「京都大学アカデミックデイ2022」見聞録02:12.認知症の病態研究から治療まで

2022年6月19日、私は「京都大学アカデミックデイ2022〜創立125周年記念〜」(以下「アカデミックデイ2022」、ロームシアター京都にて開催)に一般客として参加した([1])。

「アカデミックデイ2022」内の「プロム12 認知症の病態研究から治療まで」で、葛谷聡 京都大学大学院医学研究科 脳病態生理学講座 臨床神経学(脳神経内科) 准教授・診療副科長(以下敬称略,[2])らは、以下の研究成果などを発表した(図12.01,[3],[4])。

1.「認知症について学ぼう」で、基礎知識を紹介した([5])。

2.「脳を鍛えてアルツハイマー病に打ち勝つ!」で、以下を紹介した。

アルツハイマー病(Alzheimer's disease:AD)における「認知予備能」仮説([6],[7])。

漢字書字無反応率は漢字想起に重要な左中側頭回後部と左角回と関連し、さらに前者の血流と有意に逆相関している([8])。

漢字想起能力は軽度認知障害期のAD進行予測因子にもなる([9])。

漢字書字トレーニングによる認知予備能の強化に関する臨床研究(6)。

3.「音楽療法の可能性」で、音楽療法の特徴と課題、ならびに、音楽療法の新しい科学的根拠の作成を紹介した([10],[11],[12],[13])。

4.「京大での治療薬開発」で、以下を紹介した。

ADでは発症20年以上前からアミロイドβ(Amyloid beta:Aβ)が蓄積している([14])。

Aβオリゴマー仮説。アミロイド前駆体タンパク質(amyloid precursor protein:APP)のA673T変異はin vitroにてAβの産生を約40%低下させるが、同変異を有する人はADを発症する可能性が通常の5~7分の1となっているだけでなく、高齢による認知機能低下も抑制されていた([15])。

Beta-site Amyloid Precursor Protein Cleaving Enzyme 1(BACE1)の新規シナプス結合蛋白として、シナプス小胞蛋白 2B(synaptic vesicle protein 2B:SV2B)が同定された。BACE1 との結合を介して、SV2Bが BACE1 による APPの切断を抑制的に制御する機能があるという新たな知見が得られた([16])。

京都大学 大学院 医学研究科・医学部 認知症制御学講座による、VLP Therapeutics社のプラットフォーム テクノロジーを用いて作製された認知症病因タンパク質を標的とするワクチンの認知症に対する効果の検証、および、脳の変性と老化のメカニズムの解明([17])。

(a).「認知症について学ぼう」と「脳を鍛えてアルツハイマー病に打ち勝つ!」。
(b).「音楽療法の可能性」と「京大での治療薬開発」。
図12.01.認知症の病態研究から治療まで。
参考文献4から引用。

一方、農学研究科 食品生物科学専攻 入江一浩 教授らは、ADの原因物質と考えられているAβタンパク質(以下Aβ42)において、神経細胞に対して毒性を持ちやすい立体構造を標的とする抗体「24B3」を開発した。標的とした立体構造は毒性コンホマーと呼ばれ、この構造を持つ比較的少数の Aβ42 の分子同士が結合(オリゴマー化)することで神経細胞に毒性を示し、ADを発症するという説が提唱されている。24B3を用いて AD 患者と 非AD患者の脳脊髄液を解析したところ、AD 患者からはより多くの割合で毒性コンホマーを含む Aβが確認できた。24B3は、より正確かつ早期に AD を診断するためのツールとして活用することが期待される。

Aβ42 は、オリゴマー化することによって神経細胞に対して毒性を示す。このことから、抗Aβ42オリゴマー抗体は、AD の診断・予防・治療において有望視されている。特に診断に関しては、現在行われている検査手法では過剰診断されてしまう例が報告されており、より選択的に神経毒性を持つ Aβオリゴマーを検出する手法の開発に注目が集まっていた。

24B3は、Aβ42 の毒性コンホマー(配座立体異性体、Glu22、 Asp23 というアミノ酸残基付近に「毒性ターン」構造をもつ)の毒性ターンと特異的に結合する(図12.02,12.03,[18],[19],[20])。

図12.02.アミロイドβタンパク質 フェルト モデル。
上:非毒性(正常)コンホマー。
下:毒性コンホマー。「毒性ターン」に抗体「24B3」が結合している。
2015年10月04日、京都大学アカデミックデイ2015(以下「アカデミックデイ2015」)「アルツハイマー病特有のアミロイドβ立体構造に特異的な抗体の開発―より正確な診断手法への応用に期待―」にて撮影([21])。


