うまくいかないときに読む話
作品づくりには健康な肉体と精神が必要だとよく聞くけど、これは本当にその通りだと思う。不健康な肉体あるいは不健康な精神の場合、自分に精一杯で作品どころではない。
ただ、不安定な状態でとっっても素晴らしい作品をつくる人もいる。そもそも左右されない人とか。そういう人のことをきっと、天才って呼ぶんじゃないの。
これまでもこれからも、どんなにいい文章が書けても、わたしは自分を天才だと思うことは一生ない。
だって、そのいい文章は絶対に自分の経験に裏付けられたもので(気づいてなくても忘れてても脳みそが覚えてる)、それを天才と呼んでしまうことはいろんな経験をさせてくれた人たちをなかったものにしてしまうからだ。
わたしはただ感じたことをもとにカタカタとキーボードを打っているだけの「媒体」で、周りにいるみんなや環境、何かを感じさせてくれたものごとが作品をつくり出す純粋な「本体」なのである。
媒体は、規則的な生活を心がけて正しい挙動を確保する。それから長い期間をかけて会得した歪んだ感性で、独自の創造物を編み出す。
これから何年も何年もうまくいかなかったとき、諦めたくなる日が来るのかもしれない。そのときはきっと、自分以外のすべてに救われるんだ。
成功したいとか有名になりたいとか、心の中で見下してくるヤツを見返してやりたいとか、それもあるけど。毎日思うけど。
本当になんで小説を書きたいの?の答えは、「恩返し」だよ。
人生のすべてを作品につぎ込む。作家、芸術家、音楽家なんてみんなそうだよね。自分が受けた施しを、作品に昇華する。それがわたしにできる、わたしにしかできない恩返し。
うまくいかないことがあっても、自分のためだけに書いてるわけじゃないことを絶対に忘れないでほしい。
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