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地下鉄乗ったら小学生が『住まいの設計』読んでて驚いた

地下鉄に乗ってたら、小学校低学年くらいの一団が乗り込んできました。最初は友達同士たわいもないおしゃべりが開演。途中で何人か降車すると、各自思い思いに座席で過ごし始めました。

そうこうするうちに、自分も目当ての駅に到着。降り際、座席に座る小学生をチラリと見てみたら、一人は児童書を読み、そしてもう一人はなんと、隔月刊『住まいの設計』最新号を読んでた。

小学生と『住まいの設計』

『住まいの設計』は元々『週刊サンケイ家庭版:新しい住まいの設計』として1961年に創刊。以後『新しい住まいの設計』として月刊化し今に至る一般向け住宅情報誌です。

主に設計事務所が手がけた住宅(ときどきハウスメーカー特集も)紹介するその雑誌は、少なくとも読者に小学校低学年は想定してない。そんな住宅雑誌を地下鉄での通学時に読む小学生に「いいなぁ~」と思いました。

なにが「いいなぁ~」って、小学生の彼が「住宅雑誌を読める知識・能力を身につけている早熟さ」に、じゃない。まるっと分かるわけじゃないはずの誌面という「ふしぎを素直に楽しめる力を失っていないこと」が心地よかった。

「ふしぎ!」という〈問い〉に突き動かされてものごとを吸収するとき、人はたくさんの「わからない」のなかから「わかる」ところをつかみだし、その「わかる」ところからゴリゴリとその対象の意味をこじ開けていく。誰もがそうやって成長してきた。

娘とディズニーガイド本

そういえば、娘もディズニーランドを満喫してからしばらく、その余韻にひたりながら『東京ディズニーランド裏技ガイド』を一生懸命読みふけっていたなぁ。

大人向けのしかも裏技ガイドって、わかるわけない。でもそうじゃない。わかるところから「わかるように」わかる。「ふしぎに突き動かされる学び」ってそういうもの。
 
「わかるように」わかるということは、わかったことが必ずしも適切ではないことを含意するでしょう。むしろ誤解してるほうが多い。でも、そんな「わかる」も次第に新たな「わかる」に上書きされていく。結果、たくさんの「わかる」の屍の上に「ふしぎ!」に突き動かされて掴んだ「わかる」がつくられる。

そんな、小さな頃には誰もがもっていた「ふしぎを素直に楽しめる力」も成長にともなって失ってしまっている気がします。「わからない」部分が不安になって「すべてわかる」ことを求める(=インスタントにわかることしか興味を持てなくなる)か、さもなくば、そもそも「わからないということから目を背ける」ようにもなったりする。

なぞなぞブームな娘

「わかるようにわかる」といえば、娘は目下、空前のなぞなぞブームです。たまにブックオフへ連れて行くと、なぞなぞ本の大御所・ぴょこたんシリーズや、なぞなぞのドリルノートをご所望される。家では机に向かって結構な時間かけて取り組んむこともしばしば。

なんとも興味深いことに、娘は出てくるなぞなぞをほとんど自力では解けないこと。「パパぁ、これ答えなに~」とか「答え見ちゃおうか~」とすぐ言い出します。

それもそのはず。たとえば、問:「『おれはあたまがいいんだぞ』といつもいばっているがっきはなあに?」、答:「リコーダー」。リコーダーという呼称も、利口という語彙も知らない娘が分かるはずがない。

さっき、「自力では解けない」と言いましたが、オチ自体の意味が分からないのだから、こちらが答えを教えたとしても「そういうことか~!」とはならないのです。でも嬉々として次の問題にとりかかる。

この娘の振るまいはこちらの常識をぶちこわす強度を持っています。それは「わかる」とか「できる」はモチベーションの絶対条件ではない、ということ。そして、正答しないもんだから、娘を褒める機会もない。人は元来わからなくてもできなくてもほめられなくてもワクワクできるんだなぁ。

いったい何が楽しくてやってるのか

じゃあ、何がモチベーション向上の条件になっているんだろうか。いろいろ考えてみた結果、少なくとも娘のなぞなぞブームとしては「不思議感」では中廊下、というのが目下の最有力仮説です。

ここであえて不思議に「感」を付けているのは、必ずしも不思議である必要がないようなので。そしてその不思議は解けなくてもよい(リコーダーが何か分からないのだから)。

ただ、「わかる」とか「できる」とか、さらには「ほめられる」がモチベーションの燃料となることもまた動かしがたい事実だろう。というかもっぱらそっちが主流な気もする。でも「不思議感」とそれらは決して親和的じゃない。人は(そして娘は)成長する過程で、モチベーション向上の燃料を次第に偏食していくのかもしれない。

「わからない」なかから「わかるようにわかる」ことで、新たな「わかる」を掴み取り、いま「わからない」ことに目を輝かせることができる。そして「わかる」や「できる」を超えた「不思議感」を燃料に新たな世界に飛び出していける好奇心。

小さな子たちの瑞々しい姿に元気づけられます。すっかり瑞々しさを失ったアラフォーおじさんですが、子どもたちの瑞々しさのメカニズムをほんの少し知れたりすると、ちょっとばかり心が保湿される気がします。

(おわり)

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