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【トークシリーズ#3・レポート】相澤久美さんに聞いてみる!「家族という境界を揺るがす住まいと生活(第二部)」

ゲスト:相澤久美(建築家、編集者、プロデューサー)、ロビンス小依(ミュミュ・ワークショップ主宰)
聞き手:久保田翠(認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ)

仕事仲間やご近所さんやお客さんなど、いろんな人が出入りする家で子育てをしてきた相澤さん、子どもたちを外に連れ出しては、あえて見ないようにして人に託してきたロビンスさん、壮の母という役割から解放されて自分自身の人生を再開しようとしている久保田さん。その暮らしぶりからは、それぞれの家族観の違いや、社会が「家族」や「母」に要求する外圧との戦いが見えてきました。重度知的障害者が親から独立し、その暮らしにさまざまな人が関わりはじめることで、親自身の人生は、そして、社会の外圧を生み出すステレオタイプな家族観は、どう変わっていけるのでしょうか。

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それぞれの家族と子育て

久保田:相澤さんは出張が多い生活をされているんですよね。出張のついでに浜松に寄って泊まったり、東京でも会議があると必ず飲み会までいるので、「この人、子どもがふたりいるのに、どうやっているんだろう?」といつも不思議に思っていたんです。それで、聞いてみたら、「子どもはいろんな人が見てくれるの」って。「そういう生活、話には聞いたことあるけれど、現実的に可能なの?」とそのとき思ったんですね。当時、私には家庭の中のことまで助けてくれる人はいなかったので、壮のことは、家族でなんとかしなきゃという思いが強かったんです。そして、今ようやく、手放さなきゃと思うようになりました。
 ロビンスさんは、いろんなイベントに娘さんたちを連れて行きますよね。知らない人はいないんじゃないかというくらいに有名な娘さんたちなんですが、その様子を見て、外側に向けて家族を揺らしていくって、こういうことなのかなと感じています。
 なので、今日はおふたりに、どんなことを考えながらや生活や子育てをしてきたのかとか、「家族」という枠組みに捉われない子育てや生活の仕方について、聞いてみたいと思います。

相澤:相澤と申します。建築の仕事をしたり、編集や映画のプロデュースをしたり、環境省と「みちのく潮風トレイル」というトレイル(歩く旅の道)を東日本大震災の被災地沿岸部につくり、運営する仕事をしています。
 2002年に東麻布に自宅兼事務所兼シェアスペースを建てました。当時、子どもができる予定だったのですが、自分ひとりで子育てをするのは無理だと思っていたので、いろんな人とシェアする家をつくったんです。そこで17年間子育てをしています。子どもたちは、私の設計事務所と当時シェアしていた編集事務所で合わせて14.15人の大人がいる中で、0歳から育っています。スタッフたちも、娘というか妹というか親戚の子のような感じで接してくれています。いまは、ドイツ人の映画監督と日本人映画監督の夫婦とその娘が一緒に住んでいて、商店街の会長さんが遊びに来たり、打ち合わせに来る人がいたり、ふらっと遊びにくる人がいたりします。

ロビンス:うちは娘がふたりいるんですが、小さい頃から子育てをギブアップしているんです。親子ともに家の中でじっとしていられない性格なのと、そんなに家が心地よくないのもあるんですが、預けたいし外で育てたいという気持ちがありました。私ひとりで育ててもいいことないとずっと思っているので、やたらと外に連れて行って、わりと放置しています。小さい頃はもちろん目を向けていたんですが、大きくなってくると私が目を向けないほうがいいと思うこともあって、あえて見ないようにしている部分もあります。

相澤:うちも娘がふたりですが、上の子は本を読んだり勉強したりするのが好きで、自分でどんどんやっていくタイプの子、下の子は勉強が好きじゃなくて、明るくケラケラしているタイプ。基本的には信頼関係はできているので、やりたいようにやってほしいという感じで、だいたい任せています。
 子どもが生まれて、突然、私が母親という生き物に変わるわけはなくて、私は私のまま、私なりに生きるしかないんですよね。だから、自分が親だという認識はあまりなくて、娘が娘なりに生きていくことを私なりに手助けするというスタンスです。もちろん、2歳ぐらいまでは保護してあげるという気持ちはあった気がしますが、「こうあってほしい」とか「このほうがいい」というようなことは、聞かれて答える以上には言わないようにしています。それから、仕事で留守のことが多いんですが、言葉がわかるようになってからは、何のためにどこに行って何をしてきたのかを話して、「なぜお母さんがいないのか」ということを彼女たちなりに考えられるきっかけを渡しておくようにはしていた気がします。

久保田:私は、家族は一緒にいなきゃいけないと思っていたんですね。特に母親は、毎日ごはんをつくったり世話したりしなければならないと思っていたんですが、相澤さんの話を聞いていると、一緒にいることが家族の必要条件ではなくて、ちゃんと私はあなたのことを見ているよというメッセージが伝わっていれば、家族って成立したんだなと感じます。

