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正しい夢

エッセイや小説をちゃんと書こうと思う。

もうずいぶん前からその夢をもっていたのに、追うことからも叶えることからも逃げてきた。

どうせ叶わないだろうなという気持ちがあったし、諦める理由がつかなくなることを恐れていたから明言もしなかった。

だけどようやく、その夢を追うことを自分の手で正解にしたくなった。


体が大きくなるのに反比例して、あんなに大きく膨らんでいた夢はだんだんと萎んでいく。成長した体にそれ以上大きな夢を持つ者は、なぜだか笑われるようになる。

わたしもいつしか同調圧力のさざ波を構成する、透明な一滴になっていた。

ぼんやり夢をもった頃、「文章を書ける仕事がしたいなあ」と思った。だけどその中身を知ろうとも調べようともあまりしなくて、そもそもわたしのムダに現実的な思考がそれを許さなかった。

「頭のネジが外れる」という表現があるけど、そのときは必要以上にガッチリと、頭にたくさんのネジが突き刺さっていたんだな。

あたらしく夢をもち、大学に進んだ。この選択に後悔はない。

せっかく叶ったあたらしい夢だけど、ごめんねと思いながら決別する。これは、自分で不正解にしてしまったもの。

たぶん、正しくも進めた。わたしじゃなかったらね。

そのあとは人生で初めて、本当になにもしない時間を過ごした。贅沢だと思った。

学校、仕事、育児、介護。現代人はとても忙しい。

なにもしない時間の中で、忘れていたことをたくさん思い出す。

パン屋さんの少し甘い匂い、平日の適度な街の賑わい。本の手触りと図書館の雰囲気。昼と夜が溶け合う時間にしか見られない、形容しがたい空の色。

友人が静かに教えてくれた、学校裏に咲く蒲公英の話。暗い校舎で誰にも会いたくなくて、それでも誰かに見つけてほしくて泣いていた夜。

なんでこんな大切なことをずっと忘れていたんだろう。日々に忙殺されて、大切にしていたものがいつの間にか色彩をなくしていたことに気づく。

文章を書く仕事が、なにも小説家や記者だけではないことをようやく知った。

ライターはとても魅力的な仕事で、思わぬ出会いや楽しい出来事も引き寄せてくれる。

多くの人に自分の文章を読んでもらえたら嬉しいけど、やっぱりそれはなんのしがらみもなく自由に書いた文章がいいなと思う。

とうに諦めたと思っていた夢をふと思い出してからは、それしか考えられなくなってしまった。

わたしの人生、なにかを感じるためじゃなく、感じたことを表現するためにある。と、自分で決めた。

人と話すとき、どちらかが自己開示をしなければ仲は深まらないけど、その反面誰かに自分を知ってもらうことは怖いことだと思う。

理解されなかったら、拒否されたらどうしようと思うよ。心の奥底から理解し合えることがどれだけ尊くて、どれだけ難しいことかを知ってる。

だから、わたしが文章を通して自己開示をすることで、分かりあえる人がこの世にいるんだと誰かに実感してほしい。そう思ってくれる人がいたら、わたしが嬉しい。から。

なにかを創作することは、突き詰めれば突き詰めるほどしんどいと思う。怖いし苦しいし辛いけど、やらなきゃなにも生まれないのだ。

誰かには嫌われるだろうなという覚悟で、それでも誰かの心に留まれたらなという淡い期待で、今日も気持ちを言葉に託す。


深い海の底に潜り、だれもいない場所できみと話をしよう。その時間を過ごす喜びは酸素となり、きっとわたしたちを生かしてくれる。

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