「なんで勉強しなきゃいけないの?」という永遠の議題
世の中のお父さんお母さんもしくは学校の先生方は、「なんで勉強しなきゃいけないの?」という子どもの疑問について、きっと人それぞれ答えを持っていることと思います。
わたしは人の親でも先生でもないんだけど、四半世紀生きてきて自分なりに編み出した答えについて少し語らせてくださいね。
子どもの「勉強」と大人の「勉強」は、大きく意味合いが変わります。
ここでお話するのは、子どもの勉強に限定しましょう。
わたしが思う勉強する第一の意味は、ずばり将来の選択肢を増やすため。
なぜそう思ったかというと、自分が勉強しなかったせいで選択肢を減らしてしまった事実があるからです。
わたしは海堂尊さんという医師兼小説家先生にめちゃめちゃ憧れていて、小学校高学年くらいのときに「医者になりたいな〜」とぼんやり思っていた。
なんとなく、自分の学力ではかなり難しいんだろうなということも分かりつつ。
そのままずーっとぼんやり夢を持ちながら、他の職業も考えていた高1の終わりに文理選択があった。
得意・苦手科目でいえばどう考えても文系一択だったのに、一丁前に文理で悩む自分を少し自嘲したことをよくよく覚えてる。
結果として文系に進んだことで、医学部への進学は改めて遠のいた。
もちろんここで理系を選んだとして医学部に行けたかというとそうではないし、むしろ全ての勉強を諦めてしまったかも。
後悔してるわけではないけど、どのタイミングで勉強していれば医師になれる未来があったんだろうなぁ。
つまりわたしの場合は、もっと勉強しておけば医者になれたかもしれなかったのに、勉強しなかったことでその選択肢がなくなってしまったということ。
結果としてその職業が務まっていたかどうかは別として(たぶん体力的にも精神的にも厳しいね)、わたしは勉強しなかったことで選択肢を減らしました。
とはいってもこれはあくまでわたしの経験なので、「学生時代は全然勉強しなかったけど憧れの職業に就けたよ!」という人も大勢いると思う。
あるいは、結果として勉強が必要のない仕事…があるかは分からないけど、そういう仕事に就いた人もいるかもしれない。
だから、もし就きたい仕事がひとつならその仕事に就くための勉強と考えていいだろうし、音楽とかスポーツとかの得意分野で活躍したいならそれだけに力を入れてもいい。
だけど、万が一のときの後ろ盾っていうのはやっぱりあったほうがいいんじゃないかなぁと思っていて。
例えば就きたい仕事をいざ始めてみたら自分に合わなかったり、力を入れていた音楽やスポーツの分野での活躍が難しくなったりすることは珍しくない。
そしたら、なにかひとつだけに比重を置いていた人は他の選択肢を取ることが難しくなって、先が見えなくなってしまうかもしれない。
いまは仕事の選択肢も増えているし、転職を経験するひともかなり増えている。
そんな時代であればあるほど、いろんな選択肢を持っていたほうが自分のためになるかな、というのがわたしの結論です。
もちろん弁証法帰納法とかの考え方を身につけるためとか、努力する力を身につけるためとか、いろんな大切なことがある。
だから、勉強するだけでそんなにいろんなことを身につけられるなら、やっぱりやっといたほうがいいよね。
って大人になってからは思うんだけどね〜…。
次回、「なんで校則を守らなきゃいけないの?」編でお会いしましょう。
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