自伝”光の啓示”「第3章 『日本・インド芸術文化交流巡回展』プレオープンがはじまった」
こんにちは、現在は世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しているTakayuki Hibinoと申します。
定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。
世界情勢が急激に変化していく中で、16歳からきびしい世の中をサバイバルしてきた私の経験が少しでもあなたにお役に立てれば幸いです。
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第3章 気合い一発!のつづき 準備万端。
ナレンダーの実家からハイダラバードへもどった私は、
「日本・インド芸術文化交流巡回展」の準備のため、
動きまわっていた。
作品の額装もよくできている。
展覧会のカタログも出来上がり、
いよいよ始まる実感がわいてきた。
1999年1月5日
ゴアに行っていた、他のメンバーも無事に戻ってきた。
みやげ話を聞く暇もなく、
参加メンバー、ボランティアなど全員総出で、
ICCRギャラリー集合し、
作品の設置をはじめ展覧会の最終準備にとりかかった。
ハイダラバードのICCRギャラリーで、
日本人作家の作品を展示することは初めてなことで、
政府のギャラリー担当者も興味しんしん、
作品設置中にもかかわらず、
それぞれの作品についていろいろ聞いてきた。
忙しいあい間に対応しながら作業を指示、
さすが政府のギャラリーは広い、
日本とインドの芸術文化交流を
作品を使ってどう演出するか、
インドの日常にはない空間にしなければならない。
訪れる人々がイメージしている日本というものを
がらりと変えてしまうような発信したい。
明日はプレオープン、
そして、1月7日に一般公開が始まる。
インドの人たちはどんな反応をするのだろう。
楽しみで仕方がない。
作品の設置は思ったより早くおわり、
ホテルに戻り、レストランで最終打ち合わせ。
明日のプレオープンは、招待者と関係者、マスコミの取材のみだが、
まずはプレオープンの成功が課題だが、
なぜだかみんな楽観的にとらえていた。
それをみて、私は日本人作家の代表の立場に、
力を入れ過ぎているかもしれない。
そうだ、「光の啓示」から、
この十年間は人に何を言われようが、
ホントの自分を取り戻し、
充実して楽しいた日々だった。
もっと肩の力をぬいて、
いまこの瞬間を楽しもう。
楽しく生きていることを実感することが
どれだけ幸せなことだろう。
話は変わるが、
今日は2020年4月8日、
新型コロナウイルスの蔓延を押さえるために、
昨日、国が「緊急事態宣言」を発令した。
私は、もともと引きこもって技法の開発と作品制作を何十年もしてきた。
アート界で生き残るために、
マインドはハンパなく鍛えられているし、
サバイバルする方法を独自にしてきたいろいろな方法が、
この緊急事態に役だっている。
なにより落ち着いて、冷静でいられる。
アート活動を初めて30年以上続けてきた経験が、
ここでは生かされている。
今日も健康で今までと変わらず、
変わらないライフスタイルを送れている。
今、無理せずにストレスもなく、元気に生きていて、
自分にとっての普通の生活が送れている。
世界や我が国が混乱している中で、
普通に生きていることは、幸せなことだ。
また、脱線した。話をもどそう。
1999年1月6日、ハウダラバードのICCRギャラリーでの
「日本・インド芸術文化交流巡回展」プレオープンがはじまった。
300人以上の人々が訪れ、
TV、新聞など沢山のマスコミが取材する中、
インド式のテープカット、政府関係者の祝辞からの
ナレンダーがこの展覧会の説明演説、
その後作品ひとつひとつへ移動しながら作家と作品の説明をしていき、
ひと通り終わると、オープニングパーティが始まった。
参加アーティストたちも、
それぞれの作品に対する説明や質問に答えていた。
心配していた問題も起こらず、
プレオープンは大盛況で大成功した。
明日は、いよいよ一般公開が始まる。
プレオープンオの様子は、TVのニュースで放送され、
明日のいくつかの新聞の朝刊にも載る、
「日本・インド芸術文化交流巡回展」の成功への期待も膨らんだ。
プレオープンだった。
つづく
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