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血縁、生活を共有するパートナー、複数のレイヤー

ロビンス:私は、上の子が中学生になったので、どうやって離れようかと考えています。一方で「あれしろ、これしろ」と言ってしまっていることも自覚していて。私のよくないところは考えがブレるところなので、相澤さんのブレなさがすごいなと思います。

相澤:ブレないというかひとりでやりきれないの。私は「なんとかごっこ」が本当に苦手で、子どもと一緒に遊べることといったらお料理だったんですね。だから、2.3歳くらいから包丁を渡して「ごはんつくって遊ぼう」とか、洗濯機をのぞいて「ぐるぐる回って面白いよね」とか言いながら洗濯を手伝わせたり。ともかくひとりじゃやりきれないから、いろんな人に子育てを手伝ってもらっているし、子どもたちにすら手伝ってもらっている。長女はいま受験生ですが、お父さんとお母さんと自分のお弁当をつくって掃除して洗濯してくれるし、妹の世話をしてくれます。子どもを自分の所有物だと考えちゃうことってあると思うんですけど、私はパートナーや共同生活者という感覚なんです。私ができないことができる人という感覚。なんか私自身がいろいろダメなんですよ。

ロビンス:私もいろいろダメだし、子どもは私のダメさを見ていると思うんですけど、あんまり見られてはいけないような気がしていて、相澤さんのようにはいかなかったな。

久保田:私にとって夫はパートナーだけど、子どももパートナーという感覚はいいですね。

相澤:夫もパートナーですね。もともと仕事が一緒で信頼できる人だから結婚に至っているので。子どもたちも血がつながっていても他人じゃないですか。彼女たちが何を考えているのか、本当にはわかってあげられないし、わかってもらえないという圧倒的な孤独がそれぞれにある。だからこそ一緒に暮らしているんだから、それぞれができることをできる範囲でやろうという考え方です。

久保田:パートナーとか対等にという感覚って、話ではわかるんだけれど、どうやって培われていくんでしょうか。相澤さんはアメリカ生活の影響も大きいかもしれないし、幼少期の体験も影響しているかもしれないけれど。

相澤:私は親にあまり頼れない幼少期を過ごしてきて、期待して裏切られるしんどさはもう無理という時期があったんですね。だから、誰に対しても過度な期待をしないし、最終的にはひとりだよねというところをしっかり持とうと思っているのかもしれないですね。すぐ人には頼っちゃうんですけど、それで断られても傷つくんじゃなくて、それはそれでしょうがないことで、やってくれたら「ありがとう」と思う。子どもにもこうであってほしいという期待はしたくはない。最終的には無事に生きていてくれればいい。親が過度に関与すると、子どもたちがよそに頼る先を見つけづらくなる気がします。

久保田:私も、子どもに障害があるからなおさらなのかもしれないけれど、家族でなんとかしなきゃという思いが強すぎて、結局なんともならない状況になったときに、頼る先がなくなっちゃったんですよね。今日のテーマを「家族という境界を揺るがす住まいと生活」にしているのは、そういう体験があるからなんです。

ロビンス:私は子どもが小さい頃よく家に人を呼んで一緒に子育てをしていたんです。例えば、シングルマザーの人を呼んで、一緒にごはんをつくってお風呂入って、子どもたちが寝たら帰るっていうのを週何回かやったり。そうするととても楽なんです。他の人に助けてほしいというのもあったし、子どもにとっては面白い体験だからいいじゃんと思って。いまは実家にいるので人を呼んだりはしていないんですが、週末は家族で外に飛び出ていく感じです。
 「行った先で、全然子どもを見てないよね」って久保田さんに言われたんですけど、それができない場所にはそもそも連れていかないんです。レッツはそれができると思っているので、最近はバス代を持たせて、子どもだけで行かせたりしています。レッツは私の家の範囲という感覚で、何かしでかしたら誰かが怒ってくれるだろうという安心感あります。ほかにもいくつかそういう場所があるんですが、とてもありがたいことです。「うちの子、私じゃ無理なんで、誰かお願いします」という感覚で預けています。

久保田:外側に家族があって、信頼できる人たちがいるというのがいいですよね。それがいろんなことを豊かにして、楽にしていく構造なのかもしれないですね。

ロビンス:夫がアメリカ人なんですが、日本で暮らしていると圧倒的に日本語に囲まれてしまうのが居心地良くなくて、子どもたちとは英語で話したいみたいなので、たまに夫と娘たち3人だけで出かけて、彼らの文化のなかで遊んだり、同じようなバックグラウンドを持った国際ファミリーと過ごすこともあります。夫は夫なりの子どもたちとの過ごし方があり、4人でいるときはそのときなりの過ごし方がある。なのでレイヤーがいくつかありますね。

