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俺たちは闘うためにここに来たんだ

恥ずかしい話だが、体育会系の上下関係というものが肌に合わない。それもこれも全て、初めからそうだったからという理由であるが、改めて考えると特殊な話には違いないので、振り返ってみようと思う。

部活の話だ。
私にとって部活とは中学3年間の剣道部以外にはなくて、高校時代なんて、語るべき事は思い出せないぐらい、それに埋め尽くされている。

最初、ただ適当に家にラケットがあったからという理由で見に行ったテニス部で、上級生にまぁ、気が向いたら入れば?と言われ心底憤慨して拒絶してから、彷徨って入ったのが剣道部。

小学校から仲の良かった友人のYに誘われ、そこにまた、親しかった同級生がたくさん居たという、安易な理由だ。

当時、私の学校の剣道部は、女子が強豪で、3年、2年共に層が厚く、同じ1年も小学校からのエリート揃い、対する男子剣道部は3年が3人、はっきり言って弱小だった。
誘ってくれた同級生は昔から道場に通っていて、彼以外集まった7人、全員初心者からのスタートだった。

最初から意識が違っていた。
俺たち8人ははっきりと、闘うために集まった。
そして3年の3人は、だらだら所属する為に集まっていた。部室にはエロ本やゴミが散乱し、足の踏み場もなかった。3年は滅多に稽古に来ない癖に、来れば一丁前に道着を着て、稽古を始める。
俺たちはゴミ屋敷の掃除と道場の雑巾掛けと、素振り、奴らに見せつけようと、普通より遥かに声を張って、長時間素振りを続けた。
それでもまだ、奴らは先輩面だった。

ふざけるなよ、早く出て行け、俺らは闘う為にここに来たんだ。練習のためじゃねえんだよ。
不完全燃焼の一年は、こうやって始まった。

思えば、ちょっと悪い事をしていたような気がする。俺たちを集めたYは一人、先輩達に混じって稽古をし、終わった後に俺たちの稽古に付き合った。いかに俺たちが奴らとの一騎打ちを渇望したとしても、それをやるのはYだった。
太刀筋は教科書通り、体捌きも早く、俺たちより背が高い。鬱屈した所は一つもなく、やろうぜ!頑張ろうぜ!と、なんの衒いもなく言える、夢は学校の先生で、人を好きになることに真っ直ぐ。
Yがどこかに弱さを隠していたとしても、俺たちは見抜けなかった。そして、こうはなれないと思いながらも、どこかで憧れを抱いていた。

俺たちは沢山の間違いを犯した。
先達がいない状況の中、闘うことだけに命を燃やし、勝つ事だけを渇望した。意見の相違があれば、方針の違いがあれば一騎打ちで決めた。調整するなんて事は知らなかった。徹底的に戦って決める。
弱い事は罪ではないが、乗り越えない事は堕落だった。最初の8人は7人になった。
だけど、超えなければならなかった。俺たちは7人しか居なかったからだ。

初めての新人戦から、俺たちは泥臭い事ばかりした。
先鋒が引き分けに持ち込み、自分の番になった。
面金から見える世界はあまりにも拙かった。相手は遥かに体格が大きく見えた。
稽古通りに脚を運び、剣先で相手の面を刺せば、面金の視野の外から、同じだけの竹刀が飛んでくる。
逃げと分かってても小手を刺しても、旗は微動だにもしなかった。
時間は刻々と過ぎる。後ろに控える仲間の声が聞こえる。
鍔迫り合いに持ち込んだ時、相手の息遣いを聴く。何故だろうな、余裕に見えた相手の息は荒い。

交差し、離れ、面金から世界を見た。鉄格子で囲われた世界の只中に、大きな相手を見た。じりじりと思考が死んだ。はっきりと分かる瞼の触覚、瞳孔が広がり、真正面の黒装束の相手、それ以外の背景が、後退してゆく、なんだこれは、相手は足も動かない、なのに地面が動いてゆく、思考がすっきりと消え、足も、頭も、動かなくなった。相手の正中線、喉元に自分の剣先をぴたりと止め、近づいてくる相手に刺す。そして、吹き飛ばすように大声で気合とも言えない、唸り声を上げた。人の声ではない声が出た。俺は、自分は、僕は、人間、獣、ヒト、剣士、何でもない。俺は、戦うためにここに立ったんだ。目の前の相手を叩き潰す、その為だけにここに立ったんだ。
視界の向こう側で、相手が半身下げた事に気付いた。だが距離は近づいている。振り上げるでもなく、前に飛び込む形でふわりと両腕が宙に浮いた。道場の板を踏み抜くぐらいの轟音を立てて、面を打ち、抜けた。一本。
旗が上がり、我に返った時、相手の敵意が、微塵もない事に気付いた。

