Chapter.4 大久野島の呼び名②(広島、山口、福岡旅行編)
島内に約500羽のうさぎが生息していることから、別名「うさぎ島」と呼ばれている、大久野島。
国民休暇村として、綺麗な海、かわいいうさぎに触れ合えるリゾート地とされているが、この島には歴史の闇を表す「地図から消された島」という呼び名があります。
名前通りなのですが、この島は第二次世界大戦中に地図から消されてしまったのです。
では何故か?
この島は第二次世界大戦中、毒ガス製造が行われていた島でした。毒ガスの製造実験については旧陸軍が第一次世界大戦中から行われていたが、大量生産のための工場用地として本土から離れていて、万が一事故があっても周囲への被害が最小限に抑えられる、機密が守れる大久野島が選ばれたということでした。
ビジターセンターのすぐ横にある「毒ガス資料館」には、毒ガス製造に至る歴史、製造器具、毒ガス兵器、毒ガスを吸い込んだ人の写真や記事。うさぎに夢中だった子供達もこの島の歴史に触れる事で、感じるものはあったようだ。
上記写真は毒ガス製造用の器具で、薬品や熱に強い陶磁器が使われていたもの。
島の幹部達のみが利用できた防空壕。分厚いコンクリートの壁で覆われていて、今でも限界がしっかり残っている。この島の労働者や研究員より、軍の幹部の命が優遇されていたことがわかります。
毒ガス貯蔵庫跡はいくつかみたのだが、肝心の発電所跡、砲台跡、長浦毒ガス貯蔵庫跡、火薬庫跡とメインをほぼ回れなかった、、、
子供達の中で今回の旅トップ3に入る観光地になったのはうさぎパワー。
歴史よりうさぎになるのは当然ですよね 笑
2人が少し大きくなって再び足を運ぶ機会があったら、今度は少し歴史を感じる旅になるといいなと思う。
最後に大久野島唯一の宿泊施設内にあるUSANCHUカフェにて遅めのランチをし、
第二桟橋から忠海港へもどる。
全然見きれなかったが、思ったより観光に時間は使ったため、竹原保存地区は車で通過する程度にし、次の目的地へ。つづく。
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