お金なんて気にしないでデザインしてたあの頃には、もう戻れない
遊び感覚のデザイン
幼い時から絵を描いたり、プラレールやトミカでオリジナルの街をつくったり、とにかく図画工作をすることが大好きだった。また、国旗の図鑑やF1特集の雑誌を読み漁ったり、好きなものに対してだけは、無心に時間を使っていた。
小学校5年生の時、自分のブログを作って趣味であるサッカーやゲームの記事をひたすらに書いていた。更新し続けるうちに、他のブログと同じようなブログデザインが気に食わなくなり、オリジナルのテンプレートを自作していた。
ブログのロゴデザインを作りたかった私は、グラフィックデザイナーの両親に相談し、Adobe Illustrator CS4を教わりながらオリジナルロゴを作った。
世界に一つだけのオリジナルロゴができ、当時死ぬほど嬉しかったことを覚えている。それからイラレを毎日のように触って、中学のクラスのロゴデザインを作ってみんなに披露したりなんかもしていた。
毎日、遊び感覚でなにかをつくることが楽しくてやめられなかった。右も左もわからなかったが、ひたすらに真っ直ぐ進み続けた。
仕事としてのデザイン
時は経ち、自分のつくったグラフィックデザインをまとめたポートフォリオサイトを立ち上げた。
Dribbbleを見て連絡してくれたスタートアップの代表からスカウトされ、UIデザインという新たなジャンルに飛び込んだ。舐めた態度で飛び込んだら、プライドをズタボロにへし折られたのを今でも覚えている。
それから死に物狂いで勉強した。新しいスキルを習得することが楽しく、架空のアプリデザインを作ってみたり、とにかくUIデザインをやり続けた。
TwitterやDribbbleなどに作品をアップし続けたこともあり、それなりに仕事の依頼を頂くようになった。
「ついに自分のデザインスキルがこんなにも売れるようになったのか」と、続けてきたことがお金になる事は、とても自信に繋がった。
だからこそ、任せてくれる案件が増えれば増えるほど、成長している自分を実感することができた。
やがて大きなクライアントからのプロジェクトなど請け負うになり、勿論貰える報酬の額も大きくなる。よりプレッシャーがかかる仕事が増えた。次はもっと貰えるように交渉しようと、意欲が高まった。
将来が見えてきたような気がして、楽しくて仕方がなかった。
お金に対する葛藤
デザインを仕事に変えてからしばらくして、失注する機会が増えてきた。自分とクライアントの求めている金額感が合わず、交渉がうまく行かない。
「ちょっとこのデザイン作って」という友人からの言葉は、いつのまにか拒絶するようになった。「もしあの頃の自分ならこの案件受けていたのかな」と思うようになり、不安になっていた。
お金が第一になって楽しめなくなってしまうのではないか?お金でしか動かないデザイナーになってしまうのではないか?
デザインを始めた時には、お金なんて気にすることはなかった。ただただ「楽しい」という感情だけでイラレを触り、ひたすらに何かを作っていた。それが報酬を貰い「仕事」としてデザインに携わるようになり始めたのだ。
仕事としてデザインをするということは、金額が多かれ少なかれ責任が生まれる。金額が大きければ大きいほど、自分にかかるプレッシャーが大きくなる。
単価は、相手が求めてくるクオリティや技量、そして自分の市場評価と照らし合わせながら決める。付加価値をつけ、相手の信頼を得る。
案件を熟すごとに、徐々に自分の単価を上げていくと決めていた。それが一番スキルアップに繋がったのかもしれない。
もしかしたら、「金を稼ぐ=悪」という風潮が少なからずあることに恐怖心を抱いていたのかもしれない。たとえ仲がいい友人が頼んできたものでも、責任をもって最高品質のクオリティをアウトプットし続けるためには、お金がいる。私がデザインという仕事で生きていくためだ。
お金は自分のデザインスキルを表すもの。そう考えるようになった。
これからは
お金なんて気にしないでデザインしていたあの頃には、もう戻れない。
だが、それでいい。
大事なことは、絶対に自分を安売りせず、自分のスキルに自信をもつこと。これだけでも自分に誓えば、理想とするデザイナー像に近づけると信じている。
あの頃のワクワクは、未知の領域に飛び込んだときの衝撃によるものだった。どんなものでも作れる気がして、自分がどうなるかなんて想像もつかなかった。
そのワクワクを常に感じるために、スキルの手札を増やしていくことをやめない。常にスキルアップを図ることができれば、おのずと単価も上がる。
今私は、お金でしか動かないデザイナーになったのではなく、お金を動かせるデザイナーになったのだ。
私のデザインに対する熱は、お金なんて気にしないでデザインしていた時と何も変わらない。
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