転職を重ねて見えた真実:「先生」としての成長と葛藤
「先生」と呼ばれることにようやく違和感がなくなってきた最近、ふと初めて「先生」と呼ばれた日のことを思い出しました。
患者さんからの信頼と感謝が込められた「先生」という言葉。
す。
この記事では、私が「先生」と呼ばれるようになるまでの道のりや、その過程で感じた葛藤と成長についてお伝えします。
それでは本題に入る前に、少し自己紹介をさせていただきます。
京都市内で癒しマッサージ鍼灸院を運営。
では、本題へ進みましょう。
①初めて「先生」と呼ばれた日:厳しい指導と自信喪失の先にあった瞬間
私は高校を卒業すると同時に、柔道整復師の免許を取得するため、専門学校に入学しました。
(柔道整復師とは、接骨院の先生になるための国家資格です)
21歳の頃に資格を取得し、接骨院に就職しましたが、職場に馴染めず、3ヶ月の間に2つの接骨院を退職しました。
その後、約1年間フリーターを経験し、知人が開業する接骨院に就職しました。
この接骨院の院長は非常に厳しく、約1年間、毎日叱られ続けました。
施術技術、言葉づかい、患者さんとの対話、さらには私生活に至るまで、厳しい指導が続きました。
また、院長は患者さんから「先生」と呼ばれていましたが、私がそう呼ばれることはありませんでした。
「あの先生は頼りないし、説明がわかりにくい。院長に診てほしい」という患者さんの声も多々ありました。
自分に自信を持てず、毎日打ちのめされる日々が続きましたが、「いつか見返してやる」という思いと、「ここで逃げ出したら、これから先の人生でもっと苦しくなる」という覚悟で踏ん張っていました。
そしてある日、「先生に施術をして欲しい」と言われました。
②院長からの初めての褒め言葉と変化の実感
院長に「〇〇さんに施術をしてほしいと言われました」と報告すると、院長は「おー、それは嬉しいことや。頑張ってたもんな!俺も負けてられへんわ」と言ってくれました。
厳しいことばかり言う院長でしたが、約1年間、僕の変化をしっかりと見てくれていたようです。
そして、次のような成長を認めてもらえました。
施術の技術が向上した
自信を持って発言するようになった
患者に安心感を与えられるようになった
患者さんの話をじっと聞けるようになった
院長のご両親も商売をされていて、そのお客さんが接骨院に数多く来院されていましたが、「上茶谷先生、良くなったね」と多くの方が褒めてくれたそうです。
これまでの我慢や努力が、少しずつ報われた気がしました。
③慢心と自己過信が招いた素行の乱れ
仕事に慣れ、患者さんからの評価が高まるにつれ、次第に僕は調子に乗るようになっていました。
院長から叱られることも減り、院内の業務のほとんどを任されるようになっていたため、僕は院長にとっても必要な存在だと感じていました。
もし、あの頃の自分と対話できるなら、ダニンググルーガー効果について、やさしく教えてあげるでしょう。
院長に叱られた経験が、以前の僕にとっては「いつか見返してやる」という強い原動力になっていたため、その叱責が減ったことで徐々に素行が悪化していきました。
例えば、
患者さんの話を雑に聞き流す
院長の指導に素直に従わなくなる
アルバイトスタッフへの指導が横柄になる
朝まで飲んで、酒の匂いがした状態で出勤する
といった態度が目立つようになりました。
この頃には「先生」と呼んでくださる方も増え、次第に天狗になっていたのです。
➃最終的な別れと裸の王様だった自分
最終的に、この接骨院は院長と話し合った結果、退職することになりました。
話し合いをしたその日に辞めることになったため、まるでケンカ別れのようなものでした。
院長が涙をこらえていた姿を、今でも鮮明に思い出します。
退職前の僕は、「先生」と呼ばれるに値する人間ではなかったと思います。仕事をルーティンでこなし、態度も横柄でした。
この頃の自分は、「俺は能力がある!」と思い込んでいましたが、実際はまったく違いました。
院長やそのご両親に守られていただけだったのです。
その後、自分がまるで裸の王様だったことを痛感することになります。
➄無職の日々がもたらした苦悩と気づき
接骨院を退職してから約2ヶ月後、掛け持ちで働いていたリラクゼーションサロンをクビになりました。
(理不尽な理由で解雇されましたが、詳しい内容は割愛します。)
すぐに就職活動を始めましたが、2件連続で不採用。
その後、ようやく新たな就職先が決まり、約3ヶ月にわたる無職の日々から解放されました。
余談ですが、この無職の日々は本当に辛いものでした。
働いていないと、安心して遊びに行けず、遊ぶと貯金が減ってしまう…。
接骨院を退職したこと、リラクゼーションサロンをクビになった経験、さらに就職先がなかなか決まらないことから、私はウツ状態になっていました。
この経験を2度としたくないと思い、その後、無職の時期はありません。
➅新たな職場での自己成長の機会
新しく働くことになった接骨院の院長先生は、前職の院長とは違い、ほとんど指導をしない方でした。
「〇〇さん、施術してあげてね」といった程度の指示しかありません。
カルテを確認すると、1行だけの記載があるのみで、「あっ、そういう職場か」と少し興醒めしました。
しかし、この環境は自分にとって最高でした。
以前の職場では院長やそのご両親に守ってもらっていましたが、ここからは自分の力で患者さんの心を掴むチャンスだと考えました。
結局、この接骨院には約2年間在籍しましたが、院長と会話したのは数回程度でした。
それでも、この職場は自分が学んだことを存分に発揮できる場でもあり、患者さんの症状改善に全力を注ぎました。
おかげで、自分で勉強すれば道が開けること、そして手取り足取り教えてもらうよりも、自ら学んで実践することが能力向上につながると感じるようになりました。
何人かの患者さんからは「あの先生、イヤだ」と言われることもありましたが、それも良い経験となり、なぜ嫌がられたのかを考える良いきっかけになりました。
【最後に】転職を重ねた先に見えた道:一人治療院を開業して
その後、リラクゼーションサロンや総合型フィットネスクラブ、パーソナルトレーニングジム、そして介護施設への訪問マッサージなど、さまざまな職場で転職を重ねました。
しかし、あのケンカ別れした上司にこってり指導してもらったおかげで、自分の頭で考え、人に頼らず勉強し、道を切り拓く力が身についたのではないかと感じています。
一方で、自分の意見を変えなかったり、周りと調和できずに迷惑をかけたことも多々ありました。
このような経験から、「人と働くことは自分には合わない」と考えるようになり、1人治療院を開業しました。
現在、1人治療院を構えて3年半が経過しました。
1人で働くことの良さもたくさんありますが、人と一緒に働くことの良さも、今だからこそ気づけるようになっています。
今回の記事は完全に自分語りになってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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