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高校球児の現実

皆さんは、高校球児はかっこいい、応援したくなる、など、良い印象しかないのではないでしょうか。

そこで、県内の強豪校で2年半、野球部に所属していた僕が現実をここに記す。

皆さんの高校球児、高校野球に対する見方が変わるかもしれない。
もしくは、それも高校野球の良さだと言う人もいるだろう。

僕が、中学生の頃、全国大会にも出場するようなクラブチームで野球に打ち込んでいた。
僕は、甲子園に出場する、いわゆる名門・強豪校へ進学するため、中学生の頃から硬式球を扱い、日々厳しい環境下で練習をしていた。

中学3年生の頃には、メンバー全員が県内・県外の高校から推薦、もしくは、声がかかっていた。
もちろん、僕もその中の1人だった。

そこで、僕に声をかけてきてくれた高校は、県内では強豪校に位置する高校であった。
後に、僕が入学するK高校である。

K高校に入学し、すぐに、部長から厳しい洗礼を受けた。
その内容の一部を以下に記す。

・校内での携帯使用禁止
・LINEやTwitterなどのSNSを一切禁止
・先輩には直角で挨拶
・常に丸刈り
・色の付いた飲み物禁止、お菓子禁止

など、ノートにびっしりと書かされた。
正直、意味がない、部を学校側から見て、正善と見せるためのルールという名の縛りであった。
これは今も変わらず、思っている。

当時のK高校の野球部は、成績が低迷しており、古豪と呼ばれるほど、落ち込んでいた。

これをよく思わない監督は、野球部の私生活を拘束することにより、野球部ではなく、監督自身の名誉を守っていた。

偽りではない。
その証拠に、校長、副校長などが来訪してきた際、練習そっちのけで、ペコペコ頭を下げながら、不敵な笑みを浮かべていた。
一度ではない、何度も何度も。

K高校野球部は、Aチーム30名、Bチーム30名、A.Bに入れない1年生という枠組みでチームが形成されていた。
僕は1年生の頃から、実力が認められ、Bチームの練習・試合に帯同していた。

Bチームに帯同していた1年生は5人程度であったため、僕は、嬉しさより結果を残そうと必死だった。
それが功を奏し、結果をそれなりに残していた。

そして、3年生が引退し、新チーム始動となる。
僕は、Aチームに上がれるのではという期待と、Aチームに上がれなくともBチームで主力となれるという安心感があった。

だが、蓋を開けてみれば、どちらでもなかった。
悔しいというより、不思議で仕方がなかった。

どの世界、業界でもあることだが、気に入られた者が上に上がれるというものがある。
それはわかっていたが、野球というスポーツは露骨にその部分が明かされる。

もちろん、他の1年生の急成長により、僕の実力を上回ったということも示唆される。

僕は、Bチームで主力どころか、試合に出ることすら無かった。
約30名ほどの選手に追い抜かされたことになる。
あり得るのだろうか。いや、あり得ない。
他の要因があると、頭を悩ませていた。

嫌悪感、不服、遺憾、
色々な感情により、重いストレスがのしかかっていた。

ここからは僕の憶測だが、
当時の高校野球は「飼い殺し」というのが噂になっていた。

それは、実力のある選手を片っ端から声をかけて、部に入部させ、試合では全く使わないといったものだ。

K高校野球部であったかは、定かではないが、他の高校であったことは、嘘偽りない誠だ。

それから、2年間、僕は試合に出ることは無かった。

僕の周りで試合に出れない選手が何人も腐っていく。

実力のある選手が、監督1人の判断で夢を諦めていく。

これが、現実。

甲子園に出場し、スタメンになれる確率、0.2%

皆さんが観ている高校球児は、ほんの一握りである。
確かに、テレビに映っている球児達は、輝かしく、かっこいい。だが、その背景には、スタメンという篩にかけられ、落とされていった屍の上に立っている。

厳しい競争社会で負けた者には、大学から声が掛かることもなく、大学受験を受ける。

ものすごく遅れを取った状態で、一般の生徒との競争となる。

何が正解で、何が不正解か、誰も決めることは出来ない。

皆さんの高校球児に対する見方は変わりましたか。

このような経験をしてきた僕だが、

良いこと、悪いこと、全てひっくるめて、

僕は野球が好きだと神に誓う。

終幕

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