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アディーブ・コラーム『ダリウスは今日も生きづらい』三辺律子訳、集英社

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最近読んだ小説のなかではいちばん心に残りました。現代社会が、そしてそこで生きる若者たちが経験している様ざまな問題をテーマにしつつ、等身大の主人公の苦しみと成長を丁寧に描いています。帯の説明が端的で良いので引用します。「民族、人種、性的指向、うつ病、多重のアイデンティティに悩む16歳の青春物語」。ただ、決してこれらの重いテーマが説教ぽく語られるのではなく、これが正解だ! みたいな形で答えを決めつけられるのでもありません。すべてが解決するわけではないけれどちょっと何かが変わって、でもそれはちょっとのことではなくて凄く大きな変化でもあって……。主人公に、そしてその他の登場人物たちにとても共感できる、根本的なところで人間に対する愛が感じられる物語でした。読んで元気の出る、読後感の爽やかな青春小説。お勧めです。2019年にウィリアム・C・モリス章(訳者あとがきによれば「ヤングアダルト作家の、すぐれたデビュー作品に贈られる賞」とのこと)を受賞したというのも納得。

主人公はポートランドで暮らしているイラン系アメリカ人の高校生ダリウス。ペルシア語はほとんど喋れませんが、高校ではイラン系であるということで彼にちょっかいを出してくる性格の悪いクラスメートもいます。内気なので友人もあまり居ません。趣味はお茶を淹れることで、近所のショッピングモールにある喫茶店でアルバイトをしています。彼はタイトルにある通り、どうにも生きづらさを感じて過ごしています。ダリウスからすると超人としか思えないような父親とも、最近はあまりうまく接することができません(そんな彼らが唯一確実に交流できる時間が夜に二人だけでスタートレックのビデオを観るときなのですが、幾度となく繰り返されるこの状況が彼と父親との関係をとてもよく伝えています)。そもそも自分とは何者なのかに迷っているダリウスは、自分自身の名前(「母さんには、おれの名前はペルシア帝国の偉大なる王ダリウス一世から取ったんだと言われている」)にも気おくれを感じてしまっています。

そんなある日、イランにいるダリウスのお祖父さんの体調が悪化したため、ダリウスと妹のラレー、そして彼らの両親の四人でイランに里帰りすることになります。そこで彼は、これまでオンラインでしか会話をしたことのなかった彼の祖父母、そして親戚や地元の同世代の若者たち――中でも生涯の親友になるであろうソフラーブ――に出会います。そして、何しろペルシア語もきちんと話せませんし、その国の文化についても良く分からないダリウスは、アメリカに居たときとはまた別の意味でアイデンティティについて悩み、行ったり来たりしつつも、少しずつ世界を広げ、ほんの少しずつでも勇気を育て、知恵を身に付けていきます。

ここでは想像を絶する冒険が繰り広げられるわけではありませんし、とんでもないどんでん返しがあるわけでもありません。それでも、イランの不穏な政治状況に巻き込まれ家族を失うソフラーブや、超人に見えていた父親の深い苦しみ、そして治ることのない病気を抱えた祖父とそれを見守る祖母のやるせない気持ちに直面するというのは、自分の人生についてさえ良く分からなくなってしまっているダリウスにとっては、ほんとうにどうしたら良いのか分からない途轍もない難事ですし、彼にとって掛けがえのない人びとの苦しみであるが故に、いっそう彼にとっての苦しみとしても迫ってきます。

それでも作者自身の人間観が反映されているのでしょう、物語はつねにダリウスたちに寄り添うように、本質的なところで温かみを失わずに進んでいきます。何も変わっていないようでけれど大きく変わった、ダリウスも父親も一歩踏み出したことが感じられるラストは、平穏だけれども感動的です。ここではあまり触れられませんでしたが、活発で物おじしない妹のラリーも、ダリウスの母と祖母も極めて魅力的で生き生きとした人びとで、ダリウスはそういった関係性のなかも支えられています。あと、ほとんど登場シーンはないのですが、ダリウスと同じイラン系アメリカ人のクラスメートであるジャヴァナ、少しとぼけたところもあってぼくは好きです。

本書が気に入ったら、こちらもお勧めです。椰月美智子『しずかな日々』(講談社文庫、2010)。

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こちらは高校生ではなく小学生ですが、『ダリウスは……』と同じように、生きることの苦しみと成長、そしてそれを見守る周囲の人びととの静かで暖かな交流を描いた名作です。あるいは『しずかな日々』がお好きな方であれば『ダリウスは……』も絶対面白いので、どちらもぜひ。

再び自著の広告を……。いやあ、本って、なかなか売れないですよね……。あ、でも大変ありがたいことに湘南T-SITEの蔦屋書店にて2月12日から3月31日まで開催中のフェア「ソーシャルメディアとデジタルテクノロジーを考える」で私の本を採り上げてもらっています。とても嬉しい。お立ち寄りの際にはぜひお手に取って見ていただければ幸いです。

出版元の共和国ではさらに興味深い本も出版されています。先日ようやく『小松川叙景』を入手したのですが、小松川に住んでいる友人に上げてしまったので、また購入する予定です。




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