鹿島アントラーズ歴代外国人列伝(2000~2006)
Jリーグが中断中ということもあり、昨年の6月に投稿した上記の企画の第2弾です。
今回は、前回の2007年以前から第一次トニーニョ・セレーゾ政権スタートの2000年までに鹿島アントラーズに所属した助っ人を振り返ります。これ以前になると一気に書くこと減ってくるんで、どなたか書いてください…。
ビスマルク(MF、ブラジル、1997~2001)
ライバルだったヴェルディからやってきた「優勝請負人」。第1次から第2次黄金期にかけて鹿島の司令塔として君臨し、正確無比なキックで攻撃を引っ張った。あまり動く訳でもなく守備の貢献度も決して高くなかったが、勝負所で必ず結果を残すその姿は小笠原満男など当時の若手にも大きな刺激になっていた。アントラーズだけでなくJリーグ史上に名を残す名助っ人であり、そのハンサムさも人気があったが、代理人となった今はその面影が完全に消えているので、伊達公子は訴えていいと思う。
ベベット(FW、ブラジル、2000)
アメリカ、フランスと2度のワールドカップに出場して結果を残してきた、元ブラジル代表のストライカーとして鳴り物入りで加入。しかし、コンディション調整に失敗し、8試合1ゴールと全くの期待外れのまま退団。2000年の1stステージで8位とチームが躓いたのは、前線の軸と期待していた彼の不振の影響が大きかった。ちなみに、今ではすっかりお馴染みのゴール後の「ゆりかごダンス」パフォーマンスの元祖はベベット。
ファビアーノ(DF、ブラジル、2000~2002)
第2次黄金期の最終ラインを支えたセンターバック。身長は180cmに満たないながらも、抜群のカバーリング能力でファイター系の秋田豊と鉄壁のコンビを形成。大きな穴もなく、しかもイケメンで、鹿島の理想の助っ人センターバックの一人とも言える。鹿島退団後はベガルタ仙台でもプレーした。
アウグスト(DF、ブラジル、2001~2002)
相馬直樹が大ケガで離脱したため、2001年2ndステージ直前に緊急補強された左サイドバック。守備は正直かなりアレだったが、キック精度の高さとドリブルでガンガン攻め上がりゴール前まで進出していくスタイルが見事にハマり、1stステージ低迷していたチームの起爆剤となり、その年の2ndステージ、および年間優勝に大きく貢献した。2003年からは川崎フロンターレに所属。チームのJ1昇格に貢献している。
エウレル(FW、ブラジル、2002~2003)
「風の子」の異名を持った元ブラジル代表ストライカー。鈴木隆行が海外移籍したことによる穴埋めで補強されたが、1年目は持ち味のスピードを活かしてまずまずの活躍ぶりを見せた。しかし、2年目は柳沢敦が海外移籍したために前線の軸として期待されたが、不振とケガに苦しみ、後半戦は鳴かず飛ばず。台所事情のチームを救うことは出来なかった。鹿島では多くのブラジル人がジーコの教えで改心するのだが、この男は中々にエゴイストで試合中に小笠原に突き飛ばされたことも。
フェルナンド(MF、ブラジル、2003~2006)
無冠時代の優良助っ人その1。監督のセレーゾの愛弟子ということでやってきた左利きのボランチだ。武器はフィジカルの強さと精度の高い左足のキック。2列目で小笠原が司令塔として君臨していたため活躍はおとなしめだったが、中盤の底で試合を作り、時に前線に飛び出して自らゴールを決めてくれるため、確実に計算の立つ選手だった。2006年にはボランチながらリーグ戦でハットトリックも達成。ただ、中々のカードコレクターでかなりのペースで有給を取得していたのがタマにキズだった…。
クラウデシール(MF、ブラジル、2003)
とにかくお金がない、ジーコは代表監督になってコネも使えない、という当時の鹿島。ブラジル人はノーマルガチャを引いてレアカードを出すしかないという、あまりにも無謀すぎる資金の突っ込み方をしていたのだが、クラウデシールもそのガチャでやってきた選手だ。監督のセレーゾが熱望してやってきた長身ボランチで、ブラジルでの実績はトップクラスだったのだが、とにかくケガが多く全くその本領を見せられず。すでにボランチにはフェルナンドが定着していたこともあり、シーズン途中に退団となってしまった。
ダ・シルバ(MF、ブラジル、2003)
クラウデシールがイタイデシールになってしまったため、緊急ガチャでやってきた中盤の選手。ベルギーリーグMVPなどといったその当時の怪しさ満点の経歴を見事に裏切ることなく、出場はたった1試合、しかも途中出場してケガして途中交代という、素晴らしいネタっぷりを残してそのまま退団。野戦病院化していたチームをさらに野戦病院化させてくれた。
