すべての挑戦は「おままごと」から始まる
どんなチャレンジだって、最初は目も当てられないくらいに「しょぼい」。
ツイッターなら、ひと桁のフォロワーから始まるし、イベントも知り合いだけのこじんまりとした集まりから始まるだろう。ブログだって、たったひとつのさみしい記事から始まる。
ふと他人のツイッターを見ると、すでに何千人ものフォロワーを抱えた人がゴロゴロいる。盛り上がってるイベントも多いし、すごいPVを叩き出しているブログもわんさかある。
「なのに……なんで自分のは、こんなにしょぼいんだろう。こんなもの、おままごとにすぎないんじゃないか……」
そうやって、勝手に落ち込んでしまう。
すでに成功しているもの、世に受け入れられているものと自分のチャレンジを比べてしまえば、どうしたって自分の挑戦は「しょぼく」思えてしまう。「こんなもの意味ないのではないか」と早合点してしまう。そこで、せっかく始めたチャレンジをやめてしまう人も多い。
でもーー。
すべてのチャレンジは「おままごと」から始まる。ダサくて、しょぼくて、恥ずかしくて、虚しくて。どんな大プロジェクトも、歴史に遺るような偉業も、最初はそういうところから始まるものなのだ。
本田宗一郎や孫正義が、みかん箱の上で朝礼をしていたというのは有名な話だ。Appleだってガレージから始まった。Facebookだって大学の出会い系サイトから始まった。冷静に考えてみれば、いきなり立派なものなどつくれない。当然のことだ。
「中二病」を完治させてはならない
先日、「アイスと雨音」という映画を観た。はじめて演劇の舞台に上がる若者たちの話だ。
若いとき特有のいびつな自意識を抱えて演劇に夢中になっている姿は、観ているこっちがちょっと恥ずかしくなる。からだ全体にエネルギーが満ちていて、感情を爆発させている。ぼくは「イタいな」とも思ったが、一方で「すごくうらやましい」とも思った。
若者たちの初舞台は「大人の事情」で急遽中止が告げられる。でも、彼ら彼女らは、その現実との折り合いがつけられない。さてそこから若者たちはどうするのかーー。この先の話は伏せておこう。
自意識過剰で、エネルギッシュで、まさに「中二病」全開の若者たち。誰かから見たら「おままごと」のようなものだろう。でも、若者たちはそんなことは微塵も思っていない。目の前だけが宇宙なのだ。
人は大人になるにつれ、チャレンジを避けるようになる。「いまからやってもバカにされるだけ」「現実的に考えてむずかしい」「すでに成功者がいるから追いつけない」「効率的じゃない」「儲からない」……あらゆる理由をつけてチャレンジをしなくなる。
だからこそ、「中二病」は必要なのだ。
中二病は揶揄されがちだ。しかし、中二病が完治したとき、人は目が死ぬ。感情のないロボットとして余生を過ごしたくないなら、中二病を完治させてはならない。
チャレンジの草創期は、客観的になりすぎてはいけない。「これが業界を変えるのだ!」「世界を変えるのだ!」という中二病的な「勘違い」が必要だ。
すでに成功している人は、これから出ていこうとする人をバカにするかもしれない。すでにお金を儲けた人がこれから儲けようとしている人を「お金儲けなんて、ねえ……」と冷ややかな目で見るかもしれない。
でも、挑戦者はそういう声に耳を傾けてはならない。どうせ「おままごと」なら「最強のおままごと」をすればいいのだ。バカにされても、意味ないよと言われても、ぼくらは歩みを止めてはいけない。
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