本当にすごい人は表に出ない?


世の中的にすごい人、と言われる人でも、お会いしてみたら、「うーん、すごいといわれるポイントがいまいちわからないぞ、、」とか「見ている世界観がちょっと違くて(旧来の資本主義的世界観)、話が合わない、、どうしよう、、」という事が時々あります。

知人でアドラーの嫌われる勇気の老人みたいな人がいるのですが、彼と話をしていた時に、「本当にすごい人は表に出ないから、有名な人は大してすごくない」と言われた事を思い出したりして。

その時は話してた文脈からそれる指摘だった事もあって「そこは今の話のポイントじゃないのに、話の腰を折るなぁ。細かいなぁ」と流していたのだけど(失礼すぎる💦すみません!)、最近しみじみその言葉を思い返すのです。

おかげさまで社会的地位のある方、活躍している方とお会いする機会も増えてきていて、もちろんその中には本当に素晴らしい方々もたくさんいらっしゃるのですが、中には「うーん、、??」と思う方もいらっしゃったりして。でも世の中的には絶賛されていたりして。

一番違うのかな、、というのは、やっぱり見ている世界観のところなのかな、と思ったりします。ソーシャル的な発言をしていても、実は自分ファースト(見栄、顕示欲、承認欲求など)の傾向が強い方というのが伝わってくるんです。


がっかりしてしまう時点で、私もまだまだ未熟者なのだと思います。私がもっと素晴らしい人だったら、成熟度の高い、愛情あふれる人間だったら、そうした方たちの事も丸ごと受け入れて、大好きになることができると思うのだけど。実際にはその域には全く達しておらず、今はそっと距離を置くようにしてしまっています。自分の未熟さを実感しています。

もっと近い世界観の方たちと一緒に動いていくことでコミュニケーションコストも下がりますし、目指している世界を実現しやすくなるかと思ってしまうんですよね。我ながら器がまだまだ小さいなぁ。

(なお、私のこの「違うな、、」という感覚が、そもそも独りよがりの思い込みだったり、単に気が合う、合わないの問題だったりするのかもしれません。またはその方の素晴らしさを私が未熟ゆえに理解できていないとか、相当にやりての方で、むしろ自己中心的な人間を装っていらっしゃるといったパターンもあるかもしれません。自分のセンサーが信用ならない可能性も、いつも並行して考えるようにしています。)

いずれにしても、いつかはそうした方とも調和を取って、一緒に活動していけるような人間になれたらいいなぁ。どうしたらそのような人間になれるのかしら。

今の自分の未熟さを受け入れつつ、いつかはもう少し人間的にも成長していきたいと思っています。

(追記)

ここ最近、「本当に素晴らしいなぁ」と感銘を受けるような方との出会いもたくさん頂くようになっています。実力がトップクラスで、かつ社会に目が開かれた(本当に社会とつながった、、超越した)エグゼクティブは増えてきているように思います。

そのような方たちは、例えば肩書や知名度で人を判断しないですし、常に本質や人類の幸福といった軸で行動されています。このような方たちとは驚くぐらい一緒に話をしていて楽しいですし、心から尊敬しています。


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