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【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-8.0

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▼ CD聴かせてやるよ

 梅雨入りした6月のある夜、翌日にバイトを控えた私は寮の自室にいた。物が少ない部屋なのでウォークマンでマイケル・ジャクソンの「Off the wall」を聴きながら、オーディオ・パイセン(1-1以来の登場)から借りた音楽雑誌を横になってパラパラとめくっていた。

 音楽なんて全く興味がなく、パイセンから「これは聴いとけ」と渡されたカセットテープを、それこそ椀子そばを食べるがごとく否応なく聴かされていた。その中で一番よく聴いたのは、マイケル・ジャクソンの「Off the wall」だった。特に好きだったのは「Rock with you」という曲で巻き戻しては、何度も聴いた。

すると、いきなり腰から腹部にかけて衝撃が走った。振り返るとオーディオパイセンが仁王立ちしており、私のヘッドフォンを取り上げ、何度もノックしたんだぞ。早くピンクに来い!CD聴かせてやるよ!」と言い残し、そそくさと出て行ってしまった。


”ピンク”というのは、寮の会議室のことだ。壁紙がなぜかピンクだったことから”ピンクルーム”と呼ばれていた。そのピンクが近づくと寮生の賑やかな声が聞こえてきた。

▼ CDプレーヤーだぞ!

 この日、パイセンが購入した「コンパクト・ディスクプレーヤー(CDプレーヤー)」が、ついに届いたのだ。寮生が10数名集まって椅子に座ったところで、パイセンが立ち上がる。するとパイセンはタワーレコードの黄色い袋から、買ったばかりのCDを出した。

「すげーだろ。小さいぜ」

 私も含めギャラリーはみな「お〜!」と歓声をあげた。12インチのLPはもちろんだが、7インチのドーナツ盤レコードより小さいのだ。するとケースからCDを取り出し、両面を交互に自慢げに見せてくれた。

 CDはレコードと違い、裏面には何も書いておらず、ただ光っていた。会議室の蛍光灯を反射していただけなのだろうが、それ以上に本当に輝いてみえた。会議室には男子大学生の野太い歓声が響く。

「光ってる方は何も書いてないぞ」

「どっちがB面なんだ?」

「針乗せたら傷つきそうだな」

「どうやって音出るんだ?」

「そんなに小さいのに、アルバム全曲入ってるのか!」

 生まれて初めてCDを目にする大学生たちが、小学生のように爛々と目を輝かせ、パイセンを質問攻めにしていた。

 そんな野次馬をなだめると、パイセンは買ったばかりのCDプレーヤーに電源を入れた。デジタル電光表示がくるくると点滅したり、回ったりするだけで、いちいち反応する男子大学生の野太い歓声。そしてオープンボタンを押して1秒後、トレーが出てきた時は、歓声のピークだったかもしれない。

 パイセンは丁寧にCDをトレイに乗せ、イジェクトボタンを押し、CDが本体に消えると今度は控えめな歓声。ローディングの間は、皆が固唾を呑み、デジタル表示を見つめていた。

 山下達郎の伸びのある高音が部屋中に鳴り響いた。パイセンが買ってきたのは山下達郎のニューアルバム「Melodies」だった。その1曲目が「悲しみJody」が生まれて初めて聴いたCDの曲となった。大学生の野太い歓声はこの夜2度目のピークを迎えていた。

 当時、CDは小さいだけでなく、レコードより高音質で、レコードと違って永久に劣化しないと謳っていたものだから、誰もが「やっぱり音が違うね〜!」などと、初めて聴くCDの音に酔いしれ、わかったようなことを口にし、それぞれが持つウンチクのお披露目会となっていた。そして自然と乾杯が始まり、山下達郎の歌声を肴にビールを飲み続けていた。

 音楽に疎い私は、皆が得意気に語るウンチクに関心するフリをしていたが、それも飽きたので部屋に戻ろうとした時だった。

 10曲目の曲が流れ出した。その6月に似つかわしくないイントロに耳が奪われた。初めて聴く曲ではあったが、イントロを聴くだけで「クリスマスの曲」ということだけは理解できた。

#はじめて買ったCD **


 蒸し暑い6月の夜の、古くて、むさ苦しい大学の寮の一室に、季節外れなクリスマスソングがかかるのだから、誰もが拍子抜けした顔でプレーヤーに視線を送っていた。

 理由はよくわからなかったが、私は素直にいい曲だと思った。それにそれまで聴いた日本人のヒット曲とは明らかに一線を画した曲だった。

 後々わかることだが、構成が不思議な曲なのだ。

 日本の歌謡曲、いわゆるJ-POPの基本構成は、

 1A - 2A - 1B - 1サビ(1C) - 落ちサビ(Dメロ)

 つまりサビを含め、最低でも3種のメロディで曲が構成されるのがJ-POPSの1つの特徴ではないだろうか?

 でも、このクリスマス・イブは全く違う。

 1A - 2A - 1B - 3A - (間奏) - 2B - 4A - 1A - 2A

 私の解釈だと、こんな構成になる。

 洋楽はメロディが2パターンで構成されることが多い。だから「日本人が歌う洋楽っぽさ」に違和感を覚えたのかもしれない。また本人によるバック・コーラスから、より厚みが増した多重録音による間奏のアカペラが圧巻だった。すると、周りからこんな会話が聞こえてきた。

「あれ、これカノンっぽいね?」

「どういうこと?」

「このメロデイ、カノンじゃないかな?」

 これも後に分かったのだが、山下達郎はこの曲のコード進行がバロック調だったので、間奏では本物のバロック音楽を引用し、1人アカペラで再現に挑戦していたのだ。

 この翌日、私はにバイト先へ向かう途中に渋谷のタワーレコードに立ち寄った。

 6月のクリスマス・イブ。これが私の初めて買ったCDとなった。


1-8.1へつづく
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