2勝2分け、初陣での俺たちの勝ちは決まった。中堅は相手の対格差に怯みもせず、強引に体当たりで相手の技巧を弾き飛ばして一本を取った、副将の幼馴染は粘り強い戦いで、格上の相手に一本たりとも許さなかった。

そして、大将のYの番になった。もう負けはない。そんなことは分かっていたけど、試合を終えても俺たちは昂っていた。戦え、戦え、戦え、戦え。
静かに、蹲踞の体制から身体を上げ、ひと際大きな気合を放ったYは、竹刀を高く構え、前に進み出た。大上段、火の構え。胴も、小手も捨て、ただ目の前の相手を真正面から叩き潰すためだけの構え。
それまで、俺たちよりはるか先を行き、先輩たちとの稽古の中では一度も見せたことのないその構えを、Yは堂々とこの場でやってのけた。それは、これまでの俺たちと、弱小と言われ続けた鬱屈を、全てこの時に傾けるための、その力だった。

俺たちはそれから、沢山の間違いを犯した。
沢山の言い合いも衝突も一騎打ちもやった。育てられなかった後輩もいた。大会の成績は振るわなかった。
女子が表彰式に上がるたび、俺たちは苦々しい顔をしていたし、女子も女子で、俺たちが敗退して荒れ狂う度、不安そうな顔をしていた。
そして、俺たちは最後の試合を終えた。散々な結果を受けて、落胆しながら、報告の言葉を綴っていた。

Yは最後に、自分にこう言った。
「お前は、剣道をずっとやり続けると思うよ」
ずっと憧れていたYは、小学校の時と変わらぬ声と口振りで、そういった。
俺たちはバラバラの高校に進学し、剣道から同じように皆離れた。続けたYの評判は、並程度の実力、そんな話ばかりだった。
俺はそんな評判を聞きたくなくて、その道から外れ、自分勝手に剣を振り続けた。

俺たちは、勝ち続けなければならなかった。戦い続ければならなかった。先達のいない、たった7人しかいないつながりの中で、勝ち続けなければならなかった。

Yの言った言葉は、本当だったと今は思う。
俺は、形は変わったかもしれないが、邪の道に走ったかもしれないが、未だに剣を振り続けているし、捨てられなくなった。
振り上げるその前には、いつもまっすぐに立つ、Yの姿が目に浮かんでいた。大上段、青眼、まっすぐに自分の顔から剣先を外さなかった。いつも、いつでも、超えようと思っていた。かき消そうと思っていた。憧れていた。お前のように強く、お前のようにまっすぐ、お前のように誠実に、お前のように愚直に、お前のように快活に、真正面から断ち切るYの幻影は、消えなかったし、消えてくれなくて構わなかった。Yはいつだって俺に寄り添っていた。それが不満の爆発でも、苛立ちでも、迷いでも。

だけど、誰かに届けようと思って切り下ろした剣の先に、Yの幻影は見えなかった。振り下ろした掌の熱と反対に、気持ちは冷たく、澄み渡っていた。

どうしてそんなことを言ったのか、分からない。
だけど、俺は剣を手放せなくなって、その峰ではなく、我が身に誰かの気持ちを抱くようになった。こんな気持ちだったんだろうか。そして、俺は今、どういう人間なのか。

なあ、もしかしたら知っていたのかな。
Yも今、どこかで戦っているのだと思う。過去、過ぎ去った人々にまた会いたいなんて思ったことはないが、お前だけは別だ。だからいつか、いつかな。間違ってしまった俺が、誰かの心を乗せて、お前と会って、話して、酒を酌み交わしたりなんかして、そして、本物の真直ぐで曲がらなかったお前と、戦いたいんだ。

俺は、お前は、そして俺たち7人は、戦うために集まって、戦うために同じ時を過ごして、戦うために衝突して、戦うためにいがみ合って、戦うために生まれたんだ。

俺たちは、沢山の間違いを犯した。それだけ戦いたかった。これを書いている俺も、そういう剣を振り上げながら、胸が詰まりそうな思いを持ちながら、恋焦がれるように猛りながら、戦うために生まれたんだ。

俺たちは、間違っていないんだ。

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