(終)四角いマットの人食い狼(13)
8月8日。
遠くから、歓声が響いてくる。地鳴りとなって。熱となって。
帝国ドームは、プロレスファンで超満員となっていた。目当てはメーン・イベント。絶対王者である神野と、知る人ぞ知る強豪マスクマンにして、その実力はファンの中で語り草になっているローン・ウルフとの30分一本勝負。
強者という名の狼が喰いあう。それがプロレスであり、神野が作った世界だった。
「よう、ウルフさんよ」
ハラダはついに戦うことのなかったライバルの顔──ローン・ウルフのマスクにむかって言った。
「俺はあんたと戦ってみたかったが──それ以上に神野と戦いたかった。あんたも同じだろ?」
返事は無い。当たり前だ。だが、それでもウルフというレスラーならば戦いたいと願っただろうということはわかる。
俺もそうだからだ。
勝利に飢えて相手を食い殺す、狼に他ならないからだ。
ハラダは持っていたそのマスクを被り──ローン・ウルフに『なった』。不思議と違和感はなかった。
まばゆいカクテルカラーのライトが、まっすぐに伸びた四角いマットへの道を照らす。
脳まで揺れているのではないか、と錯覚するほどの歓声。ローン・ウルフのテーマソング。
彼は普段より厳かに道を歩き──ロープをくぐった。カンの良いファンがざわつくのがわかる。
神はそこにいた。直接手を取ってノミを打ち、作り上げられた鋼の肉体。真紅のガウンを身に纏った姿は威風堂々。
彼こそが神であり──最強の男──神野であった。伝説の上に立ち、君臨し続けるものであった。
だがそれはもはや時間の問題だ。彼は知らない。ローン・ウルフが入れ替わったことを。
ゴングが鳴った。
二人の男が──勝利に飢える狼達がまた、ぶつかり合う。
そこに神も人もなく──ただレスラーという人種だけが存在した。
見守るファンも、一人オフィスを去る古川も、小田島も小林も──プロレスの未来を信じ、ある者は声を張り上げ、ある者は固唾を飲んで見守った。
四角いマットの上で、拳を突き上げ、勝利の雄叫びを上げたのはどちらだったか──。
それは狼であり、一人で幾人もの男達の意志を背負った男であった。
今日もまた、狼たちの血を吸って、プロレスという戦いの歴史は刻まれていく──。
四角いマットの人食い狼 終