ファビオ・ジュニオール(FW、ブラジル、2004)
スキンヘッドストライカー1号。得点力不足に苦しんでいたチームが連れてきた、元ブラジル代表FWでエース候補としての期待はかなり高かった。ただ、Jリーグのテンポに全く適応できず、結局ゴールは消化試合のシーズン最終節にパスを集めまくってもらって奪った1点のみ、と清々しいまでの大外れっぷりだった。彼もクラウデシールもそうだったのだが、「セレーゾがリクエストしてきたガチャは当てにならない」ということをフロントはもっと早く気づいておくべきだった。まあ気づいたところで、あの当時に他を連れてこれるお金なかったんですけど…。
バロン(FW、ブラジル、2004)
ファビオ・ジュニオールがアレだったので、2ndステージ開幕前にヴァンフォーレ甲府から分捕ってきた長身ストライカー。過去にジェフ市原(現:千葉)や清水エスパルスで実績を残しており、計算できると思って獲ってきたのだろうが、同じタイミングで同タイプの鈴木隆行が海外から戻ってきており、蕎麦が上手くいかないからって、釜に同時にうどんとラーメンを突っ込むような凄まじくバランスの悪い補強の仕方だった。結局、レギュラーに定着することもなく12試合2ゴールという何とも言えない成績で半年で退団した。その後も含めて7つのJクラブでプレーしており、これはマルキーニョスと並んで助っ人最多の所属クラブ数になっている。
アレックス・ミネイロ(FW、ブラジル、2005~2006)
スキンヘッドストライカー2号にして、無冠時代の優良助っ人その2。前年のファビオ・ジュニオールがアレだった(2度目)、ファビオ・ジュニオールにすらあったブラジル代表歴もない、ということで公式からも期待値がびっくりするレベルで低かったのだが、すぐさまチームにフィット。運動量は決して多くはないが、シュートの上手さとなんといってもポストプレーが巧みで、1列後ろで自由に動き回る野沢拓也とのコンビでゴールを荒稼ぎした。2005年前半戦にチームが首位を独走出来たのは、この男の存在なくしてはなかっただろう。翌年はややペースが落ちたものの、10ゴールときっちり結果は残したプロ。
アリ(MF、ブラジル、2005)
2005年の開幕直後に加入した、ボランチと右サイドバックをこなす選手。名良橋晃がケガしたことで足りなくなった右サイドバックの人材補充の意味合いが強く、ほとんど右サイドバックでプレーしていた。スタメンで出ることも結構多く、その間チーム自体の結果も出ていたのだが、本人のパフォーマンスは毒にも薬にもならなかったため、名良橋がケガから復帰してきたタイミングでレンタル終了となり、そのまま退団となった。
リカルジーニョ(MF、ブラジル、2005)
アリと入れ替わりで柏レイソルからやってきた、元ブラジル代表ボランチ。小笠原に海外移籍の話が出ていたため、その代わりの司令塔という名目で獲ってきたのだが、強化部長の満さんが小笠原をメンヘラのようにつきまとって海外に行かせなかったため、「あれ?じゃあ、俺は何しに来たの?」状態になってしまった。それでもチームが完全に倦怠期だったのでそこそこ使われたのだが、劇的にチームを好転させるには至らず、そのまま半年で柏へと帰っていった。
ファビオ・サントス(DF、ブラジル、2006)
2006年夏に当時のアウトゥオリ監督が連れてきた、元ブラジルU-20代表経歴を持つレフティー。アウグストのようにキック精度の高さとガンガン攻めあがるスタイルで、そこそこ使われたのだがいかんせん粗削りで、サイドバックで使うと守備力が物足りないから新井場徹の方がいいかとなり、2列目で使うと攻撃力が物足りないから本山雅志の方がいいか、となっていた。結局アウトゥオリと一緒に退団したのだが、その後はA代表にも招集され、コリンチャンスの一員として来日した時はCWCで世界一にもなっている。
ダ・シルバ(FW、ブラジル、2006)
ファビオ・サントスと同じく、アウトゥオリ監督がブラジルから連れてきた若きアタッカー。外国人枠の関係で出場機会は限られていたし、リーグ終盤に何試合かチャンスを与えられたものの、大きなインパクトは残せずに半年で退団となった。現在33歳で、ブラジルのクラブで現役でプレーしているらしい。
以上!2007~2019年で30人!今回の2000年~2006年で15人!合わせて45人!多い!
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