久保田:この間、私、相澤さんの家に泊めていただいたんですけど、よその人が住んでいるんですよね。もちろん相澤さんのお友達なんだけど。偶然トイレで会ったから「こんにちは」「お邪魔してます」みたいになって、不思議だったんですよね。どこがプライベートなのか全然わからない。

相澤:シェアハウスだしシェアオフィスなんですよね。滞在時間は、人によっていろいろ。365日いる人もいるし、事務所として使っている人もいるし、月に1回しか来ない人とか、ほんのちょっと遊びに来る人とか、いろんな人がいろんな形で出入りしていて、私はあんまり頓着しない。隠さなきゃいけないプライバシーがないんですよ。寝てしまえばひとりだし。

久保田:でも、ひとりになりたいと思うことってないんですか?お子さんたちはどうなの?小さい時からそうだから慣れちゃうのかな?

相澤:出張ってひとりだったりするし、本当にひとりになりたいときって、カフェに行ったり雑踏の中に入ったほうが圧倒的にひとりになれる感じしませんか?みんな他人、みんな知らない人っていう状況。私も子どもの頃から、今の家ほどではないですけど、両親の友達が出入りしている家で育ったから、他者が自分の生活圏に入ってくることに違和感はないですね。子どもたちも気にしてないですよ。

久保田:私の生活では他者の必要性って感じたことがないんですよ。むしろ苦手。他の人がいるとよそゆきになってしまう。お家掃除しなきゃとか、綺麗な格好しなきゃとか、ご飯出さなきゃとか。

相澤:ちゃんとした人なんだよね、久保田さんは。久保田さんが泊まりに来た日、半月くらい出張していて久しぶりに1日だけ東京に帰った日だったんですね。最初は娘も入れて3人で話していたんですけど、私ヘトヘトだったので、久保田さんと娘をおいて寝ちゃったんですよね。家は散らかっているし。全然ちゃんとしてない。

久保田:娘さんに対して「あんまり片付いてないね」の一言で終わったんですよ。私だったらそこから小言がはじまるんですよね。「なんで片付いておかないの?お客さん来るって言ったでしょ!」って。

相澤:なんなら、うちはお客さんが片づけてくれる状況ですから。

久保田:プライベートとパブリックを明確にわける生活をしてきちゃったから、今になって、これだから辛くなってきたんだなという反省があって、障害のある人たちがシェアして住む場所を今つくっているんですが、普通の人が泊まりに来られる部屋をひとつ用意しています。なぜそんなかたちにしたかというと、ここに住む人たちは家族ではないけれど、家族化していっちゃうんですよ。福祉って、家族に代わって自分たちが面倒を見るということにモチベーションを持つ業界なので。でも、それじゃダメなんじゃないかなと思ったんです。私は家族という枠組みが強すぎて苦しむことになったわけだから、一回離れて生活してみたいと思っているし、疑似家族をつくる必要もないと思っているんです。となると、他者が必要なんですよね。常に同じメンバーで固定されると疑似家族的な枠組みがつくられてしまうから、そうじゃない生活をここでどうやって実現させていくのかというのが、今回のテーマなんですね。

相澤:久保田さんのいう「家族」って血縁家族のことですよね。あとは、お父さんとお母さんと子どもみたいなこと?それで、血の繋がっていないケースを「疑似家族」と言ったんだと思いますが、私は、何かを共有できている人たちのことも「家族」と呼んでいるんですね。そもそも定義の違いがあるなと感じました。

久保田:何をやっても許されるのが家族だった気がする。そこにパブリックみたいなものはあまりない。

相澤:何をやっても許されるじゃないですね、うちは。

久保田:そうですよね、礼儀がある。他人にも言っちゃいけないことは家族にも言っちゃいけないんだと思うんですが、私は言っちゃうんですよ。だから、本音を言って喧嘩をしても、「今日のごはん、何にする?」って言ったら「何々にしよう」みたいな会話がすぐにはじまる。何でも言えるよさもあるけれど、辛くなる部分もあるんですよね。

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家族や親に対する外圧と自己責任論

ロビンス:私みたいに考えがブレて、今日こうだと思っていたのに明日は違うと思っているような人が、家族の中だけで子どもを育てるのって無理でしょ、危ないでしょと思っていたので、開き直って「子育て手伝ってください」って言い放っているんですけど、福祉の世界だと、「家族でどうにかしてくださいね」という外圧があって、ダイレクトには言われないけれど、そういう壁があったんじゃないかなと思います。いまは徐々に、「子育てはみんなでしましょう」という時代になりつつあると思うんですけど、まだ福祉のほうって全然そういう感じじゃないですよね。

