自#178|期間を決めて努力する(自由note)
朝日新聞の日曜版に、「悩みのるつぼ」と云うコーナーがあります。回答者は、政治学者の姜尚中さんです。るつぼは、漢字で坩堝と書きます。個体試料の強熱・融解・金属の精錬などの高温処理に用いる耐熱性の容器のことです。言葉のニュアンスとしては、熱狂した状態、興奮のきわみの状態って感じですが、ここでは、いろいろな種類の、さまざまな悩みと云った風に、軽いニュアンスで使っています。新聞の日曜版です。重たいニュアンスだと、読者にスルーされてしまいます。回答者の回答と云う言葉は、返答をすると云う意味です。英語では、answerと言います。解答ではありません。問いに対して、正確な答えを出すのが解答です。これを英語では、solutionと表記します。
この日は女子中学生が「死について考えずにいられない」と云うタイトルで、悩み事の相談を持ちかけています。朝日新聞の日曜版を、どれくらいの数の人が読むのか、正直、見当がつきません。公称発行部数は、700万部くらいですから、まあ購買者の7分の1の人が読むとしても、100万人の方が、この相談コーナーの記事を読んで、内容をshareしています。女子中学生の個人の問題が、100万人にshareされると、publicな問題になって、そうなるだけで、彼女にとっては、大きな救いになるってとこはあります。
新聞をはじめとするマスコミの悩み相談は、大衆がshareしてくれるので、それだけで問題解決につながります。どんなに重たい問題であっても、新聞のお悩み相談のコーナーで取り上げられたら、その相談は、軽いものになります。相談する口調も軽くなり、回答者も軽いノリで、返答することができます。この中学生の質問は、本来、解答できない問題です。カントは、形而上学は不可能だと見極めたわけですが、この相談者の質問も、解答不可能な形而上学です。死ぬことは、形而上学ではありません。死ぬのは、形而下の自然現象です。死について考えること(相談者は主に死後のことを考えていると思いますが)が、形而上学です。「死は考えるものではありません。自然現象として受け入れるものです」と、簡潔に返答できます。これは、回答と云うより、一種の解答です。
こういう風に、死の恐怖について考えてしまうと云う、超重たい相談を、これまでの教員生活の中で、受けなかったと云うわけでもありません。が、そう多くはないです。片手の数で足りるくらいの回数です。7、8年に一人くらいです。忘れたころに、こういう重たい質問をする生徒が、現れます。男女どちらもいます。まず、間違いなく言えることは、こういう質問を持ち込んで来る生徒は、絶対に自殺したりはしません。死について考えていると云うことは、裏を返すと、生について本気で考えたいと云うことなんです。生について、本気で考えたい生徒が、自殺したりする筈はないです。自殺をする生徒及び卒業生は、相談などせず、いきなり唐突に死を選びます。誰かに相談した時点で、もう半分以上、救われていると、多分言えます。
死について考えるのは、形而上学ですが、そういう形而上学に追い込んでしまった形而下の問題が、必ずあります。友人関係のトラブルとかではないです。ほぼ100パーセント、家庭内の問題です。それは、過去の子供の頃の問題であることが多いと思います。その問題に、本人が向き合うことができれば、だいたいにおいて、形而上学をスルーすることができるようになります。ただし、相談に来た、その日に解決するなんてことは、絶対にありません。30歳のOLさんでしたら、カウンセリングに通って、まあ4、5年はかかると思います。女子中学生ですと、1年以内に決着がつきます。こういった悩みの解決は、早ければ早いほどいいです。
今、リモート診察は、初診から受けられるようになっています(期間限定だと思いますが)。ですが、リモートでカウンセリングを受けても、効果は、はなはだ薄いと推定できます。まあ、受けないよりは、受けた方が、いいっちゃいいけど、くらいの微々たる効果です。やはり、対面。ある程度、接近して。ただし、取り巻く空間は広くても構いません。四季折々のビオトープの野原が、すぐ目の前に広がっているベランダとかに、テーブルと椅子を持ち出して、応接したりするのは、全然、ありです。冬場は寒いでしょうが、あとの3シーズンでしたら、大きなパラソルとかを使って、雨の日に喋るのもありです。逆に雨の日の方が、落ち着いて喋れたりもします(雨の程度にもよりますが)。
ソクラテスは、電気うなぎのように、相手に刺激を与えて、発言を引き出していたんですが、相手にどの程度、刺激を与えていいのかは、慎重に判断する必要があります。この判断は、リモートではできません。二密になったとしても、対面で喋る必要があります。
カウンセラーさんの一回あたりの面接時間は、50分~60分くらいです。が、私のこれまでの経験と照らし合わせると、50分~60分では、ちょっと短いかなと云う気がします。私は、教え子がきちんとアポを取って、相談に来た時は、最低、2時間は、喋る時間を確保しています。喋り始めの最初の30分とかは、正直、どうでもいい世間話って感じですが、この世間話は、ウォーミングアップの役目を果たしています。上手く行けば、70分~80分くらい話したとこで、「サビ」が来ます。もうしょうがないから喋るしかないと、半分諦めて、半分勢いで、相手が喋り出すんです。そのサビは、せいぜい10分弱くらい。「えっ、今の話、一体何だったの?」と、こちらが頭の中で、反芻している間に、2時間くらいは、あっと云う間に、過ぎ去ってしまいます。週一とかで喋るのは、物理的に時間が確保できなくて無理なので、多くて月一、まあ2ヶ月に1回くらいでも構わないと思います。次に喋る予定の日を伝えておけば、その期間中に、彼or彼女は、前に進むために、何らかの要素を探そうとします。1ヶ月なり、2ヶ月なりと云う風に「しゃく」を設定することが重要です。漫画家の締め切りと同じです。その「しゃく」間に、何とかしようと努力します。期間を決めて努力する、そういうことを繰り返して行く内に、次第次第に、死の問題を、さて置けるようになります。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?