見出し画像

30年以上の歴史がある地方の中小企業が5年かけてDXモードに入った話。

こんにちは、地方の中小企業のDXモード促進の事業をして5年になります、たかゆきです。DX化という言葉がしっくり来ないので、DXモードという言葉で書かせていただいてます。「DXは状態である」というのが当社の考え方でDXはできる、できないの問題ではなくDXモードに入っているというのが一番しっくりきてます。

今でこそ弊社トムスはDXモードを企業向けに促進する事業を営んでいますが、5年前までは本当に古い体質で、DXモードを促進できるような企業になるとは想像もできませんした。

5年前のトムス は絶対にDXモードに入れるはずのない会社だった


5年前のトムスを思い返すとDXモードではなかったなというポイントはたくさんあったなと、懐かしくなりますが、こんな会社だったという記録として箇条書きしてみます。書いてみると思うのですが、DXモードに絶対に入れない会社の特徴、DXごっこしてガワだけで遊んでる会社の特徴そのものだったなと思います。

  1. ビジョンもミッションもバリューも何もない

  2. 社員人件費は投資ではなくコストという考え方

  3. 毎年見るのはPLで中長期の戦略思考、実行に時間を一切使わない

  4. 上司は部下に不安の転嫁として「数字をつくれ」といって安心する

  5. 会社は社員を信頼せずに無駄な管理をして、社員は会社を信用してないので無駄なルールだけが増える

  6. 会議は一方通行の会議で、メンバーが発するのは数字の報告のみ

  7. 役職は飾りで、給料が高いだけの平社員

  8. もちろん副業なんてNG

  9. 社員同士が仲良くなく、チームという概念は形だけで個人主義

  10. 基本的には性悪説
    ※ ちなみにこの当時私は課長というポジションでした。

他にも書けばキリはないのですが、まあ今相談きたら「大変な会社だな」という印象を受ける企業だったということです。実際はこういう特徴を持った企業が地方にはたくさんあるのが現実なんです。


感じていた違和感と不安から全ては始まった


5年前当時で、トムスは30年リサーチに関する事業を営んできましたが、固定化された顧客で、市場も顧客も広がることもなく、親会社やグループ会社からの仕事をこなして、数字を作る真似事をしていたという印象で、拡大という余地はなかったように感じます。社員の給与を上げれば売り上げは変わらないので経営が厳しくなるという悪循環・・・2022年現在のインフレかだと同じような会社多いかもしれませんね。私は、昔ら心配症で、社員がどう感じていたかはわかりませんでしたが、トムスの将来に対しておぼろげに不安を覚えていました。「この先利益も伸びることもなく既存顧客が減ってしまう流れになった時にどうなるんだろう」と。社員も仕事が早く終われば早く変えるだけの社員。このままだと未来はジリ貧だ・・・と。

新しい市場、新しい事業、新しい利益を作らないと。そんな時。

不安をもつなか、孤軍奮闘というと他の社員に悪いですが私なりに新しい事業を考えたり動いたりしていました。しかし、1人では限界がある。そう感じた時、「社員みんなが自分の業務に時間の余裕を作り、事業の仕掛けなどを自発的に動けるようにできないか?」そんなことを思うようになっていました。
しかし、早く終わった時に何をさせていいかも決まっていない当時の会社ではどうしていいかわからなかった・・・
評価に使用する目標管理には数字目標しかないため、数字さえやればそれでいい。そんな状態でした。


「THE VISION」との出会いがDXモードのスタートだった

「社員みんなが自分の業務に時間の余裕を作り、事業の仕掛けなどを自発的に動けるようにできないか?」と考える先に、何をさせるかをしっかりと伝えなければならないという考えが強くなってきました。
そのタイミングで本を読みあさっていた時に出会ったのが、
江上隆夫氏著の「THE VISION」という本です。
https://www.amazon.co.jp/VISION-あの企業が世界で成長を遂げる理由-江上-隆夫/dp/4023317519
今では江上氏のノウハウをお借りしてワークショップなどやるようになりましたし、本当に感謝しかありません。
ここがトムスがビジョンを作り、社員が自走する組織へ変容していくスタートだったのです。


ビジョンを作り、社員が迷わずに前に進める環境をつくる

まず最初にやったこと。おわかりの通り「MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)」を作ることでした。まず、江上氏のビジョン作りのワークショップに参加させていただき、ビジョン作りの方法を学び、それを会社に戻りプロジェクトチームを作り実施しました。
作成には3ヶ月程度かかりましたが、
当時のビジョンは「積極的マーケティング都市静岡を作る」というマーケティング会社のノウハウを生かしたビジョンとなっていました。今考えると恥ずかしくなるのですが、このビジョンを作ったところから、社員の動き方が変わるようになってきました。

「ビジョン達成のためにトムスはこれから何をやればいいのか?」

ビジョンが北極星として揺るぎないものになってくると、時間の使い方や事業の考え方にある程度の制約ができてくるので、勉強する内容も、考える方向性もある程度決まってきて考えやすくなります。
「ガードレールのない橋よりも、ガードレールのある橋の方が迷わず渡れますよね?」という例えがありますが、まっすぐ進むためにはある程度の制約が必要なんです。
あるあるですが「何か新規事業を考えてみろ」とか「なんでもいいから事業アイディアを募集する」というのは今でこそビジョン経営をしているトムスからすると経営者の怠慢だと感じます。当時はそんなこと考えていませんでしたが。
話を戻しますが、ビジョンを明確に決めたことで、社員が迷わずに考え行動できるようになったということです。ここがスタートとなり「学習する組織」「共感する組織」「自走する組織」への道を歩むようになっていたのです。
当時単年で3つくらいの新規事業が立ち上がりそれぞれが考え動いてくれるようになりました。私としてはここに辿りついただけ合格かな?という感じだったのですが、ここからDXモードまっしぐらという状態になっていくのです。もう少しビジョンについて書きたいと思いますので、次回は「ビジョンに向き合うとビジョンはアップデートされていく」篇です!
次回に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?