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禅語

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2週間に一度記事をアップします。 禅の世界で言われる言葉には、含蓄のあるものが多くあります。そのような言葉をアップしていきます。
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#ストレス

外に求めるというこだわりを捨てよ #禅の言葉

声(聞こえる言葉)や色(目に見える色・形)にこだわるのは、「外に福を(利益を)求める」のと同じ…

TakHirao
8日前
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分別すれば相応した影が現れる #禅の言葉

ああだこうだと分別すれば、それに相応する偏りが出てくる。何事も空だと自覚した途端に空見に…

TakHirao
3週間前
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大器晩成す #禅の言葉

仏法の大意を問うても、禅師は言葉では答えようとしない。どの禅師も同様だ。しかし、修行者は…

TakHirao
1か月前
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悟る前と、悟った後 #禅の言葉

衆生を斉度しようとする菩薩の想いは、非常に気高い。禅の修行は、菩薩を目標とすべきだ。ただ…

TakHirao
1か月前

あれがいいか、これがいいか、などと考えるな #禅の言葉

あれがいいか、これがいいか、などと考えるのは妄想であり、恥をかくことになる。このことを、…

TakHirao
2か月前

真理をどう表現するか: 一円相 #禅の言葉

禅の世界では、悟りや仏性や真理や宇宙全体などを「○」のように、一つの円の形(一円相)で表現…

TakHirao
2か月前

修行して悟り、利他する #禅の言葉

修行のスタートは、「この世の中に真実の道は一つしかない」と信じて分別を無くしていくことである。悟って、そしてさらに悟後の修行で、世の内実と外観ともに仏の現成としてありのままに捉えるようになる(得悟)。それができるとさらに、衆生済度(垂手)行じて行くのだ。 一句に三句を明かし、三句に一句を明かす  禅の究極のところを表す一句を三句で明らかにし、逆に三句をもって禅の究極を明らかにする。要するに、一句だろうが三句だろうが、それぞれが独立して明かしていく。いわば、言語、思慮の及ばな

真の自己は智不到と言える #禅の言葉

心(しん)とは、全てのものが常に活動・変化し続けていることを表す語であり、真の自己とか本来…

TakHirao
3か月前
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文言へのこだわりが執着ということ #禅の言葉

私たちの周りに起こっていることは瞬間の姿であって、常に変化していると知るべきだ。諸法に常…

TakHirao
4か月前
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悟っていない時には何かに付いている #禅の言葉

悟っている人と悟っていない人の差は、「何かにこだわっているかどうか」にある。悟っていない…

TakHirao
4か月前
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優れたもの同士のやりとり #禅の言葉

互いが禅師と呼ばれるような人は、問答においても精神集中して真剣勝負をする。そのことを、「…

TakHirao
4か月前
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よかれと思って人のために尽くす #禅の言葉

昔は、自分が死んでいく時に三途の渡し賃として棺桶にお金を入れていた。しかし、そのお金まで…

TakHirao
5か月前
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師は、弟子に足元を見させようとする #禅の言葉

生への執着というのは、「死」という先にあるものを見ているからこそ起こってくるものである。…

TakHirao
5か月前
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仏祖は神聖なものではない #禅の言葉

仏祖は特別であり、神聖なものだと思ってはいないだろうか。 それは、ただ単に修行の結果としてあるもの。仏祖と呼ばれる人は、輝いて見えるのでもなく、一見愚者であるかのように見えるものである(大智は愚の若し)。 不采(ふさい)を佯(いつ)わる底  采(いろどり)や飾りなどいつわる人。いわば見た目には、びっこで、けがなどしていて指や手がなく、ボロボロの着物(繿繿、らんらん)を着て、髪の毛がクシャクシャ(纉纉、さんさん) 、何も優れたところを見出せない(百不能)ような人だ。 何も