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虚像2 〜侵される人々〜この様な状況が続く程[地域活性化]の虚像に触れる人々が増える様だ

「地方創生」「地域活性化」
その様な事が叫ばれ出して久しい昨今
その声が止まないと言う事は、残念ながら
どちらも未だに成されてはいないと言う事だろう

私のいる群馬県桐生市も例外では無い
止まらない人口減少に超少子高齢化
大型企業の市外、県外への移転等
正に日本が直面している問題をダイレクトに
反映させた様な状態だ

「桐生を見れば日本が分かる」
そう言っても過言ではない程
見事に日本の縮図が投影されている様に思う
全国を見渡せば同じ様な地域が無数にある事だろう

この様な状況が続く程
[地域活性化]の虚像に触れる人々が増える様だ
皮肉な事に、その様な人々の増加が
街の衰退のパラメーターにすら成っている
当然と言えば当然の事だろう
本当の意味で地域に盛り上がりが有るのなら
地域を盛り上げる必要は無いのだから

[地域活性化]の虚像に触れた人々(以降 侵され人)の
大義名分は[地域貢献] と [地域活性化]
一見すると良い事の様に映るだろう
だが、残念ながらそうではない
それは一体どう言う事なのか
その辺を深掘りする前に
[侵され人]の特徴を先ずは抑えておこう

[侵され人]にはある一定の特徴がある
桐生市を例にして
その特徴を幾つか上げてみる

先ず[侵され人]は[イベント開催]を目的とした
コミュニティ(集団)を作る
触れ込みは勿論 [地域活性化]


次に企画する[イベント]の目的の矛盾だ
実は、遂先日も久々に[侵され人]が現れた
これを説明するのには
打って付けのエピソードなので
ここで紹介する事にする

「祭りの時以外、この街には人が出てこない。
でも、この地域の人はイベントが好きだから、こんなイベントを企画すれば人が集まる」と

前例漏れなく聞かさる事となったのだが
長年この地で商いに勤しんでいて
その様に思った事はないし、聞いた事もない

「この地域の人はイベントが好きだから」

この言葉の引き合いに良く出されるのが
年に一度、毎年8月に行われる※<桐生八木節祭り>だ


※<桐生八木節祭り>
この街を代表する夏祭り
毎年8月上旬の3日間開催される
起源は1656年と、その歴史は深く
3日間の総動員数は約50万人
北関東最大級の夏祭りだ


確かに桐生の人々の<桐生八木節祭り>への
思いは並々ならぬ物がある
祭りの時以外で街に人気(ひとけ)が無い事は
事実だろう
だが、この地域の人々は伝統を重んじているのであって[イベント]が好きな訳ではない

短絡的着想で自身の企画する[イベント]への
整合性を図ろうとする

これも大きな特徴で
その内容には必ず矛盾が生じる

今回のエピソードを例に取って
矛盾点を上げてみよう

「桐生祭り以外の時に人が集まらない」
そう唱え、それを解決しようと言うのであれば
桐生祭り以外の日、その他362日に人を呼び込む、無いし、集めようとする事が本来の問題解決の筈だ

[侵され人]の提示する解決策は
決まり切った様に1〜3日間の[イベント]
残りの366日、若くは362日はどう考えているのだろうか?

このエピソードより以前に
別の[侵され人]との会話の中で
この事を指摘した際、口論になった事がある
どうやら核心に触れてしまった様だ
それ以来直接指摘する事は控えている

つまり、彼らの目的は最初から
[地域活性化]では無く
[イベント]の開催に有ると言う事だ

仮にその様な[イベント]が成功したとして
盛り上がりを見せるのは
[侵され人]のテンションと地方紙の紙面だけだろう
そして、それが終わると何処かへ消えていく

何故この様な人々が度々現れては消えるのか?
主だった要因は人口の少なさと地方メディアだろう

次回、[侵され人]と[地方メディア]との関係
関連性の無い様に見える両者が
どの様な関わりを持つか
掘り下げて書こうと思う

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