博物館はじまりの地は、美術館はじまりの地でもあった!
前回の続きです。
美術館のはじまりは、湯島聖堂博覧会の美術工芸品の展示が起源とされています。博物館はじまりの地ですが、美術館はじまりの地でもあります。
湯島聖堂博覧会は、翌年に行われたウィーン万国博覧会に備えて全国から集められた博覧会でした。
『1872年に湯島聖堂博覧会』
『1873年にウィーン万国博覧会』
国内の博覧会は、それ以前にも東京の物産会や、京都博覧会(1871年)西本願寺にて開催されていました。
日本(明治)政府は、ウィーン万国博覧会に出品する物産品を集めました。それと同時に、物産調書を作成しています。同じものを2点、ひとつはウィーン万博への出品用に、もうひとつは常時展示用に。
そのときの美術工芸品の一部は、現在では東京国立博物館に所蔵されています。
湯島聖堂(西廡、東廡、大成殿)
集められたものを陳列した場所は湯島聖堂のこの広場にある左右の回路。こちらも歌川広重の版画にもなっています。東廡(東回路)と、西廡(西回路)に陳列されていて、広場の中心には名古屋城の金のシャチホコが置かれている様子が広重の版画にも描かれています。
湯島聖堂(孔子銅像)
この湯島聖堂、孔子の像があります。なかなか巨大。最近まで、水のように生きるみたいな話が好きで、孔子だと思っていたのですが、老子の「上善は水の如し」でした!
孔子は組織のあり方、老子は民間的なあり方。という説明を受けて、なんとなく理解。
孔子の教えとして、宥坐之器(ゆうざのき)が伝わっていました。
"桓公の墓にあった器は「水が入っていない空の時は傾き、水を適度に入れるとまっすぐに立ち、水が満ちるとひっくり返り全てこぼれる」という。
これを見た孔子は「知を持つものは愚を自覚し、功績を持つものは謙譲の心をもち、力を持つものは恐れを忘れず、富があるものは謙遜を忘れずに正しい姿勢を保て。」と説いた故事から。"(四文字熟語の解説より。)
悟り…。
宥坐之器(ゆうざのき)
斯文会館(しぶんかいかん)
仰高門(ぎょうこうもん)
続きはまた後日。
次回は、湯島聖堂(明神門)から神田明神へ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?