
「そこにいてくれるだけでいいよ」

私は、心の中で「ええ、どうやって」とぐずった。


ここで、自己紹介をさせていただくと、私は新卒で入社した会社に5年半勤めている会社員女性(27)だ。(勘違い甚だしいのですけど)仕事にいっちょまえに慣れた気分になり、このまま同じ会社で同じことをしていていいのかな、という普遍的な悩みを抱えた。まじで、そこら辺にいるサラリーマンなのだが、この夏に思い立って、半年間の休職を申し出た。身の上話を続けてもしょうがないのでサックリいくが、20代後半らしく新しいことに挑戦してみたい、という漠然とした思いを抱えた。かねてから興味があった福祉の現場に片足つっこんでみたくなり、友人の瑛ちゃんを頼ってここに来た。

サラリーマンでいるときは、私はとにかく「役割」を考えた。
今、自分がやるべきことを考えて動くから、組織に居場所が見つけられると心のどっかで思っていた。与えられた仕事をこなすことにヒーヒーハーハーしても、ゲームをクリアするような快感も覚えていた。私は「する」ことを、常に探していた。

でも、私はたけぶんに来て「する」ことが見つけられない。
これが結構つらい。なんせ、役割が居場所につながると思っていた人間である。
「居るだけでいい」なんて、いや何それマジですか、みたいな気分になるのは避けられない。


あまりに手持ち無沙汰だったので、私は瑛ちゃんにもらったローカルアクティビストの小松理虔さんによるたけぶん滞在記「ただ、そこにいる人たち」というタイトルの報告書に手を伸ばした。


ここで気付く。「え?ひょっとしてみんなもいるだけなの?」という事実に。


同書から引用させていただく。
―障害者施設というからには、何かを作ったり、何かを学んだり、何かのカリキュラムをしたりしているのではないかと思っていた。ところが違った。この施設にあるのは「ただ、そこにいる」だけだった。職員も、ただ、そこにいる(ことを支える)のである。つまりそれで支援が成立するということだ。~中略~ ということはつまり、みんなここに来るまで
「ただ、そこにいる」ことすらできなかった、ということだ。


私は再び面食らう。
一応言っておくと、障害のある人もそうでない人も、ありのままの存在が認められる世界こそ美しいと信じる心は私にもあるわけだ。しかし、「役割がないと居場所がない」との思い込みこそが、回り回って、彼らを「いられなく」していったのではないか、と、はっとした。実際、利用者には他の施設や作業所では「いられなかった」人たちがいた。働いてみるたびに入院をし、5、6回の入院を繰り返し、レッツに来てようやく状態が落ち着いたのだという精神障害の方もいた。


私は、たけぶんの利用者がおのおの何かしているように見受けられたと前述した。
これもきっと間違いだ。

彼らにとっての「いる」作法がそれぞれだったのだ。部屋の端から端を歩いてみたり、耳を塞いだり、手をバチンとたたいて見たり。私にはこれらを何かしているといったが、その表現はもしかしたら不適当で、それらは彼らにとって、「いる」ために必要な動作なのかもしれない。そういったふつうじゃない動作は時に「問題行動」とされる。ふつうを迫られると、彼らはパニックになり、いるのが難しくなってしまうのではないだろうか。

ここのスタッフはそんな彼らの自由すぎる作法を見守ったり、見なかったり、声を掛けたり、体に触れたりして彼らと共存していた。「いる」ことを支える。できることや、することがなくたって、「いたいように、いればいい」という空間をつくりあげる。手をたたいてシャウトすることに意味はない、それはそのままでいいのだ。


ここで、私は私の身の振り方について熟考する。
私は、このたけぶん内において、スタッフやヘルパーといった支援ポジションではない。1、2階の事業所アルスノヴァにいるときは、私は「見学者」であり、3階のシェアハウスにいるときは、たけし君たち重度知的障害の入居者たちの「同居人」である。このポジショニング、結構大事なのかもしれない。言うまでもなく、障害者も地域や社会の一員だ。ということは、彼らが「いる」ことを肯定し、共存するのは、私のような福祉施設の外側にいる人間にだって求められていることだ。「よっしゃ、私もただ一緒に居たろうやないけ」と、そう思い至った。私の1カ月のたけぶん生活が幕を切った。

実はこのエッセーを書いている時点で、私はすでにたけぶんに滞在して1週間以上が過ぎている。先に白状しておくが、息巻いてはみたものの、私は「いっしょに、いる」だけなのがちょっとしんどかった。彼らの「いる」を支えるスタッフは、とはいえスタッフなので、トイレや食事などの生活介助や家族との面談などの仕事もこなしている。一方で私は本当に、「いる」だけ。シェアハウスにいても生活介助はヘルパーの仕事なので、私はその領域に踏み込まない。
すると私は、どうしても「する」ことを探してしまう。利用者の人、よだれ垂れているけど拭いた方がいいかな、とか、お水ほしそうだなとか、何かした方がいいかなと思う。利用者の隣に座っているだけでは手持ち無沙汰で、本とか読んでしまう。たけぶんから離れて、近くのスタバにコーヒーを飲みにいったりしてしまう。一緒にいるだけでいいのは、何もやらないのは実際つらい。滞在中、臨床心理士の東畑開人さんがデイケアでの体験を綴った「居るのはつらいよ」(医学書院)を読んで、共感のあまりぶんぶん頭を上下に振ってしまって、私の首は今すこしもげているのだ。

でも揺れ動くのはしょうがないとも思う。だって私は「おのおのが自分の持ち場でできることをやるからこそ、社会がまわる」みたいな大きな主語の漠然とした考えや、「自分の価値を認められたい」みたいなイヤラシ思想をどうしても持ちあわせている。サラリーマンだもの。折り合いが必要だ。

外部たる私が向き合うべきは、そんな世知辛い社会において、いかに「ただ、そこにいる」人が、どうやってこれからも「いられる」ようにするか、「いることが脅かされている人」がどこかに「いられるようになる」にするか、目を背けないことだ。人は実際、ひょんなことでぐらつく。今はつらく思える「いるだけでいい」というワードにいつ、私自身が救われることになるか、分からないのだから。


長々と書いてしまいましたが、このnoteではわたしの約1カ月のたけぶん滞在で起きた出来事、考えたこと、モヤモヤを書き記していきたいと思います。特に3階シェアハウスでの重度知的障害の共同生活は、もう、なんて言うか、刺激的です。支援する人/される人/そして周辺者たる私、その関係性は実に流動的なものでした。そんな中で、私たちの「いる」、そして一緒に「くらす」はどんな変遷をたどるのか、エッセーとして残していきたいと思います。
お暇があれば、お付き合いください。かしこ。

ライター:トモコ


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