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自#143|サンセットパーク10(自由note)

 「我等の生涯最良の年」のDVDをお茶の水の丸善で買いました。著作権が切れている作品なので、廉価版のシネマクラシックシリーズの中で、見つけました。このシリーズは、1枚290円。途中、動きが遅くなったり、音声が途切れたりします。Windows 95が、電話回線でインターネットに繋(つな)がって、画像が立ち上がっても、ぎくしゃくした動きをしていましたが、まあ、それに少し似ています。あっ、やっぱり廉価版ねって思ってしまいました。安かろう、悪かろうって感じです。

「The Best Years of Our Lives」が、「我等の生涯最良の年」のオリジナルタイトルです。つまり最良の年は、a year(一年間)ではなく、yearsと複数なので、何年か続いているわけです。映画を観てみましたが、映画の中で、何年間も歳月が流れているようには、感じられません。a year、つまり一年間の「しゃく」の中に収まってしまう物語です。「The Best Years of Our Lives」は、もしかしたら、彼等が従軍をして、(戦争によって)失われた時機のことを示しているのかもしれないと云う風にも、思ってしまいます(つまり一種の反語表現です)。復員して来て、社会復帰をしようと努力している彼等の人生は、決して、最良の年だとは言えないような気がします。

 第二次世界大戦に勝利したことを、大々的に喧伝するような映画を作らなかったのは、ハリウッドの良識と云うよりは、監督とプロデューサーの才能と、アートへの情熱の賜(たまもの)だろうと想像しています。ハリウッドのお約束は、遵守(じゅんしゅ)しなければいけません。(この頃の)ハリウッドのお約束、それは悲劇的結末は、NGなんです。ディズニー映画ほどHappy Endは、鮮明でなくても構いませんが、最後は、やっぱりどうにかなって終わる必要があります。最後がどうにもならないような映画を作って、観客が入らなければ、映画会社は大赤字を出してしまいます。ちっちゃな悲劇は、あちこちに、ちりばめたとしても、最後のsceneは、将来への明るいものを見せてくれるのが、ハリウッド映画です。暗い所にずぶずぶと降りて行って、最後、観客を放り出してしまうような映画は、ハリウッドでは作れません。そういう映画は、採算度外視でも、やり切ろうとするインディーズ・単館系の映画人たちの仕事です。この映画が作成された頃は、インディーズ・単館系と云う言葉すら存在してなかった筈です。

 この映画に登場する女性達は、ほぼほぼ善人です。唯一、善人でないのは、フレッドの妻のマリーです。とは言え、マリーだって、決して悪人ではありません。この当時の道徳的基準に照らし合わせてみると、ふしだらな女性なのかもしれませんが、自分自身の考えと判断力を駆使して、戦争の間、逞(たくま)しく生き抜いて来た女性です。生きて帰って来るかどうか判らない夫を、貞節を守りながら、銃後でひたすら待ち続ける、日本でしたら、同調圧力がそこら中に、あふれていますから、他人の目を気にして「貞節」を守り続けられるのかもしれませんが、アメリカは日本よりは自由だし、基本、個人主義の国です。マリーが浮気したかどうかは、映画では明らかにされてません。したかもしれないし、or notかもです。フレッドは、ペギーが好きになって、sexはしてないとしても、明らかに心の中では浮気をしています。男の浮気は許されて、女の浮気は許されない、男女同権と云う観点に立つと、やっぱりヘンです。許されないのであれば、どちらも許されないし、許されるのであれば、どちらも許される筈です。マリーは
「結婚には、愛は必要ない。金があればいい。お金でたいがいのことは解決できる」と、ペギーに伝えます。マリーの発言は、概(おおむ)ね、私も正しいと思っています。昔は、見合い結婚でしたから、家柄や財産の釣り合う相手と結婚していました。それで、だいたい廻っていたんです。同調圧力は、昔の方が、強烈でしたから、簡単に離婚することもできません。

 ペギーは「フレッドとマリーは、愛のない結婚をしている。私は二人の結婚をぶっ壊す」と、両親に爆弾発言をします。これは、これで、愛があってこその結婚だし、happy なfamilyだと云うペギーの勝手な思い込みです。恋愛は、愛or愛のようなものがないと成立しませんが、結婚は、思いやりと忍耐力があれば、続けて行けます。愛は必ず冷めます。これは、若いペギーが、まだ会得してない不動の定理です。

 ホーマは、ウイルマと結婚します。結婚式の会場は、ホーマの叔父さんのブッチの店です。ウェディングドレスを着た花嫁が、二階から階段を降りて来ます。階段を降りて来る時、ブッチがピアノを弾いて、子供たちがメンデルスゾーンの「結婚行進曲」を歌います。ハーモニーにはなってなくて、ユニゾンです。子供たちの歌のタイミングが合っているとも思えません。ブッチは、何とかピアノ伴奏で、ばらばらの声をまとめようとしています。が、豪華なパイプオルガンを使ったプロの演奏よりも、このsceneの演奏の方が、はるかに感動的です。上手い、下手とかではないです。やっぱりこれは、heartの問題です。ホーマとウイルマは、神父さんの前で、つまり神の代理人の前で、愛を誓います。出席していたフレッドも、ペギーも、心の中で、互いの愛を誓い合います。愛という超ド級の勘違いは、人生を突き動かして行く、強力なエンジンだとも言えます。

 サンセットパークには、自信満々の大人は、一人も登場しません。みんな人生のどこかで傷を負い、程度の差はあれ、自信を失っています。自信満々と自信のなさの込み込みで、何とか綱渡りのように、リスクの多い人生を生き延びて行く、それが現実の姿なのかもしれません。「我等の生涯最良の年」は、正直、自信満々の女性達だらけです。男たちは、戦争に行って、何かが損なわれて、自信を失ったと云う設定なのかもしれませんが、元来、男の方が、女性よりも弱い生き物なんじゃないかと云う気もします。自信満々の女性たちがいて、結局、最後どうにかなった古き良き時代の映画を引っ張り出して来て、リーマンショック後のアメリカ社会も、どうにかなって行くと、ポールオースターは、アッピールしたかったのかもしれません。

 サンセットパークの最後は、どうにかなったような、どうにもならないような、微妙な終わり方です。これ以上書くと、ネタバレします。サンセットパークは、途中ですが、これで打ち切ります。

「戦争のこと書き散らし八月尽」
 去年までの10年間、夏休みは、ほぼ毎日、ライブイベントでした。バンドの部活の顧問を引退し、コロナの影響もあって、私が関わるべきライブは、この夏、すべて消滅しました。ライブイベントが消滅して、自由気ままに過ごしていたら、戦争について書いてみたくなって、あれこれ書きました。私自身は、戦争を知りません。自分が知っていることを書くとすると、60'sのUKロックの世界です。が、まあそれは、完全リタイアしてからでも、いいと思っています。まだ、週4日も勤めています。完全リタイアには、ほど遠い状態です。

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