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自伝”光の啓示”「第3章 ハイデラバードに一人ぼっち」

こんにちは、現在は世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しているTakayuki Hibinoと申します。

定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。

世界情勢が急激に変化していく中で、16歳からきびしい世の中をサバイバルしてきた私の経験が少しでもあなたにお役に立てれば幸いです。

私のHPはこちら
http://takayuki-hibino.wixsite.com/takatyuki-hibino

第3章 衝撃の逆立ち!のつづき 一人ぼっち。

ホテルの部屋も変わることができず、
あいからずダブルベットに
むさくるしい男2人で寝ている最悪の日々がつづいていた。

「日本・インド芸術文化交流巡回展」は、
ナレンダーの地元ハイデラバードからはじまる。
1999年1月7日~21日までだが、
私は日本人アーティストの代表なので、
インドでの行動が他の参加アーティストとは
まったく違っていた。

他の日本人の3人は12月30日から
ゴアのニューイヤーパーティーに参加するために、
新年5日ごろまで観光に出かけた。

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私一人ハイデラバードに残り、
ICCRギャラリーとの打ち合わせから、
州政府各関係機関・スポンサー・友人などにあいさつ。

輸送コストを極力節約するために作品の額装していなかったので
現地での作品の額装。
展覧会ボランテアとの打ち合わせなどなど、
スケジュールをこなすために、年末まで動きまわっていた。

日本を出発して以来、
すべて初めての経験、
ずっとプレッシャーと緊張がつづいている。
そのため展覧会が始まる前に少しつかれていた。

そして、1999年1月1日新年を迎えた。
みんなはゴアで楽しいニューイヤーパーティーを
満喫しているときに私はどこへもいけず、
ひとりぼっちでハイデラバードのホテルの一室にいる。
水があわなかったのかお腹の調子も悪く。
トイレの便器が唯一の友達になっていた。

しょうがないことだが、
日本人代表はこんなにつらいことを実感した。
他の文化交流やスポーツイベントの代表も
さぞ大変な思いをしているのだろう。

ときおり来る腹痛とさみしさに涙がこぼれてきた。

インドで迎えた元旦の朝、
いつものようにナレンダーがホテルに迎えに来た。

ナレンダー:タカさん、今日は私の実家の村に行きます。

私:その村まで、どのぐらいかかるの。

ナレンダー:5、6時間です。

私:そんなに・・・・日帰りなの。

ナレンダー:だいじょうぶです。

何が大丈夫かはよくわからないが、
ひとりぼっちのさみしさを
まぎらわすにはいいかもしれない。

私:OK、行きましょう。

ナレンダーも私のことに気を使ってくれたのだろう。
腹痛の不安もあるが、ナレンダーの提案にのることにした。

そして、車にのり村へ向かった。

車窓からながめるインドの景色、
いま、インドにいる。
バリ島の「光の啓示」から10年たって
思いもよらないことが次々とおこり、
海外での展覧会も実現した。
この十年はホント夢の中に居るみたいだ。
すべてがうまく回っている。

時間も12時を回り、ランチをすることになった。
しかし、毎日朝昼晩とカレー攻めに、
うっ、お腹が・・・・・。
しかし、ハイデラバードの郊外になると、
レストランにもトイレがない、
どうする。

そう、そこらへんで野○○をするのだ。
しかも、お○をふく紙もない。
なんにもない。

そこでナレンダーから渡されたのは、ペットボトルの水。
終わったらこれでお○を洗えということだ。

解放感に満ち溢れた野○○を終えて、
村に着くまでトイレはあるのと聞いた。
答えは、「ない。」予想どおりだ。

まあ、解放感と引き換えに野○○になれるしかない。

その後、数時間は腹痛と解放感を繰り返し
ようやく実家の村についた。

まず向かったのは、村の小学校、中学校、高校と
ナレンダーの母校。

ひと通り見学を終え、ナレンダーにどうして
母校に連れて行ったのか聞いてみた。

ナレンダー:この村に日本人が来るのはタカがはじめてだから。

マジか、初めての日本人。
学生からすると初めて見る、外国人が私なわけで、
そりゃみんな珍しそうにするわけだ。

それにしてもみんなニコニコしている。
素直でけがれがない笑顔が印象的だった。

その後も、いろいろあいさつ回りにつきあい。
夕方、やっとナレンダーの実家についた。

インドの田舎の家は、
壁一面に家畜のヤギのう○○がはりついていた。
乾燥させて燃料にするのだ。
自然と共存し、自給自足の生活スタイル。

レンガづくりで二階建てだが、
二階の部屋には窓枠だけでサッシがついていない。

ご両親や兄弟など家族にひと通り挨拶をすませ、
休憩する時間もなく、
他の親戚や友人のところに
あいさつ回りに出かけることになった。

まったく、ナレンダーにつきあうのも
大変だ。

困ったのは、お腹の調子が良くないことだ、
あいさつ回りをするたびに、
おもてなしのチャイにお腹もガバガバ、
そのおかげでどんどんお腹の調子が悪くなるのでした。


つづく

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