自伝”光の啓示”「第3章 インドへ!」
んにちは、現在は世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しているTakayuki Hibinoと申します。
定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。
世界情勢が急激に変化していく中で、16歳からきびしい世の中をサバイバルしてきた私の経験が少しでもあなたにお役に立てれば幸いです。
第3章 チャンスは作るモノ。のつづき そして、インドへ!
1カ月と1週間を過ぎたころ、
ナレンダーが母国から戻ってきた。
ナレンダーのテンションもMAXで、
帰国中は、この展覧会の実現にむけ
彼の地元ハイダラバートとニューデリー、
そしてムンバイを勢力的にまわって、
インド側のスポンサーや政府関係者に協力を要請した。
結果は、みごとICCRキャラリーのブッキングに成功し、
「日本・インド芸術文化交流巡回展」を開催することが
現実となった。
やはり、うまくいくときは自然にうまくいく波がある。
その波に乗っている時は大胆な行動をしてもうまくいく。
いい波のお陰でいきよいもある。
それにしてもナレンダーのポジティブシンキングは、
並みじゃない。
見習おう。
「日本・インド芸術文化交流巡回展」の会期は、
1999年1月7日~2月中旬まで、
巡回の場所は首都ニューデリー、
ハイダラバードの各ICCRギャラリー。
そのため、1998年12月下旬にはインドに
向かうことになった。
私は日本側のアーティストの代表になり。
さっそく参加アーティスト達とミーティング。
インドの展覧会か現実になることをみんなで喜び、
心を躍らせた。
なにせ日本側の参加アーティストは、
写真家の青山氏を除いて初めて訪れる国で、
青山氏の話を聞いてワクワクが半端ない。
それに、約2カ月の滞在となれば、
会期中にインドを満喫できるからだ。
とにかく、いまは作品制作に集中して
もらうようにお願いした。
しかし、まだ問題がある。
参加アーティスト達の作品をインドへ
どういうふうに運ぶかだ。
美術輸送には大まかに3つのケースがある。
輸送コストの高い順に
・航空便
ドアツウドアで、梱包から国内外輸送、保険、関税などすべてを
運送会社に委託する方法。1~2週間程度で現地に届く。
・海上船便
ドアツウドアで、梱包から国内外輸送、保険、関税などすべてを
運送会社に委託する方法。2~6カ月程度で現地に届く。
・手持ち荷物で運ぶ
すべての作品を自分で、自宅から現地運ぶ。
梱包から国内外輸送、保険、関税などすべてを
自分でおこなわなければならない。
この場合の一番の問題は関税だが、展示品を保税・免税扱いで
搬入・輸入するための手続きおよび販売手続きには3つある。
展示品を日本へ保税扱いで搬入する手続きについて、3つのケースを説明します。
今回の輸送法は、どれを選ぶかだが、
航空便は輸送の期間が短いが費用がかかり過ぎる。
船便は航空便より費用がおさえることができるが、
輸送の期間がかかり過ぎる。
したがって、自分たちの手荷物として運ぶしかない。
この場合の問題は、手荷物の重量オーバーの超過金と税関だ。
しかし、ナレンダーがインドでのATAカルネを発給と、
インド政府の展覧会開催のオフィシャルレターがある。
これで、税関も問題ない。
重量オーバーの超過金も航空便の何十分の1に
おさえることができる。
今回は、これで行くしかない。
すべてが初めての経験、
しかし、アート活動を始めていらい初めてばかりを経験してきた。
なにもわからず、ずっと「初めて」をやってきた。
「初めて」はやってみなければわからないことばかりで、
初めからわかる場合と、後で初めてだということが
わかる場合もある。
しかし、夢中でそれを続けてきたおかげで、
慣れたというか免疫ができ、
トラブルが起きたらそのときに解決すればいい、
とのかくトライする。
とういうマインドに、自然になった。
そんなこんなで問題をかたづけながら数カ月が過ぎ、
とうとう12月になった。
ナレンダーは12月初旬、
あらかじめ私たちのインド受け入れ準備のために
ひと足先にインドヘ向かった。
そして、24日のクリスマスイブの深夜、
日本側の参加アーティスト達とその作品で、
ギュウギュウ詰めになったワンボックスカーに乗り、
関空へ向かったのである。
つづく
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