図12.03.アルツハイマー病のより正確な診断手法―研究成果と今後の展望。
参考文献20から引用。

「アカデミックデイ2015」~「アカデミックデイ2022」の間の、認知症、主にADの診断・予防・治療に関する研究の最前線を知ったことは、私にとって非常に有意義であった。

これらに対する診断・予防・治療方法の開発の進展を期待する。

ここで、京都大学による他の認知症関連研究を紹介する。

国立大学法人 京都大学 iPS細胞研究所(CiRA).“家族性アルツハイマー病患者さんを対象とした医師主導治験(REBRAnD試験結果速報)”.CiRA ホームページ.ニュース・イベント.ニュース.2022年.研究活動.2022年06月30日.https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/220630-120000.html,(参照2022年09月09日).

井上治久 CiRA教授らは、医師主導治験 「プレセニリン1遺伝子変異アルツハイマー病に対するTW-012R(ブロモクリプチン)の安全性と有効性を検討する二重盲検比較試験および非盲検継続投与試験」を行い、ブロモクリプチンの安全性と有効性を評価した。

2020年より開始した本医師主導治験の結果、治験参加患者の人数に限りがあるとはいえ、ブロモクリプチンに家族性AD特有の副作用は認めなかったこと、および、ブロモクリプチンの投与期間中に2つの主要評価項目において、実薬群ではプラセボ群と比較して、認知機能、ならびに、行動・心理症状の病状進行が抑制される傾向を見出した。


国立大学法人 京都大学 CiRA.“アルツハイマー病病因分子の産生量に影響を与える土壌微生物叢由来代謝物の同定 〜土壌微生物叢 vs アミロイドβから新世代の微生物創薬へ〜”.CiRA ホームページ.ニュース・イベント.ニュース.2022年.研究活動.2022年03月02日.https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/news/220302-190000.html,(参照2022年09月09日).

近藤孝之 京都大学CiRA増殖分化機構研究部門特定拠点講師らは、日本の土壌に由来する微生物叢から抽出・精製した代謝物ライブラリと、AD患者由来のiPS細胞から調製した大脳皮質神経細胞を用いて、土壌微生物叢の代謝物がADの中心的な病因分子の1つであるAβの産生動態に与える影響を評価し、Aβ産生動態を変化させる代謝物として、ミロテキウム属の真菌が産生するベルカリンAと、ストレプトマイセス属の細菌が産生するMer-A2026Aを同定した。このように、微生物由来の代謝物ライブラリとiPS細胞技術を組み合わせることで、従来直接的に評価することが困難だった微生物叢と脳神経系の関連性を検証し、将来的なADのリスク因子探索や新たな微生物創薬につなげることができる。


国立大学法人 京都大学.“認知症患者に対する身体拘束の増加 -新型コロナウイルス禍での変化-”.京都大学 ホームページ.最新の研究成果を知る.2021年11月29日.https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2021-11-29,(参照2022年09月09日).

今中雄一 医学研究科 社会健康医学系専攻健康管理学講座医療経済学 教授らはCOVID-19禍での認知症患者に対する身体拘束実施率の変化を検証したところ、COVID-19患者非受け入れ病院(P=0.437)とは異なり、COVID-19患者受け入れ病院(p=0.004)では緊急事態宣言以降の身体拘束実施率の増加を認めた。


国立大学法人 京都大学.“神経細胞死を抑制する新たな分子を発見 -脳卒中やアルツハイマー病への応用に期待-”.京都大学 ホームページ.最新の研究成果を知る.2021年06月30日.https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2021-06-30-1,(参照2022年09月09日).

