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お元気ですか、松本先生。

エッセイ。今回のテーマは「小学校時代の思い出の先生」です。「今、何をしているのだろう?」そんなふうに思い出す先生っていますよね。



新入社員研修が終わった

4月から続いた新入社員研修が昨日で最終日を迎えた。毎週金曜日に研修の振り返りの時間を設けていたのだが、最終回をこれまで通りに進行してもつまらないと思い、みんなでケーキでも食べようかとぼんやり考えながら出社した。

ケーキを冷やしておくスペースはあるかと冷蔵庫をのぞくと、見慣れた店名の書かれた箱がすでに置いてあった。ベテラン社員の粋な計らい。考えていることは同じである。ありがたい。

もう一箱ケーキを買ってフードファイトにもつれ込ませるわけにもいかないので、昼休みに近所のセブンイレブンで駄菓子を購入してきた。大量の細々とした商品を嫌な顔せず、笑顔で会計してくださった店員さんにはあらためて感謝をお伝えしたい。

僕もケーキをいただいてしまった。どこか懐かしい味でとても美味しい。
コンビニで買えるだけ買ってきた駄菓子たち。

振り返りの時間は、入社してからの3ヶ月を思い出すような時間になった。駄菓子を食べながら、新入社員の3人には「この研修が楽しかった・大変だった」という話をしてもらった。

5月以降は4つある部門を2週間ごとにローテーションする形式で研修をしていたが、何が自分にとってしっくりくるのか、こないのかを実際に体験してもらえたことは良かったと思う。

(ちなみに大変さという意味で一番不評だったのはRPAの研修だった。個人的にシステム的な話は知識として理解するのと感覚として実感できるまでに時間的な感覚が大きい気がしている。わかると楽しいのだけれど。)

毎日作成している研修用の日報も最終回となるので、2年目の自分に向けたメッセージを書くようにお願いした。

現時点で思い描いている理想像とは必ずしも一致していなくて良い。「思いがけないところにたどり着いたな」そんな面白さを1年後に感じてもらえていたら嬉しいと一人の先輩として思う。

前職でも新入社員研修で教える側になることはあったが、研修全体のデザイン・講義資料の作成・講師とフロントでどっぷり関わったのは今回が初めてだった。

正解を模索しながら、今のレベルで一生懸命やってきたつもりではあるが、「完成度にムラがあるものに社会人として一番大事な時期を迎えている彼らを付き合わせてしまって良いのか」「そもそも自分は人前で何かを偉そうに語れる人間ではない」といった、いくつかの葛藤があった。

結局、正解は自分たちで作り上げていくものであるし、少しでも経験値のある人間がその経験を還元していかなければならない。走り続けていくしかないのだ。教えたことより学んだことの方が多い3ヶ月間だった。


駄菓子であの頃を思い出す

久しぶりにnoteを書こうと思ったのは駄菓子をたくさん買っている時に、小学生時代に通っていた塾で社会科を教えていた先生の存在を思い出したからだ。

あまり「〇〇が嫌い」というものがない僕だが、比較的昔からこれだけは苦手というものが3つある。「人混み並んでいてワクワクしない行列N(日能研)バッグ」である。

子供の頃、比較的勉強ができると思っていた僕は地元の中学校が荒れていたという話を聞いて中学受験をしたいと言い出した。今思えば小学生がどのように中学受験の存在を知ったのかは定かではないが、両親はやりたいことを応援してくれるタイプの人だったので4年生の夏から電車で20分ほどの街にあった日能研に通い始めた。

比較的勉強ができたというのも誇張ではなく、よく本を読む子供で、学校のテストではほとんど100点以外取ったことはなく、小学2年生の時点で自分からローマ字を覚えてパソコンを触り出していた。

さぞ塾の模試でも高得点を叩き出していたかという話になるが、そんな思いあがりが通じるわけもなく9歳にして初めての挫折を味わうことになる。4年生の冬の時点で完全に勉強に付いていけなくなってしまったのだ。

今思えば、自身の能力の問題だけでなく、カリキュラムの途中で塾に通い出してしまったので、前提となる知識のキャッチアップができていなかったとか、詰め込み方式の塾に合わせた勉強のスタイルを作れなかったという原因が浮かぶのだが、僕のシカクいアタマはマルくなることはなく、受験には失敗。「自分が勉強はできない」という思い込みは大学生になるまで引きずることになった。

中学受験をきっかけに両親の仲が最悪になったということもあり、人生に暗い影を落とした象徴のような存在でもある。

※割り切ったようなことを書いているけれど、当時通っていた建物(現在は閉校している)をストリートビューで見たところ、心拍数は急上昇。「今でもしっかりトラウマじゃないか」と自分へツッコミを入れている。

ここまで読んでいただければわかるが、日能研は悪くない。
ただ、今でも現役のこのキャッチコピーを街中で見ると「うっ…」となる。


松本先生の思い出

早々に心がパッキリ折れていた僕にとっては過酷な中学受験生時代であったが、少しだけ楽しいこともあった。それが社会科を教えていた松本先生の存在である。

ずんぐりむっくりな体型で、勉強をサボることだけにはとても厳しい人だったが、基本的に生徒を笑わせるのが好きな松本先生の授業には毎回と言っていいほど雑談の時間が用意されていた。

家の全ての部屋にテレビがある話。海外旅行をした際に10万円でバズーカを撃たせてもらって黒板みたいな板をぶっ飛ばした話。大人になった今では真偽不明と思えるものも多々あるが、どのエピソードも受験勉強に疲れた子供たちの心に元気を与えていた。

もうひとつ、先生が用意してくれた楽しみが「駄菓子を研究する会」である。

当時、日能研では公開模試というテストが定期的に実施されていたが、校舎ごとのランキング(平均点)も出されるという仕様だったらしく、全校舎1位を2回連続で達成できたら「駄菓子を研究する会」が開催されるという約束をしてくれた。

大人になった今では、「合格実績だけでなく受け持つクラスの模試の成績も自身の評価項目に入っているのだろう」「2回連続というのも塾講師っぽい」と思うのだが、過去に開催された「駄菓子を研究する会」の話が授業中に出るたびに、その場がなんとなく浮き足だった雰囲気になったのを覚えている。

時折、全校舎1位を取る機会はあったものの、その後に続くことはなかった。授業中に駄菓子を味わう機会は卒業までないと思っていたのだが、そのイベントは受験を控えた小学6年生の冬に突然やってきた。

相変わらず鳴かず飛ばずな成績であった僕は、平均点の上昇にはほとんど貢献しておらず、申し訳ないやら情けないやらではあったのだが、周囲の猛者たちの頑張りによって「駄菓子を研究する会」は開催されたのである。

肝心の駄菓子の種類や量については忘れてしまったのだが、達成感のなさと夢のように思っていた駄菓子にありつける嬉しさが入り混じった不思議な気持ちは今でも忘れない。

本当に2回連続で1位を取れたのだろうか。実は先生は最初から開催することを決めていたんじゃないか。生徒たちに自信を付けさせるための優しい嘘も、もしかしたらあったのかもしれない。あれから20年近くが経った。先生も還暦近い年齢になられたはずだ。お元気ですか、松本先生。

予測で「社会」と出てくるあたり、先生のその後を知りたい当時の生徒も多いはず。

優秀な生徒からはほど遠い僕であったが、お世話になった先生のように駄菓子通じて新入社員と楽しい時間を過ごせたことを嬉しく思う。人生はどこでどのように繋がるのかわからないが、たまには昔を思い出すことも悪くないはずだ。

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