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四角いマットの人食い狼

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密かに本物と入れ替わったレスラー、ローン・ウルフと、プロレスの神殺しを目論む若手最強の男、ハラダ。二人は果たして『戦うことができるのか?』 プロレス政治劇。
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(終)四角いマットの人食い狼(13)

(終)四角いマットの人食い狼(13)

 8月8日。
 遠くから、歓声が響いてくる。地鳴りとなって。熱となって。
 帝国ドームは、プロレスファンで超満員となっていた。目当てはメーン・イベント。絶対王者である神野と、知る人ぞ知る強豪マスクマンにして、その実力はファンの中で語り草になっているローン・ウルフとの30分一本勝負。
 強者という名の狼が喰いあう。それがプロレスであり、神野が作った世界だった。

「よう、ウルフさんよ」

 ハラダは

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四角いマットの人食い狼(12)

四角いマットの人食い狼(12)

 ──7月31日。
 本当なら、試合直後に叩きつけてやるつもりだった。深夜の後楽園ホール。とっくの昔に撤収し、人通りもいなくなった。ぬるい風だけがその場に残っている。

「あんたとリブレのヘビー級チャンプのベルトを賭けて試合がしてえ」

 ウルフは、簡易マスクとジャージ姿のラフな格好でそれを聞いていた。

「元神プロの若手エース様にそう言われるとは、光栄だな」

 ウルフは唸るように──レスラーと

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四角いマットの人食い狼(11)

四角いマットの人食い狼(11)

 ──二日後。
 神プロ本社第二会議室。
 ハラダは古川によって神プロに呼び出されていた。言いたいことをまっさきに言う。それがハラダの願いだった。

「俺はローン・ウルフとやりますよ」

 ウルフの名前は、古川の身を震わせるに十分だった。彼の未来を自分は知っていて──あまつさえマットの下で始末をつけようとしている。
 ハラダはどこまで知っているのだろう。昨日、ヤクザまで使ってウルフを排除しようと決

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四角いマットの人食い狼(10)

四角いマットの人食い狼(10)

 翌日。
 新宿区『大江戸ビル』十五階。近代的かつきれいなオフィスビルディングの最上階に、その事務所はあった。
 東海興行。威圧的な大きさ木看板には、金箔でレタリングされた会社の名前。どこからどう見てもまっとうな会社でないことは火を見るより明らかだった。

「古川の……そりゃ、わしらも神プロの今後は心配しとる。知らん仲じゃないけんの」

 傷だらけの男だった。白いスーツに身を包み、威圧的な顔をして

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四角いマットの人食い狼(9)

四角いマットの人食い狼(9)

 イチ、ニ、サン、シ……
 薄暗い部屋──調度品は極めて少なく、高級マットレスによる最高の睡眠環境と、最高級トレーニング器具が数台並ぶこの部屋が、ハラダの居住区間の全てだ。
 もちろん、もっと広い部屋にも住めるのだが、それはチャンピオンになってからと決めている。
 汗が落ちる。
 彼にとってのトレーニングは、己との戦いであり──単なるガス抜きでもあった。
 満足できる相手がいないというのは、何より

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四角いマットの人食い狼(8)

四角いマットの人食い狼(8)

 小林の車──リブレのステッカーが貼ってある黒のワンボックスカー──が出ていくのを見てから、古川は神野に向き直った。

「社長。ウルフは良いレスラーです。しかし、ハラダほどじゃありません。もともとリブレを潰せれば良かっただけの話が、ずいぶんとややこしくなっていませんか」

 神野は飲みさしのコーヒーカップを持ち上げ、なにが珍しいのやらしげしげと見つめながら言った。

「古川よォ。お前、俺と組んで何

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四角いマットの人食い狼(7)

四角いマットの人食い狼(7)

