見出し画像

光の啓示「第2章 支援者(パトロン)との出会い」

こんにちは、現在は世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しているTakayuki Hibinoと申します。


定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。

第2章 前例がない!のつづき 支援者(パトロン)との出会い。

1995年~1996年の賞ラッシュをきっかけに、
もう一つ広がっていったことがある。
それは、ファンや支援者(パトロン)との出会いだ。

個展やアートイベントなどで出会った方々や、
紹介などでアート活動を支援してくれる
かたがたとの出会いが増えていった。

アーティストたちとの出会いと同様に、
このファンや支援者(パトロン)の方々との出会いも、
今後のアート活動を大きく左右する。

いくら作品をつくっても、
売れなければ続けていくことが不可能だからだ。

アート活動もそうやって支えてくださる方々がいてこそ
次につながる。

出会いというものは不思議なもので、
先回の終わりにお伝えた、
1997年のアートイベントのライブペイントで描いた一枚の絵が、
超セレブとの出会いにもなった。

アートイベント終了後、
ライブイベントで描いた2枚の絵が大きすぎて保管に困った。
F200号(2590mm×1940mm)サイズが2枚、
普通の家の玄関には入らない、
倉庫に入る大きさなのだ。

しかし、倉庫を借りる余裕もない。
キャンバスを木枠から外して、
作品を捨てるなんて、ありえない。
とりあえず、画材ショプが預かってくれたが、
期間は1カ月もない、
それまでに入るところを探さねばならない。

画像1

困っていると、なぜかファンのひとりの人の顔が浮かんだ。
そうだ、あの人に聞いてみよう。

さっそく連絡し、作品のサイズを伝え、
この作品が入るところを紹介してほしいと願いした。

そして数日後、連絡があった。

ふたつ描いた絵の内、
太陽の絵を気に入った方がいて、
幸いその家は大きく、玄間も広いから入るとのことだった。
しかも、作品も購入してくれるとのことだった。

ありがたい。
感謝、感謝しかない。

さっそく額装して、数日後その方の自宅へ向かった。
着いた場所には、ドデカイ家が建っていた。

マジか、どんな人が住んでいるのだろう。
デカすぎる。

玄間もデカイ、
これなら作品が入るとひと安心。

お手伝いさんに家の中へ招きいれられ、
家の中へ、
あいにくその家のぬしは多忙で不在だった。

玄間で待っていると、
ママから電話ですと電話がある場所へいき

話すと、作品の設置場所を指示され、
設置をお願いされて会話は終わった。

指示された場所に作品を設置して、
作業終了!

無事、作品をおさめることができた。
それにしてもデカイ家だ。

お手伝いさんにあいさつをして、帰った。

翌日、紹介者から連絡があり、
その家のぬしを教えてもらった。

そのドデカイ家のぬしは、なな、なんと、
誰もが知っている日本一のカレーチェーン店の創業者の家だったのだ。
超驚いた。

作品の搬入までは苗字しか聞いてなく、
何をしている人なのか聞いてなかったからだ。

自宅にいなかった理由も、
仕事で多忙だからだろう。

それにしても、

私がアートを始めなければ絶対合うことがない方だ。
もし仮に出会ったとしても、
私が会社員だったら絶対スルーされる。

アートには私が思っている以外の
なにか違う力が働いていること。


そして作品を制作して発表するだけが、

アーティストはではないと、

思い始めたのもこのころだった。

私はバリ島の「光の啓示」以前は、
アートにまったく興味がない人間だったので、
アートやアーティストの社会的役割なんて考えたこともなかった。

アーティストはなぜ存在しているのか?
アーティストの役割とは何だろう?
常にそれを意識して考えるようになっていた。

?画像

なぜ?

他のアーティストとの出会い、ファンや支援者(パトロン)の方々との出会いそして、アート活動の広がり。

あれ?
気がつたら、みんな私を「アーティスト」として認知し、
「アーティスト」として扱っていた。

「先生」とよばれるようになっていた。

バリ島の「光の啓示」を信じて、
ひたすらやり続けただけなのに。

「信じる者は救われる」というが、ほんとうだ。
信じてやり続ければ目指すところにいけることは、
私が一番実感している。

それにしても、帰国しアートはじめてからのいろんな人々との縁は
ホント妙なことだとつくづく思う。

これも、「光の啓示」のおかげなのか。
あの光は、「神」だったのか。
「アートの女神」がほほ笑んだというのか。

「光の啓示」は、ほんとは何を伝えたかったのか。

だた、「アートを一生すること。」ではないような気もしてきた。
それにしても、
「なぜ?」私なのだろう。
客観的に考えてみても、わからない謎。

「なぜ?」だろうか、
その後、この「なぜ?」が、どんどん膨らんでいったのだった。


つづく

ここから先は

0字
このマガジンを購読すると、光の啓示を毎週お届けします。月に2ほん以上読むなら、購読のほうがお得です。

光の啓示

¥500 / 月 初月無料

1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになったある出来事から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていきます。

よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!