【受験ノート】図書館に、はたして未来はあるのか?

 水道橋の岩波ホールで、「ニューヨーク公共図書館」を見ました。この作品は、ヴェネツィア国際映画祭で、「国際批評家連盟賞」を受賞しました。普通の人は、まず見ないであろうauthenticなニューシネマ単館系の作品です。監督・製作・編集・音響を、一手に引き受けて完成させたのは、フレデリック・ワイズマンです。フレデリック・ワイズマンは、知る人ぞ知る、ドキュメンタリー映画の巨匠です。現在、89歳。今もなお、現役で活躍されているエネルギッシュで、理知的な監督です。東海岸のリベラルを代表する文化人だとも言えます。

 高校生の頃、四国の片田舎の小さな映画館で、「ティファニーで朝食を」を見ました。ヒロイン役のオードリーへップバーンが、近所に住む作家と、一緒に入った図書館が、ニューヨーク公共図書館の本館です。五番街と42丁目の交差点に位置している荘厳なニューヨーク公共図書館は、観光名所としても著名です。正面入り口のファサードには、コリント式の飾り柱が、6つ並んでいます。このコリント式の柱を背景にして、インスタ映えする地撮り写真を一枚、観光客は撮ったりする訳です。本館は、ニューヨーク公共図書館の顔ですが、実質的な活動は、4つの研究図書舘と、ニューヨークの各地に置かれている全部で88館ある、各分館で行われています。

 各分館では、本を貸していますが、本の貸し出しと云う本来の役目よりも、地域のコミュニティの要(今風の言葉を使えばハブ)として、様々な文化活動を実施し、地域住民をサポートしていると、映画を見て感じました。

 失業率が高いであろうプロンクス分館では、就職支援のプログラムが実施されていました。消防署、建設現場、国境監視員、軍隊と云った人集めが難しそうな職種のリクルーターが、次々と登場して、従事する仕事の魅力を、集まっているオーディエンスに、熱く訴えかけていました。喋れない人は、一人もいません。大袈裟なジェスチャーも交えながら、理路整然、あるいは感情的、エモーショナルに、淀みなく言葉を並べ立てて行きます。聴覚が不自由な方もいますから、時には、同時通訳をする手話のボランティアの方も登場します。たまに、NHK-eテレのニュース番組で、同時通訳をしている手話の女の人を見ますが(なぜか、手話をやっている方は、女の人です。男性で、手話をやっている方を、私は見たことがありません)。NHKの手話の方のエモーショナルな偏差値を40前後だとすると、アメリカのそれは、偏差値70越えです。自分の意見をはっきりと相手に伝えると云う覚悟が、普通にスピーチをする人にも、手話のボランティアの方にも、あります。コミュニケーションに関して、意識のレベルが、まるで、違っていると、改めて痛感してしまいました。

 地味なドキュメンタリー映画なのに、観客は、それなりにいました。土曜日のAM10:15スタートの早い時間帯でしたが、空席はほとんど見かけませんでした(もっとも、劇場そのものが元々小さいので、何とか見栄え良く、客席が埋まっているとも言えます)。観客の半分くらいは、図書館関係者だろうと推定できます。フレデリック・ワイズマン監督は、「図書館に、はたして未来はあるのか?」と云う問いに答えるために、この映画を制作したと思われます。ネットで検索すれば、知識は調べられます。本は、必要だとしても、データーベース化すれば、わざわざ図書館に出向かなくても、ネット上で読むことが可能です。

 CD屋は、あっと云う聞に、アメリカではつぶれてしまいました。タワーレコードのアメリカの本店は、もうとっくに消滅してしまっているんです。CDは、配信で聞くなり、アップルストアーから購入して聞いたりするのが、アメリカ人のライフスタイルです。当然、本もネットの配信で読めるようになる筈です。

 オランダの設計事務所に所属する、図書館作りをしているデザイナーが「図書館は、本ではなく、人だ」と、言ってました。人と人とが出会う場所として、今後も図書館は、存続して行くと云った風な結論だと思います。それは、ニューヨーク公共図書館の長い歴史を通して(本館が建設されたのは100年以上前です)コミュニティセンターとして、地域の住民活動を支え続けて来たからです。つまり、establish されたものが、ニューヨーク公共図書館にはあります。ニューヨーク公共図書館は、New York Public Library、略すとNYPLです。

 Every library is not NYPLだとは、普通に言えると思います。世界最大級の知の殿堂であるNYPLと、そこらの市や学校の図書館と比較することが、そもそも無理だと言えます。

 日本の図書館との違いは、閲覧室に受験生が、一人もいないことです。本当に皆無です。アメリカには、入学試験は存在してません。大学入学は、すべてAOで、合否が決まってしまいます。AOでのポイントを高めるために、課題研究を、図書館で行うと云ったことは、普通にあります。が、それは受験勉強ではありません。

 大物ミュージシャンが、二人出演していました。一人は、コステロ。ボブディランが、被っていたような白い帽子を、被っていました。
「認知症で死んで、くれとは思わないが、サッチャーが国民にしたことは許せない」と、言ってました。大衆の興味・関心を引くために、to make troubleも辞さないと言ってました。

 もう一人の大物は、かつてのニューヨークパンクの女王のパティスミス。パティスミスの「Horses」は、一世を風騨した、パンクの記念すべき作品でした。パンクのルーツは、ニューヨークです。ニューヨークからロンドンに飛び、UKのパンクに火がつきました。まあしかし、この映画に登場していたパティスミスは、もう、おばあさんでした。パンクが世界を席巻したのも、もうlong long agoの大昔のことです。

 図書館の係員の本の扱い方が、乱暴でした。このへンは、日本人の感性とは、かなり違います。見ていた司書の方々は、かなり気持ちが引いてしまったと思います。本が破損すれば、また予算をつけて買えばいいと考えています。大量生産、大量消費と云うアメリカンライフスタイルは、NYPLの隅々にまで、行き渡っていると感じました。


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