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父は私に何を教育しようとしたのか?

年末に父が亡くなり、先日49日の法要を終え、一旦諸々終わりました。
今回初めて喪主というものを体験したのですが、世の中というか、宗教には全然知らない決まり?しきたり?が沢山あるものだなと。

喪主の仕事の一つに、通夜や葬儀での挨拶ということがありました。
何を話すんだ?ということで、ネット調査をすると、参加頂いたことや生前お世話になったことに対するお礼や故人のエピソードを簡単に話する、というような内容がどこのWebページにも書いてありました。

これけっこう難しい。

故人のエピソードというほど、喜怒哀楽などの感情表現も少なく、温厚なタイプでして、何かスペシャルな思い出というのがパッと思い付かず、考えてみても出てこない。

現役時代の仕事の話は特に知らない(電子部品関係の工場で働いていて18時過ぎには家で酒を飲んでいた印象しかない)、プライベートはわりと多趣味で山登り、水泳、釣り、漢詩などやっていたのですが、基本は一人でやってたので特にそれにまつわるエピソードトークもない。

一緒にやったことと言えば、休みの日には家庭菜園で庭いじりをしたり、小さい頃はキャッチボールとか野球の練習をしたもんだ、ということまで記憶を辿っていくと、

そうだ、「キャッチボールしててマジで怒られたことあったなぁー」というのが鮮明に思い出されました。

キャッチボールブチ切れ事件

当時確か小学2年生。土日に暇していた私は、父親に「やきゅうしよ〜」と誘って、近所のグランドで父親とキャッチボールをしてました、

いつも通り、グランドを貸切状態でキャッチボールしたり、ノックしてもらったりと遊んでたわけですが、その日はなんとか気分が乗らなかったのか、うまくできなったかで、割とすぐに「つかれた、もうやめよ〜」とか言ったわけです。

『やりたいって言ったのお前やろぉー!!自分から言い出したことはちゃんと最後までやらんか!!』
と。普段の父親の様子からするとビックリするくらいの勢いでブチ切れられました。

耳ピンブチ切れ事件

そんなことを思い出していたら、もう一回ブチ切れられたことがありました。

デコピンってあるじゃないですか。
あれの耳たぶバージョンをいきなりやったら、ブチ切れられたんですよね。

確か小学5年だったと思います。
会社から帰ってきて、晩酌リラックスモードの父親に対して、背後からデコピンならぬ耳ピンをやっちゃったんですね。
今思えば、なぜしようかと思ったかは完全に闇の中というか謎でしかありません。

激怒した父親は顔を真っ赤にして、「xxx〜!!」と名前を叫びながら追いかけてきました。
必死に逃げて、納戸に閉じこもり、ドアを開けられないように押さえていたのを覚えてます。

今考えると、なんとしょうもない話なのですが、当時の私にはめちゃくちゃ怖かったこと、そして、後にも先にも父親にガッツリキレられるというのはこの2回だけだった気がします。

というわけで、
お葬式のエピソードとして適切だったかは謎ですが、父親と自分のエピソードとして話としてこんなさせて貰いました。

思い出してみて、そして、話をしていて思ったのが、この2つはきっと父親が教育として大事にしていたのかもしれないなぁということです。

もはや確認することもできないですし、生きていても確認もしなかったと思いますが、勝手に解釈すると、2件のブチ切れ事件の中で学んだ
・一度始めたら最後までやってみる
・人のことを傷つけるな

というのは、今の自分の中でも大事にしている価値観となっているような気もします。

そう考えると親の教育というのは偉大なもんだなぁと今になって思いますし、逆に親の立場になった今、何を子供たちに身につけて欲しいという軸を持てているかということを考えさせられました。


南無阿弥陀仏。

というわけで、また来週~!!
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安藤健(@takecando)
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