森和俊 理学研究科教授らは、脳内の海馬で起こる神経細胞死を抑制する新たな分子を発見した。

記憶の形成に重要な海馬は、脳卒中や早期のADにおいて障害を受けやすい場所としても知られている。その理由の1つとして考えられているのが興奮毒性である。これは、興奮性の神経伝達物質であるグルタミン酸が神経細胞の周囲で過剰になり、神経細胞内に多量のカルシウムイオンが流入することで、最終的に神経細胞死が引き起こされる、というものである。

森らは、海馬の興奮毒性の過程で起こる小胞体ストレスに注目して研究を行ってきた。そして、小胞体ストレスに対する防御系である小胞体ストレス応答の一員ではあるものの、その働きがほとんど不明であったATF6βという分子が神経細胞内でカルレティキュリンというカルシウム結合タンパク質を増加させ、細胞内のカルシウム濃度を調節することで、小胞体ストレスや興奮毒性から細胞を保護していることを発見した。

これらの知見は、脳卒中やAD、さらには老化に伴い起こる記憶障害の予防・治療法の開発につながることが期待される。


国立大学法人 京都大学.“認知症に対する点鼻ワクチンの開発 -遺伝子治療による免疫療法と分子イメージング-”.京都大学 ホームページ.最新の研究成果を知る.2020年03月26日.https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2020-03-26,(参照2022年09月09日).

井上治久 iPS細胞研究所 教授らは、樋口真人 量子科学技術研究開発機構 部長らと共同で、タウオパチーを呈する認知症の鍵分子であるタウ蛋白に対する点鼻ワクチンを、遺伝子治療用のセンダイウイルスベクターを用いて作製した。

そして、分子イメージング技術を用いて、タウオパチー モデル マウスにおける治療効果を検討した。その結果、タウ蛋白 に対する点鼻ワクチンにより、タウオパチー モデル マウスは、脳内の抗タウ抗体価の上昇、タウ蛋白蓄積の減少、グリア炎症の改善、脳萎縮の改善、および、認知機能の改善を示した。

関連記事



参考文献

[1] 国立大学法人 京都大学.“アカデミックデイ2022”.K.U.RESEARCH ホームページ.アカデミックデイ.https://research.kyoto-u.ac.jp/academic-day/a2022/,(参照2022年09月08日).

[2] 国立大学法人 京都大学.“スタッフ紹介”.京都大学大学院医学研究科 脳病態生理学講座 臨床神経学(脳神経内科) ホームページ.https://neurology.kuhp.kyoto-u.ac.jp/staff/,(参照2022年09月08日).

[3] 国立大学法人 京都大学.“認知症の病態研究から治療まで”.K.U.RESEARCH ホームページ.アカデミックデイ.アカデミックデイ2022.https://research.kyoto-u.ac.jp/academic-day/a2022/a2022-p012/,(参照2022年09月08日).

[4] 国立大学法人 京都大学.“2022_12_poster.pdf”.京都大学学術情報リポジトリ KURENAI ホームページ.900 京都大学シンポジウム・公開講座等.アカデミックデイ.アカデミックデイ2022.ポスター/展示.認知症の病態研究から治療まで.2022年06月19日.https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/275941/1/2022_12_poster.pdf,(参照2022年09月08日).

[5] 公益財団法人 長寿科学振興財団.“認知症”.健康長寿ネット トップページ.高齢者の病気.https://www.tyojyu.or.jp/net/byouki/ninchishou/index.html,(参照2022年09月08日).

[6] 公益財団法人 日本漢字能力検定協会.“京都大学研究グループに協力 ライフ サイクルと漢字神経ネットワークの学際研究において 漢字の書字習得が高度な言語能力の発達に影響を与えることを発見”.日本漢字能力検定協会 トップページ.事業・活動情報.調査・研究活動.京都大学×漢検 研究プロジェクト.ライフサイクルと漢字神経ネットワークの学際研究.2021年02月12日.https://www.kanken.or.jp/project/20210212_KKPJ-PR.pdf,(参照2022年09月08日).

[7] 国立大学法人 京都大学.“漢字の手書き習得が高度な言語能力の発達に影響を与えることを発見 -読み書き習得の生涯軌道に関するフレームワークの提唱-”.京都大学 ホームページ.最新の研究成果を知る.2021年01月27日.https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2021-01-27,(参照2022年09月08日).

[8] 公益財団法人 日本漢字能力検定協会.“第61回日本神経学会学術大会(2020年08月31日~09月2日、岡山)にて口演発表 「髄液バイオマーカー診断された軽症アルツハイマー病患者における漢字能力の臨床的意義」”.日本漢字能力検定協会 トップページ.事業・活動情報.調査・研究活動.京都大学×漢検 研究プロジェクト.ライフサイクルと漢字神経ネットワークの学際研究.2020年08月31日~09月02日.https://www.kanken.or.jp/project/NSJ2020_kankenkyoukai.pdf,(参照2022年09月08日).

