「介護ロボットは360億円を使ったのに余分な仕事を増やすだけ」という記事を読んでの反省と違和感
高齢者介護を「自動化」する日本の長い実験
Inside Japan’s long experiment in automating elder care
インパクトのあるタイトルの記事がMIT Technology Reviewに先週1月13日に掲載されました。
内容としては、
日本では介護ロボットの研究開発を長年やっているが、なかなかものにならない(ものになっても、現場で当たり前に使われるようにならない)し、むしろ現場の仕事を増やしているだけだーー
というロボット開発者としては、なかなか耳の痛いもの。
今回はこの記事をあらためて見直し、指摘内容に対して反省すべき点は反省し、違和感を感じているところも共有してみたいと思います。結論から言うと、指摘されている課題を解決し、介護ロボットが当たり前になるにはもっと全体最適化の視点が必要に思うし、一方でタイトルに表現されている『介護を「自動化」』という表現には違和感あるなぁという話です。
誰が書いた記事なのか??
James Wright さんというイギリスのアラン・チューリング研究所のリサーチ・アソシエイトという方です。世界中でテクノロジーやケアの問題を研究されているようで、日本にも関わりが深い方です。
ポイントは、エンジニアではなく、人類学の研究者ということ。今回の記事も18ヶ月にわたる日本の介護ロボット導入の現場に入り込むというエスノグラフィを行った上で書いているということで、リアリティがある内容になっています。(参考:エスノグラフィについての過去note記事はこちら)
この2月には、"Robots Won't Save Japan: An Ethnography of Eldercare"という書籍を出版するようです。とても楽しみというか、是非読んでみたい!!
印象に残った言葉たち
記事の中では、個人的に刺さったというか、しっかり向き合わないといけないなと思った言葉がたくさんありました。その中で特にグサッときた3つの指摘をまとめておきます。
1.そもそも使われていない。。。
いろいろな施策や開発によって、介護ロボットの商材は増えてきた。そして、購入される数も増えてきた。でも、実際の現場で継続的に使われていないですよね??最初は目新しさもあって良かったけど、慣れてきたときに面倒だし、使われずに棚にしまいっぱなしになっていないですか??という指摘。
2.導入されても仕事を増やしていますよね。しかも、入居者との関わりの時間を減らしてしまっています。
ロボットは助かることももちろんあるが、これまでなかった余分な手間がかかる。結果として、被介護者のインタラクションより、ロボットの面倒を見る時間の方が増えるんじゃないか。それは本来的に介護の仕事に従事する人がやりたかったことなんだろうか?そして、介護の専門職がやらなければいけないことなんだろうか??については、はなはだ疑問であるという指摘。
3.ロボットは本来向き合わなければいけないことを誤魔化す存在。。。
高齢化自体に問題があるわけではなく、高齢化によって介護に危機が生じるわけではないという内容。むしろ、われわれが行っている選挙で決まる政治的な選択(経済的な選択も)によって、介護危機は産み出されてしまう・・・移民を受け入れたり、介護従事者の給料を上げて、人が集まりやすいようにするという手段がある中で、ロボットはそれらを忘れ去るための存在になってしまっていないかという指摘。
それでも貢献できると信じたい
ロボット開発者にとっては、蓋をしたいような都合の悪いたくさんの指摘を受けました。もちろん、介護ロボットはまだまだ初期段階だし、成熟が進んでいけば、解決していくでしょう!と考えることもできるかもしれません。ただし、これらの多くはきっと本質的な事実で、意識をかなり変えないといけないんだと思います。
その上で、あえて言いたい。というか、信じたい。笑
「ロボットありきで考える必要は全くないが、全体最適で考えたときにロボット技術が役に立つシーンは存在する」
その際には、今回のニュース記事のタイトルにある『介護を「自動化」する』という視点ではないはずです。
この記事を読んだときに1つだけ違和感がありました。それは介護を「自動化」(原文では、automating elder care)という表現。介護は自動化すべき対象なのか??というのが違和感の根っこだと思います。
少し話がそれますが、先日『ケア』に関する座談会に出席する機会があり、そのときに話題になっていたのが、
ー豊かなケアというのは、行為を簡単に、効率的に済ますことではなく、相手のことを考えて、あえて時間や手間を惜しむー
ということではないか、ということでした。
この視点は介護ロボットということにも当てはまるはずです。
介護そのものは決して自動化すれば良いという類いのものではないと思っています。介護する人もされる人もともに相手のことを考えて時間や手間を惜しむ。そのような人間関係を作ることが良い介護のある暮らしではないでしょうか。
そのためにロボット技術は何をできるのか??
忙しさの根源になっているようなバックヤード業務があれば、可能な限り自動化するということもあるでしょうし、大事な触れ合いの時間であるにもかかわらず心や身体に負荷の掛る業務になってしまっているのであれば、自動化ではなく軽労化するために何ができるのかということを考える必要があるでしょう。
そして、ロボットが介入する作業、行為、動作単位ではなく、全体像で捉えることもとても大切だと思っています。「カスタマージャーニー」という言葉が使われるようになって久しいですが、介護される側、介護する側、そして、ロボット本体そのもののジャーニーを全体で見たときに、本当に意味あるものになっているのか。
さらには、Jamesさんが指摘しているようにロボットありきになっていないか、政治的な問題もあり、一筋縄で一気に解決とはいかないかもしれませんが、他に手段はないのか(あらゆるリソース活用の方法が検討されているのか)というのができると理想的なんだろうと思います。
そんなことの繰り返しで、現場で使われるロボット、ケアのある良いくらしに繋がるロボットが、1つでも多く、社会に実装されていくようにしたいですね。
今回のニュースは、海外研究者&人類学者という、国内開発者&ロボット開発者という私とは全く違う視点から、あらためてロボットのあり方について示唆頂けるものでした。
では、また来週~!!
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安藤健(@takecando)
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