久保田:福祉って制度に則って国が事業委託するというかたちになるから、命を守るという「仕事」をすることになるんです。でも、いまロビンスさんが言った「みんなで育てましょう」というのは、福祉という仕事ではなくて、友達やちょっと助けてくれる人を増やしていくことだと思うんですね。そのときにヒントになるのが、相澤さんの考え方。託して委ねていかないと広がらないんだと思う。福祉の制度の中では、なかなかそこまではいかないような気がするんですよね。

ロビンス:当事者や家族が委ねられない社会になっちゃったんですよね。子どもはまだハードルの低いほうですが、重度の障害のある方の場合はハードル高い。お母さんが持っている「申し訳ない」という気持ちが、どうしたらなくなるのかと考えていました。

久保田:やっぱり見ないのがいちばんいいんですよ。一度手放してしまえば、意外と本人たちには力があるから、ちゃんと関係をつくっていけちゃうのかもしれない。結局苦しんでいるのは親ばかりで。

相澤:障害の有無に関わらず、過干渉になってしまう親子関係って常にあるじゃないですか。だから、子どもには生きてゆく力が備わっているんだと信じて、手放してみるのはいいことなんじゃないかと思います。

ロビンス:怒られますけどね。私も子どもも。

相澤:私も「そんなにずっと外に出ていたら、子どもたちがかわいそう」って言われることが多いんですよ。でも、子どもたちは子どもたちなりにちゃんと生きているので、かわいそうと思われることのほうがかわいそうだよと私は思うんですけどね。だから、一緒にいるときには、一緒にお料理したりミシンがけしたりしているのをSNSに殊更アップしたりして、「子どもたち、元気に育っているから、大丈夫だから」みたいなことを発信しているんです。それでも、「ああしたほうがいい、こうしたほうがいい」と言ってくる人はいます。心配してくれているのはありがたいけれど、かなりステレオタイプな「べき論」を言われることは多くて、困ったな、と思うことはあります。子どもが小さかった頃は、仲の良い友達に絶交されるくらいの勢いでしたけど、すくすく育っているので、「まぁ、結果大丈夫だったね」みたいな感じで、いまはそういう外圧は減りましたけどね。

久保田:相澤さんは相澤さんでそういう外圧と戦っているんですね。さっきロビンスさんが「ブレない」と言っていたのは、そういうところですよね。意外に私たちは外圧に弱いのかもしれない。

相澤:忙しくて変えようもないんですよ。私は自分がやりたいことがたくさんある人なので。それって結果的には何十年後かの子たちの未来を創ると思っているんですよ。そんな押し付けがましいことは本人たちには言わないけれども。
 自分が生まれてきたのって、生き物として命を未来に繋いでいくという役割があるからだと思っているので、子育ても仕事だと思っているんですが、ただフルタイムではない。子どもたちと365日一緒にいれなくても、彼女たちはしっかり自分たちの生を全うしていけると信頼しているということですね。

久保田:みんながそう思いだすと、楽な社会になる気がしますね。今まで相澤さんが感じてきた外圧と私が受けている外圧は、ほぼ一緒なんですよ。ただ、障害がある人の場合はそれが永遠に続くんですよね。自分から離れていかないから。「親亡き後」という言葉に象徴されるように、「私がずっと面倒を見なければいけない」「私が死んだら、この子はどうなるんだろう」というのにがんじがらめにされるんです。それを跳ねのけられなかったのは、やっぱり私の中にも家族のステレオタイプがあったから。でも、親がもっと自分の人生を生きても、子どもたちは不幸にはならないんじゃないかと感じているんです。『たけしと生活研究会』をやっていて、自分のこれからのことを考えているんだなって思うんですよ。

相澤:そうなんですよね。壮くんのことを考えているというよりも、自分のこれからの生き方を考えている。「翠と生活研究会」かもしれない。

久保田:本当にそうなんですよ。だから、みなさんにも共通するものかもしれない。子どもって絶対巣立っていく存在だから。なかには「子どもは自分の人生の一部」と思っている人もたくさんいて、そういう人たちから子どもを引き剥がすのは、意外と酷なんですよね。でも、やっぱり別れなければいけない時もやってくる。

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参加者1:うちは息子が3人いて、真ん中の子は小学校5年生から中学校3年生まで不登校だったんですが、当時、社会が求めるステレオタイプ的な家庭像に苦しんだこともありました。でも、子どもは育つもので、31歳、29歳、24歳になったので離れました。私はアーティストなんですが、いま自分の制作のことや今後の展望などを考えると本当に心許なくて、「私はいったい何だったのかな」と悩むことが多いんですよ。でも、ひとつだけ、これはやったかなと言えるのは、子どもを3人産んだこと。そこをいちばんにしてきたわけではなくて、必要に迫られてやってきたわけだけれど、結局そこかと思っているところです。
 家族像もライフステージに応じて変化していきますよね。いまの私は、卒業したはずの元の家族、認知症の母や障害者の姉の世話をする娘や妹になっています。