──同時刻、神プロ応接室にて。

「俺は結構だがねェ」

 古川は思わずその言葉に──他ならぬ自らのボス、神野の──耳を疑った。

「ローン・ウルフは、いいレスラーだ。やりてェかやりたくねェかでいやあ、やりてェ。ハラダも世話ンなってんだから、そちらさんにも華を持たせてえしな」

 小林は胸をなでおろしたように見えた。──一方の古川の心中は穏やかではない。神野は負けない。強すぎるのだ。ローン・ウルフ

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四角いマットの人食い狼(6)

四角いマットの人食い狼(6)

 ──三十分後。
 リブレ事務所前の喫茶店『スターロード』にて。

「俺は嫌だね」
 阿久津はそう言い切った。コーヒーの湯気が虚しく漂う。
 小田島は口内にコーヒーではない苦味が広がるのを感じていた。
 阿久津ことローン・ウルフは──今はオフ用の簡易マスクを被っている──ハラダと戦いたいと言い切った。

「君はハラダと戦って勝ちたいのか」

 我ながら間抜けな質問だ、と小田島は思った。当たり前だ。

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四角いマットの人食い狼(5)

四角いマットの人食い狼(5)

ハラダの会見と同日。リブレの事務所にて。

「小田島ァ……なんでこんなことになった?」

 粗末なスチール製のデスク、それが社長の執務スペースの全てだった。
 そこに頭を抱えている男が一人。抑えられた手の隙間から地肌が覗き、額から禿げ上がっているのがわかる。
 小林はとにかく小心な男であった。

「ハラダをうちで飼いならせるかよ」

 もともと、別の団体で燻っていた中堅レスラーだった小林は、数人を

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四角いマットの人食い狼(4)

四角いマットの人食い狼(4)

 一週間ほどしてから、ゴッドプロレス側は緊急の記者会見を開いた。帝国プラザホテルの鶴の間──様々な芸能人が華やかな式を執り行ってきたこの場は、まるで戦いを始める前のようにピリピリとした空気が支配していた。

「ハラダ選手! 説明してくださいよ!」

 日本スポーツの記者が気勢をあげる。

「言ったとおりですよ。自分は明日からリブレに移籍して、そこのベルトを獲ります」

 天井に手がくっつくのではな

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四角いマットの人食い狼(3)

四角いマットの人食い狼(3)

 三時間後──
 神プロ道場にて。
 二メートル近くの巨体が、鷹が滑空し獲物を捉えるかの如く、鋭いドロップキックを放つ。
『GOD P.W』のロゴが入ったシャツ姿の男は、同じシャツのレスラーの胸板を貫き、一撃でふっ飛ばした。
 練習とはいえ、激しいスパーリング──しかしそれがハラダの流儀だった。

「ハラダくん! 練習中すまない」

 古川は彼に声をかけた。 
 分厚い胸板ながら、プロレスラーとし

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四角いマットの人食い狼(2)

四角いマットの人食い狼(2)

「リブレのローン・ウルフ選手を今回のシリーズに呼ぶと聞きましたが──本当ですか、社長」
 古川はため息混じりにそう聞いた。無駄な行為だったが、責任の所在を明らかにするのは彼の仕事だった。
「なんか文句あんのかイ」
 身体を預けている海外高級ハイブランドのイスは、悲鳴を上げていた。
 その男を例えるとするならば、仁王像だった。高級スーツに身を包んだ体は、その下に彫刻されたような均整のとれた筋肉で構成

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四角いマットの人食い狼(1)

四角いマットの人食い狼(1)

 声が響く。響いてくる。地鳴りとなって、空気を揺らして。
 後楽園ホールの階段下は寒い。それでも熱気はここまで降りてくる。今、試合の真っ只中だ。
 阿久津はメーン・イベントをスルーして、寒空の下タバコを吸おうとこうして出てきた。そうしなくてはならなかった。

「恨むぜ」

 男にごちる。
 目の前の男は、メーン・イベントを行っている団体──『リブレ』の営業部長の小田島である。細い目をした小男だが、

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