父娘問答【10】クリスマス編
クリスマスが近づいてきました。サンタさんに「サンタさんへ ウーニーズがほしいです」と物品請求書を作成した娘。すぐに気が変わって、室内であそべる鉄棒をご所望(どこに置くんだ・・・)。
娘「サンタさん、ちゃんと鉄棒くれるかなぁ」
父「お手紙ちゃんと書いたから、娘氏がよい子にしてたら、きっとサンタさんプレゼントくれるよ」
娘「さぁ、どうかなぁ。なんか違和感かんじるの」
父「えっ、なになに。もうクリスマスの裏事情に気づいちゃったの?」
娘「去年もらった白雪姫のDVD、なんかバースデイに売ってたパブリック・ドメイン版なのでは中廊下」
父「まず、中廊下はパパの持ちネタです。バースデイにあったかもしれないけど、サンタさんの近所のお店にも売ってるんじゃない?」
娘「そっかー。あと、この去年のメッセージカード、サンタさんが作ったわりには、いかにもイラレで作成した感があるんだけど、どうなんだろうねぇ。用紙はCanonの半光沢だし」
父「サンタさん、Creative Cloudのメンバーシッププランに加入してるんでしょ、きっと笑」
娘「そっかー。あと、クリスマスってなんかそもそも変だよね」
父「おっ!屁理屈きたな~。もともとはキリスト教の行事なのに商業主義が金儲けの道具にしちゃってて、宗教色が皆無なのに違和感を感じるんだね?」
娘「ブッブー。なにそのマセた中学生みたいなロジック。そもそもクリスマスはキリスト教の行事よりもさらに昔に遡る民俗行事だし。冬至の期間をはさんで行われる原始宗教の祭りが原型でしょ。集落に訪れる死者の霊に贈り物をする。その死者の霊を表象するのが、仮面をかぶった子どもたちだったんだよね」
父「はいはい、そうきましたか。グレアム・フレーザー『金枝篇』だね。贈与の精神が来年の実り豊かな収穫・増産を保証するんだよね。これが冬至じゃなくって夏と冬の境目になればハロウィンになるし、そう思うとお月見泥棒やなまはげの祭りなんかも同じ構図で興味深い」
娘「異なるヒト・トキ・コトをつなぐ祭り。だから神や死の世界と最も近いとされた子どもが贈与の対象となるんだよね」
父「そうそう。この贈与がもつポテンシャルに着目したのがマルセル・モース『贈与論』、それに啓発されたのがバタイユやレヴィ=ストロースだったね」
娘「原始の贈与経済って資本主義経済とは大きく世界観が異なるはずなのに、現代のクリスマスはそれが完全に合体しちゃってる。キリスト教化されたうえにさらにアメリカナイズされたのに面白いな」
父「たしかに。フィンランドのサンタクロース村にいるサンタさんも、アメリカンスタイルのサンタクロース・コスプレだよね」
娘「フィンランドだって古代の冬至祭にまで遡る贈与の精神がヨウルプッキだろうのに・・・」
父「アメリカ商業主義には勝てなかったと思うと複雑な気持ちになるね。あのサンタクロース=赤い服ってイメージだってコカ・コーラのCMで形成されたらしいからねぇ」
娘「あと、欧州のクリスマスがアメリカナイズされるキッカケが、世界大戦による荒廃と、その復興のためのマーシャルプラン=贈与ってのも面白い」
父「たしかにそうだね。キリスト教も資本主義もどっちも直線思考なのに、原始宗教的な円環構造がインプットされてる。とはいえ、贈与の振る舞いだけは残ってるけど、異なるものをつなぐってコンセプトは薄らいでるような」
娘「それにしても、原始から延々とつづく贈与の精神(=精霊)が、形をかえつつも現代にまで生き延びて、その贈与の精神に突き動かされた子を持つ親が、子どもたちへ贈与を施す。その精霊の働きを「サンタクロース」って総称するのってロマンチックだねぇ」
父「え!?いま何て言った?」
娘「あと、いつも笑いものにされてるトナカイたちが、年に一度だけサンタの聖なる仕事を補佐するってあの「赤鼻のトナカイ」って歌、なんだか天台座主や後醍醐天皇の輿を担いだ異形の民・八瀬童子を連想するよねー」
父「あの、話そらさないで・・・汗」
娘の思いはサンタさんに通じて、無事にご所望の品を手にすることができるでしょうか。物品請求書に従って、鋭意、納品作業に入りたいと思います。
(おわり)
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