相澤:いろんな仕事をしていますが、私も、自分がちゃんと役に立てたのは子どもを2人産んだことくらいだという感覚はあります。あとは子どもたちが自分たちの足で歩いていって、彼女たちも子どもを産む選択をしてくれたら、応援できればいいなと思っています。もちろん、産めない方もいるし産まなくてもよくて、それが全てではないけれど。

参加者2:障害のある娘がアルス・ノヴァに通っているんですが、私の場合は困り果ててこの場を利用しだしたんですね。主人の仕事が忙しくて、趣味にも没頭する人なので、家にはほとんどいないんです。以前は実家を頼っていたんですが、母が若く亡くなってしまったので、自分でやらなきゃいけない状態になって。ちょうどその頃に障害福祉サービスができたので、すぐ飛びついて使えるものは全部使っています。すごく助かるんですが、周りからは「お母さんが見られるんじゃないの?」という声もありました。いまでも、私の周りには福祉サービスを使っていない人が多いんですよ。なぜ使わないのか聞いてみると、旦那さんが見ているとか親が元気だからと。実際、困らないと変わらないだろうと思います。
 それから、娘が家でじっとしていられないタイプなので、外に連れていくんですが、親に対しては周りの目線がすごく厳しいんですよ。でも、あるときから介護札を付けて出るようにしたんです。「介護中です」ということを知らせる札で、それをつけていると、例えば異性でもトイレ介助ができたりするんですが、遠出するときにそれを下げていくと、周りは「頑張ってね」「応援してます」という反応になるんです。娘が走り回っていても、「あの人、ヘルパーさんかしら?」という目で見てくれる。

相澤:なんで、親にだけ厳しいんですかね?

参加者2:やっぱり面倒を見て当然ということなんでしょうね。ヘルパーさんにも「この日、お母さんダメなんですか?」とか「きっとお母さんと行きたがっていると思いますよ」とよく言われるんですが、私も行ける時は行っていて、行けないからお願いしている。それに、娘はもう28歳なので、いつまでも私が見ているのは不自然。距離感がよくなくて、すぐ揉めるんですよ。こないだ、私が娘のリュックを勝手に開けたら、娘が怒ったことがあって、ドキッとしたんですよ。24歳の下の子のリュックは絶対開けないなと思って。そのとき、私もそこから変えていかないとダメなんだなと思いましたね。

久保田:困ってないからって言うけれど、私から見たら、「このお母さん、どうやって生活しているんだろう」と思うような状況になっていて、実際は困っているのに、福祉サービスを使ってない人が多いんですよ。我慢したり大変なことに慣れすぎてしまっているんです。

相澤:障害の有無に関係なく、子育てで困っている人はたくさんいますよね。マンション住まいの核家族で、聖母マリアのようにならなきゃいけないという圧のなかで、結局虐待してしまうような状況になっているお母さんがたくさんいると思うんですけど、「助けて」と言えない。この「自己責任」というのが窮屈ですね。

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外圧から解放されるには?

参加者4:多くの人が定住して定職について家族をつくって暮らすというのをやっているけれども、必ずしもみんながやりたいことではない。他のところに動きたいとか、バラバラになって動きたいというときに、経済的なことは考えちゃいますね。それから、子どもの学校の手続きが面倒だとか。そのへんもクリアできて、やりたいと思えばできるのであれば、いちばんいいと思う。
 そういうことをやろうとしたときに、「家族」のいろんなかたちが見えてくるという話が面白いと思いました。世間一般の「血縁の家族」と違うものをやろうとすると、「外圧」の話もありましたが、それを許してくれないものがあったり、邪魔が入ったりするんだと。外側からの「家族たれ」という呪縛が全くなければ、内側からそうじゃないかたちを取れるんじゃないかと思いました。相澤さんは、世間の常識とか外圧に困ったことはないんですか。

相澤:我が家に集まる人たちは、建築、編集、デザイン、アートとか、クリエイティブな活動に携わっている人が多くて、あまり揉めたことがありません。近所は回覧板が回ってくるような古い町会なんですけど、近所の人も遊びにくるので、特にないですね。一度、大騒ぎしていたら警察が来たことはありますけど。

