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ご飯大盛り!チキン南蛮弁当


 誰もいない部屋に帰ってくるのは久しぶりだ。壁に手をつけてスイッチを探す。マンションの一室に明かりがついた。片手に持っていたビニール袋を机に置き、急いでコートを脱ぐ。早く食べないと、せっかく温めてもらった「ごはん大盛!チキン南蛮弁当」の力が損なわれてしまう。蓋を開けると勢いよく蒸気が飛び出してきた。ご飯の甘い匂いと油の匂いとタルタルソースの酸っぱい匂いがいっぺんに鼻に押し寄せてくる。あ、お茶を用意し忘れていた。一瞬、チキン南蛮たちと顔を見合わせる。すまん、すぐに戻ってくるから。いったん蓋を閉じてお茶を取りに行く。ビニール袋に入れて口を軽く縛っておいた。冷めないことを願いたい。やかんを火にかけてお茶を温める。その間に緑のマグカップを用意する。妻は飲み会に行っているから、今日は緑だけでいい。
 結婚して一か月、いわゆる新婚ってやつである。結婚して何よりうれしかったのはご飯を作ってくれる人がいること。そしてご飯を食べてくれる人がいることだ。

 結婚してから初めて食べたものは、妻が用意してくれたトースト、スクランブルエッグにヨーグルトだった。この、「妻が用意してくれた」というところがとても重要だ。ヨーグルトに入っているミカンは缶詰のものではなかったし、トーストにはちょっと良いバターが塗られていた。妻が、自分のために、時間をかけて用意してくれたのだ。うれしさを噛み締めていたら会社に遅れそうになってしまったのを覚えている。だが、もらいっぱなしじゃ気が引ける。だからその日の晩御飯は僕が用意した。そうして、お互いにご飯を作り合うことが日常になったのだった。
 火曜日の朝、朝起きるとベランダから白い煙が立ち上っていた。どこから持ってきたのか、妻は七輪でサンマを焼いていたのだ。あと焼きおにぎり。普通の火曜日の朝に。別に祝日だったり記念日だったりするわけではない。普通の火曜日だった。月曜日の夜ご飯は具沢山のポトフを作ったな、僕が。料理漫画の主人公もびっくりするくらい大量の野菜の皮をむいた。普通の月曜日に。うん、七輪は多分それが原因だ。別に料理人になりたいわけではないし、妻にも手のかかる料理を望んでいるわけではない。僕はただ、妻の喜ぶ顔が見たい。だから妻のために、妻が食べているところを見るために、妻と一緒にご飯を食べるために、その一心で色んな料理に挑戦してきた。そして妻もたくさんの種類の料理を作ってくれた。
正直に言おう。僕は今幸せだ。間違いなく幸せだ。幸せだけど、だけどどこかその「幸せ」に疲れてしまった自分がいる。妻が飲み会に行くと言ったときに、気が楽になった自分がいる。
 
 やかんが鳴いている。妻は飲み会だからマグカップは一つでいい。お茶を注いでチキン南蛮のもとに向かう。チキン南蛮を食べたいと言えば妻は作ってくれるだろうし、妻に食べたいと言われれば僕も喜んで作る。だが、今日はどうしても作ろうと思えなかった。コンビニ弁当は久しぶりだ。妻とコンビニ弁当を食べるなんて今のところ全く想像できない。
 お弁当の蓋を開ける。まだ湯気が立ち上っている。よかった。普段よりも水っぽい米を口に運ぶ。間違いなく妻の料理の方が美味しい。が、今はなぜかこれが心地いい。

「うわ!びっくりした!!」

 妻だ。え、妻?

「飲み会じゃなかったの!?」

急いでプラスチックの容器を隠す。
「あー、なくなっちゃってさ」
「あ、そうなの」
「あ」
「ど、どうしたの?」
「おんなじお弁当買ってる」

 彼女が手にしていた袋の中からは、「ごはん大盛!チキン南蛮弁当」が現れた。
 2人で顔を見合わせてクスッと笑った。

「一緒に食べようか。あ、お茶持ってくるよ」

 僕は白いマグカップを取りにキッチンに向かう。後ろから彼女の声が聞こえた。

「たまには、コンビニもいいもんだね。」
 表情がほころびていることがバレないように、僕は背中を向けたまま答える。

「今度は違うのを買ってみようか」

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