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【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-19

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呪文は解(と)けるが、手は解(ほど)かれる

 意外そうな夏奈恵の声は、恐らく本当に私に気をつかってくれたのだと思う。だから「余計なことを言うな」とは言えなかったし、運動神経が悪いことも改めてアピールしたくなかった。

 バッティングセンターなんて、この日が初めてだった。そもそも、なぜバッティングセンターが存在するのか? その理由がわからない。それくらい、学校の体育以外では運動やスポーツとは無縁の生活を、私は送ってきたのだ。


 止むなく、すぐ横のゲージに目を移す。しかし、そこが埋まっており、そのまま歩くとさらに隣りも埋まっている。そしてやっと空いているゲージを見つけ、入ろうとしたとき、呪いのような夏奈恵の言葉が耳を刺した。


「140キロなんて、プロレベルじゃない?」


後には引けなかった。

3球目あたりから心は完全に呪われていた。そして金属バットを30回ほど振っではみたが、虚しく空気を切るだけだった。


「あれは速すぎたね」


ゲージを出ると夏奈恵は優しかった。


「もうちょっと当たると思ったんだけどね」


 だが、夏奈恵の同情に安堵できたのも束の間だった。


「でも、あれじゃ絶対に当たらないでしょ」

 

 夏奈恵がケラケラと笑い、私は精一杯強がった。


「そりゃ、野球部に入ってたわけじゃないしさ……」


 呪われた私は、運動音痴である弱点を真っ直ぐに指摘され、恥ずかしさで弱り果てていた。しかも夏奈恵は、私のバッティングフォームを真似して、高笑いをつづけるのだ。


「そんな酷くないだろ?」


「ウソ、ウソ、ごめんね」


夏奈恵は私の肩を何度も叩いた。


「かっこわるいけど、かわいいよ、泰輔先輩」


 ん? 呪いが解けた気がした。


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 それからバッティングセンターを出て、歩きだすと次々とラブホテルのネオンが目に飛び込んだ。
 定点超えの胸の高まり。私は誘うタイミングを図りながら、空室か満室かを知らせる青と赤の電光掲示にばかり目が向かっていた。


「いま、何時?」 


 夜の電光表示の反射で見づらかったのだろう。夏奈恵は立ち止まって腕時計を気にした。私はその時計を隠すように、夏奈恵の手を握った。 


「いま、何時?」


 夏奈恵は硬い声で繰り返した。


「何時でもいい」


 並ぶ2人の前には、空室を知らせるランプが点灯していた。


「だって終電……」


「乗り過ごしたっていいやろ」

 

意を決して手を引こうとしたところを遮られる。


「ねえ、聞いていい?」


「あ、うん」


「私とカメラ、どっちが大事?」


 夏奈恵の手を繋ぎなおし、大きく息をつく。


「夏奈恵ちゃん」


「ウソ」


「ウソじゃない」


「じゃあ、カメラ貸して」


 そして夏奈恵は、繋いだ手を解(ほど)くのだった。


1-20へつづく
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