久保田:この前、面談に行ったら「お母さんもうちょっとお家にいてあげてください」と言われたって言っていましたよね。

相澤:はいはい。高校の三者面談で。「ご家庭のことには口出ししたくないんですけど、一応、受験生なので」って先生が言葉を濁すんで、一応、謝っておきました。
 こないだ出張に行っていた時に、12時頃、小学校から電話がかかってきて「お嬢さん、まだ来てないんですけど。今日どうしました?」って。たまにあるんです、寝坊。お父さんは朝早く家を出ちゃって、お母さんはずっと行ったきりで、寝坊したことに気づいてふたりに電話したけどつながらなくて、学校にも電話できなくて、そのまま家でぶらぶらしていたらしいんですね。無事がわかったので、学校に電話して謝ったんですけど。その話を夫にしたら落ち込んじゃって。私より常識がある人なので、申し訳なく思ったんでしょうね。それが私には不思議。「元気だし、全然大丈夫だよ」って言ったら、一緒に出張していた人が「なんかすごい家だね」って言うんですよ。私はその自覚がない。だから、外圧はあったけど私が気づいていないだけかもしれないですね。

参加者4:結婚はしていて、戸籍上は整っているんですよね?

相澤:はい。旧姓で仕事していますけど、一応整っています。真っ当に結婚して子どもができて祖父母とも仲良く付き合っています。
 でも、私、絶対こうじゃなきゃいけないというのがあんまりない。仕事でもそうなんですよね。だから、私の提案と違う提案が出てきても「いいね」という感じで。そういう意味では私もすごいブレてるんですよ。こうじゃなきゃいけないというのはあまりない。

参加者4:外圧に気づかないのはスキルだと思うんです。ご主人が気にしていたと言っていましたが、気にする人同士だといろんなことが聞こえちゃって、維持しにくくなっちゃうのかもしれない。

ロビンス:さっき外圧に気づいてないとおっしゃっていたけど、そうじゃなくて「それはたいしたことではない」という判断がちゃんとできているんだと思うんですよ。謝るところは謝って、でも気にしない。

相澤:そうですね。例えば、先生に心配かけたことについては謝るんですよ。でも、彼女が寝坊して家に無事でいるなら、それでよくて、学校に迷惑をかけたからって叱ることはないわけですよ。

参加者5:相澤さんはアクティビストのお父さんとお母さんが強烈だったから、ちょっとしたことはあんまり気にならないんだなと思いました。それはある意味ギフトですね。
 お話を聞いて思ったのは、「こうしなければならない」というのを自分自身が感じているから、それを受信しちゃうんだなと。「こうじゃなきゃならない」とか「人に良く思われたい」という自分自身の思いが外圧になる。そこから解き放たれないと自由になれないと思っています。

相澤:「こうじゃなきゃいけない」がなくなったらどれだけ楽か。みんなと仲良くできるから。「北風と太陽」ってあるじゃないですか。ビュービューってやるよりは、ぽかぽかってしていたほうが圧倒的に生きやすい。

参加者3:外圧を気にせず「元気で生きていればそれでいい」という判断できる感覚はいいなと思う一方で、相澤さんがそう考えられるのは育った環境の影響もあるから、自分自身がそうなれるかというと難しそうです。でも、特殊な例で終わらせてしまうと変われないので、そこから先を考えたいのですが、外圧に敏感に反応して影響を受けてしまう自分としては、外圧への対処の仕方も考えたいテーマだなと思いました。あと、血縁関係はないけれど一緒に住む相手として、外圧的な反応をしてくる人とは一緒に住みづらいだろうなと考えると、誰でもいいわけじゃなさそう。暮らしはじめた後になって、例えば「あなたは母親なんだから、ちゃんと面倒を見なさい」というようなことを言われて傷つくこともあるだろうし。それから、街のいろんな人が「私と生活研究会」をやって自分の生活や家族のあり方について考えていったら、外圧的な考え方も変わっていくんじゃないかと思いました。

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子どもから見た親との関係

参加者3:僕は大学院生でふらふらと迷っている感じなんですが、さきほど久保田さんが、「たけしと生活研究会」と言いつつ自分のことだと言っていたのを、私も自分の生活をこれからどうしようと考えながら、共感して聞いていました。
 僕の場合は、両親と兄がいて、割りと従順な次男として育ちました。そんなに衝突もなく穏やかなように思うんですが、振り返ってみるとつながりの弱さを感じることもあります。互いのことをどれだけ理解しているんだろうとか、言いたいことを言い合える関係の希薄さを感じるというか。複雑な話になると、向こうも言葉を濁して気まずい雰囲気で会話が終わってしまうようなところがあります。
 みなさん今日は親の立場でお話されていましたが、以前はみなさんも子どもで、親との距離感を計りながら自立してきたのかもしれないし、今も完全に自立しているわけではないんじゃないかとも思う。子どもの頃は、親とどういう距離感を取ろうとしていたんでしょうか。

ロビンス:うちは商売をやっていて、夜遅くまで両親が働いていたんですよ。居候している職人さんも含め、家には人がいたんですが、兄と私の相手をする人は誰もいなかった。中学生くらいまでは放置されていたので、話をした記憶もないんです。でも、バブルが崩壊して商売が暇になって、いちばん放っておいてほしい高校生くらいから急に干渉しはじめたのが鬱陶しかった。それまで11時くらいに夕飯を食べていた家なのに、急に「6時に帰ってこい」とか言いだして。それに反発して猛勉強して家を出た記憶があります。