[9] 公益財団法人 日本漢字能力検定協会.“第39回日本認知症学会学術集会(2020年11月26日~28日、名古屋)にてポスター発表 「髄液バイオマーカーを用いた軽症アルツハイマー病における漢字想起障害の臨床的意義」”.日本漢字能力検定協会 トップページ.事業・活動情報.調査・研究活動.京都大学×漢検 研究プロジェクト.ライフサイクルと漢字神経ネットワークの学際研究.2020年11月26日~28日.https://www.kanken.or.jp/project/JSDR2020_kankenkyoukai.pdf,(参照2022年09月08日).

[10] 国立大学法人 京都大学 医学部 人間健康科学科 先端看護科学.“在宅医療・認知症学分野”.京都大学 医学部 人間健康科学科 先端看護科学 ホームページ.教育・研究分野.http://www.nursing.hs.med.kyoto-u.ac.jp/education/home_healthcare/,(参照2022年09月08日).

[11] 国立大学法人 京都大学.“楽器訓練で高齢者の認知機能が向上することを確認 -訓練による脳活動の変化を高齢者で初報告-”.京都大学 ホームページ.最新の研究成果を知る.2020年12月24日.https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2020-12-24-0,(参照2022年09月08日).

[12] 国立大学法人 京都大学.“楽器演奏経験と高齢期の認知機能”.K.U.RESEARCH ホームページ.アカデミックデイ.アカデミックデイ2019.https://research.kyoto-u.ac.jp/academic-day/a2019/a2019-p032/,(参照2022年09月08日).

[13] 科学研究費助成事業データベース.“パーキンソン病の非運動症状に対する音楽療法の有効性”.KAKEN ホームページ.研究課題をさがす.2021年12月27日.https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20K16598/,(参照2022年09月08日).

[14] エーザイ株式会社.“アルツハイマー型認知症とは?原因と症状”.相談e-65.net トップページ.原因・症状.認知症の種類ごとの原因と症状.2021年12月22日.https://sodan.e-65.net/basic/symptom/alzheimer/,(参照2022年09月08日).

[15] エーザイ株式会社.“Molecular target アミロイドからオリゴマーへ アルツハイマー病(AD)の病因メカニズムに関する最新知見”.Medical.eisai.jp トップページ.製品情報.アリセプト.アリセプトに関するお役立ち情報.早期認知症のバイオマーカー・心理・臨床.https://medical.eisai.jp/products/aricept_topics/widescope/02/,(参照2022年09月08日).

[16] 国立大学法人 京都大学.“Synaptic vesicle protein 2B negatively regulates the amyloidogenic processing of AβPP as a novel interaction partner of BACE1:新規BACE1結合蛋白であるシナプス小胞蛋白2BはBACE1によるアミロイド前駆体蛋白の切断を抑制的に制御する”.京都大学学術情報リポジトリ KURENAI ホームページ.002 学位論文.060 博士(医学).2020年07月17日.https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/254509,(参照2022年09月08日).

[17] 国立大学法人 京都大学.“産学共同講座一覧”.京都大学 大学院 医学研究科・医学部 ホームページ.組織・スタッフ.https://www.med.kyoto-u.ac.jp/organization-staff/collaboration/,(参照2022年09月08日).

[18] 国立大学法人 京都大学.“アルツハイマー病特有のアミロイドβ立体構造に特異的な抗体の開発―より正確な診断手法への応用に期待―”.京都大学 ホームページ.最新の研究成果を知る.2016年07月06日.https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2016-07-06,(参照2022年09月09日).

[19] 国立大学法人 京都大学.“アルツハイマー病のより正確な診断手法”.K.U.RESEARCH ホームページ.アカデミックデイ.アカデミックデイ2016.https://research.kyoto-u.ac.jp/academic-day/a2016/a2016-p018/,(参照2022年09月09日).

[20] 国立大学法人 京都大学.“32_poster.pdf”.京都大学学術情報リポジトリ KURENAI ホームページ.900 京都大学シンポジウム・公開講座等.アカデミックデイ.アカデミックデイ2015.ポスター/展示.アルツハイマー病のより正確な診断手法.2016年09月18日.https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/216771/1/32_poster.pdf,(参照2022年09月09日).

[21] 国立大学法人 京都大学.“アミロイドβの毒性構造特異抗体の開発”.K.U.RESEARCH ホームページ.アカデミックデイ.アカデミックデイ2015.https://research.kyoto-u.ac.jp/academic-day/a2015/a2015-p049/,(参照2022年09月09日).

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