相手に合わせておけば良いとは限らない#36

自分の意見を言えない、
(それを通り越して)自分の意見がわからない、
決断できない、
意見を言うことで、あるいは決断することで責任を負いたくない、
等というクライアントさんが多いです。

それは仕方ないです。
生まれて最初からそうだったわけではなく、育った環境等身近にいた人たちの影響でそうなってしまったのでしょうからね。
今できなくても、これから言えるように、決断できるようにしていけば良いわけですからね。

言えるように、決断できるようにするためにどうしたら良いのか、というのはカウンセリングの中であれやこれやとやるわけですが、今回はそれは割愛します。

「相手の希望に合わせておけば、相手が良い気持ちになってもらえる」
そう思ってそうしている、という方が多いのではないかと思います。

こういう方は、自分のことを、「自分は相手のことをとてもよく考えることができている」と評価していませんかね。

意見を言わず決断せず相手に合わせることが良いとは限りません。

あなたが意見を言わずに決断しないということは、相手がいつも意見を出して決断しているということですからね。

もちろん、自分の意見が明確にいつもあって自分で決めていきたい、という相手であれば良いと思います。
しかし、相手があなたと同じように、意見を言いたくない、決めたくない、というような人だったら、いつもかなり負担に感じているかもしれません。
それが続けばあなたに対して不満に思うこともあるでしょう。

意見を言わず決断せず相手に合わせることが良いとは限りません。

なんなら、あなたが意見を言って決断する方が喜ばれる可能性すらあるのです。

もし相手が離れていった場合、このようなクライアントさんの多くは、
「私が何か余計なことを言ってしまって(やってしまって)嫌われたんだ」と思うような気がします。
でも、違う可能性があるということです。
「あなたが何も言わなかったから(やらなかったから)嫌われた」可能性があるのです。

好かれようと思ってやっていることが、実は嫌われる要因になることもあるのです。
気を遣ってやっていることが、実は嫌われる要因になることもあるのです。

嫌われると思ってやらなかったことが、実は好かれる要因になることもあるのです。
気を遣ってやらなかったことが、実は好かれる要因になることもあるのです。

こういう可能性まで考えられないと、いつもと違う反省ができません。
こういう可能性まで考えられないと、間違った反省を防ぐことができません。
正しい反省をしないと成長できません。
正しい反省になっていないのに、反省すること自体に自己満足してはいけませんよ。

「相手のことを考えているようで、自分のことしか考えていない」
ともとれるわけです。
「自分のことしか考えていない」というのはなかなか受け入れられないと思います。
「自分のことしか考える余裕がない」の方が近いでしょうか。

相手のことを考える、というのは、もっと多方面に深いのですよ。

私も日々相手の気持ちをわかったつもりにならないように生きています。


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