相澤:家族と言っても全然違う人格ですよね。親子だから腹を割って話せるというのは誤解だと思うんですよ。自分の親とあまり腹を割って話せなくても、よそに話ができる友達がいたりするわけですよね。だから、親だからという期待は持たなくていいと思うんですよ。「親子なのに話ができない。僕の家族環境はどうなんだ」という心配は全くする必要がない。「今まで育ててくれてありがとう」と感謝こそすれ、「ちょっと性格の違う人なんだな」くらいの感じでいいんじゃないかな。私は父とは議論しないです。父はチェ・ゲバラのTシャツを365日着ているようなアクティビストなので、話しはじめると大変なんですよ。だから、なるべく当たり障りのない会話で済ませたい。友達になるのはちょっと無理、ましてや夫としてなんか絶対無理、親子であっても長く一緒にいるのは難しい父です。
 両親は離婚しているですが、ふたりとも「世界平和を願って」みたいな大きな方向性は似ているんですけど、細かなやり方とか考え方とか、育ってきた家庭が全然違うわけで、たまたま一瞬一緒にいただけだと思っています。そういう意味で、子どもから親に何か期待するということはほぼない。無事に元気に生きていてくれればいいかな。

久保田:私の母は自分の意見をはっきり言う人なんです。それに、子どもを3人ちゃんと育てたという自信を持っている人で、「ちゃんとやりないさい」とたくさん言われたんですよ。でも、母は意外にアーティスト気質で、言っていることがめちゃくちゃなことが多い。感情的なところもたくさんあって思ったことを全部口に出すんです。人間、歳を取れば取るほど、好きなことをやっていくんだなと思うんですが、母は片付けが好きで、お庭を綺麗にするのが大好きな人なので、それをやっていると一日が終わるので、どんどん人の縁を切っていっているんです。友達にはもう会わないとか。
 私もそういう性格を受け継いでいて、細々したことをやるのが好きだし、片付けも好きだし、引き込もろうと思ったら引っ込んじゃうんですよ。たけど、それだと私は幸せになれない気がしています。だから、少し汚いことを容認するとか、片付けしないとか、人がわけわかんないことやっている時にいちいちチェックしないとか、そういう術をちゃんと身につけて、家族以外の人と関係をつくっていきたいなと思っている。そのためには、壮の母という役割をやっていると余裕がなくなるので、まずはそれをやめてみたいというのが正直なところ。自分が生まれた家族は見本のひとつだし、その影響を受けているけれども、「こういう生き方もあるなあ」くらいに思って、違う人生を歩むことはいくらでもできると思います。

血縁家族以外と暮らすことの可能性

久保田:レッツにもシェアハウスに住んでいるスタッフがいますが、分かち合いながら生活することを志向している人たちはたくさんいる気がしています。「たけしと生活研究会」でも、福祉制度は利用するけれど、それはそれとして、お互いに提供し合いながら楽しく生活できないか考えたいんです。そんなわけで、血が繋がっている家族以外の人と一緒に住むことに対して、みなさんはどう思っているのか聞きたい。

ロビンス:子どもが生まれる前にアメリカから日本に帰ってきたんですけど、浜松ってブラジルの人が多いので、ブラジルの人と一緒に生活してみたいなと思っていた時期があったんですけど、そういう人は見つからなかった。今でも家を出たいなと思っているんですが、夫は出たくないと言っているから、子どもを連れて3人で出ちゃおうかなって思っていて。引っ越すのだったら、関東とか長野とか、浜松以外に行ってみたい。町に飽きちゃったんですよ。あと、子どもがよく学校で怒られるので、もうちょっといいところないかなと。でも、3人で暮らすのは経済的にも大変だし、誰か一緒に暮らす人いないかなと本気で思っています。

久保田:そういうのがフランクにできるのも大切かもしれないですね。相澤さんの話を聞いて、家族って一緒にいなくてもいいんだって思ったんですが、ロビンスさんは、ひとりで出ちゃうのはだめなの?「出ちゃう」と言うと別れるみたいな言い方だけど、ちょっと出てまた戻ってとか。

ロビンス:「やってみちゃえ」っていう人生できたんだけれど、子どもが生まれてから「やってみちゃえ」が引っ込んできちゃって。でも、またやってみたいと思って。うちは家族別々に住むようになる気がするので、老後どうしようって考えるんです。そうすると、私ひとりになるけど、経済的に無理だなって。友達と一緒に住むとか、同じ世代の人たちだけで暮らしたくはないので、小さい子もいたら楽しいだろうなとか、考えました。それに向けて研究していかないとなって。

相澤:うちは私がたまにしかいないから、いるだけでありがたがられますよ。こないだ、普段はやらないのに、受験勉強している娘に紅茶をいれてあげたら「お母さんありがとう」って感動されました。

ササキ:レッツの職員のササキです。家族観や生活観は自分が育った家庭の影響を受けるとすると、他の誰かの生活圏に入っていく介護って、まさに僕がレッツでやっていることですが、自分が言葉にすら出さないほど当たり前と思っていたことが揺さぶられるチャンスだと思うんですね。ある当事者性を持って、誰かの生活の中に入っていくというのは、自分の家族観をぶち壊す、踏み直すきっかけになりえるんじゃないかって。だから、街の人が壮くんの生活に関われば、「生活研究会」的な考えを持つチャンスもありますよと言うこともできると思うんです。でも、まだ、久保田さんの顔色を伺っているんですよね、僕なんかは。びびっているんですよ。その先に、「壮くんの生活、もっとこうしたほうがいいんじゃない」とか「いや、僕の考えはこうだけど」ということをガンガン言い合える場になっていけば、外圧というか、みんなが「こうすべき」と思っていることをお互いに崩したりつくり直したりできる場になるんじゃないかと思います。

相澤:久保田さん、レッツを辞めたら?

久保田:私にとってレッツは壮なんですよね。だから、辞めるかどうかは別としても、それどころじゃない。私は私のことを考えないといけない。壮がいる人生の組み立て方しか私は知らないから、彼がいつまでもいると自分のことが考えられないんですよ。外圧もへったくれもなくて、誰も面倒見てくれない状態だから。ヘルパーさんが9時までだったら、絶対に9時までに帰らなきゃいけない。話が盛り上がって午前様になっちゃった、みたいなことは許されないんですよ。それを何十年やってきて、この不自由に辟易しているんです。私はちゃんと飲みに行ったり弱みを見せられる友達をもう一度つくらなきゃいけない。

参加者6(レッツスタッフ):この前、壮くんがヘルパーさんに爪を切ってもらっていたんです。爪を切るってすごく親密な行為だと思うんですが、いろんな人とそういうふれあいがあって羨ましいな、豊かな人生だなと思ったんです。久保田さんも、親という役割から解放されて自分の人生を見つめ直すというのは本当によいことだと思います。私はレッツに入ってまだ日が浅いですが、利用者さんの中には、20代後半とかになってくると、世界がちょっとずつ広がってくる人たちがいますよね。そろそろ、親との関係じゃなくて、自分自身で自由と引き換えに責任も取って自立するほうが、彼らの精神衛生上も豊かなんじゃないかと思うことがたくさんあります。だから、こういうのが広がっていくといろんな人にとっていいんじゃないかと思います。

ロビンス:私、この風をもっと浴びなきゃいけないなって考えています。外の風は浴びているほうだと思うんですけど、家の中はどうなのかなと思うと、けっこう不機嫌でいたりするので、ちょっとひっくり返したい。子どもが小さい頃に、他の人と住みたいと思って、でも相手が見つからなくて。実際にやれている他の人を見ていいなと思っていたけれど、私も今からでも間に合うっていう気持ちが大きくなってきました。

相澤:いままで建築家として家の話を聞かれたことはありましたが、もっとベタな生活の部分をこんなに赤裸々に話したのはたぶん初めてだし、楽しかったです。よかったら遊びに来てください。久保田さんはぜひうちに住みに来てください。レッツに1ヶ月くらい久保田さんがいなくても大丈夫ですかね?

ササキ:全然問題ないです。戻ってきて、すごい怒られそうですけどね(笑)

相澤:怒らない人にして返しますんで(笑)なんていい人ぶっていますけど、久保田さんが来たら、家の中きれいになるかなとか、子どもの相手してもらえるかなとか、いろいろ計算高い性格なんですよ。でも、本当に、久保田さんのこれからを楽しみにしています。

(了)

編集:石幡愛

ゲストプロフィール

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相澤久美(建築家、編集者、プロデューサー)
1969年生まれ。米国で学んだ後帰国し97年に設計事務所を設立。建築設計の傍ら、雑誌編集、ドキュメンタリー映画の制作、配給、災害支援、防災業法紙発行を行う。2015年からみちのく潮風トレイルの運営計画策定にかかわり、2017年にNPO法人みちのくトレイルクラブを設立。2002年自宅兼仕事場を設計、建設し、さまざまな人、団体がシェアしている。17歳と11歳の2児の母でもある。

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ロビンス小依(ミュミュ・ワークショップ主宰)
浜松市出身。米国滞在、国際結婚を経て2012年ミュミュ・ワークショップを設立。自分の住みたいまち実現のために多様な人・物事に手当たり次第興味を持ち、身の回りの多文化化を実践中。

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