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"コミュニティ"を仕事にするということ

昨年(2023年)末、コミュニティサクセスプラットフォームを提供するコミューンに転職しました🙌

事業の着実な成長と付随するたくさんの課題と共に、そこにチャレンジする資質と気概溢れる組織になっていて、私も事業開発担当として日々刺激的に過ごしています!

"コミュニティ"はずっと自分の中で生活や仕事のテーマでありながら、概念そのものの広さもあり、これからより直接的に関わっていく「(ビジネス)ドメインとしてのコミュニティ」を、今はどういう距離感と輪郭で考えているのかについて整理しておきたいと思い書かせていただきました。


メディアビジネスの黄昏のなかで

私はコンサルティングファームやエージェンシーで比較的産業横断的に仕事をしたあと、ここ7-8年くらいはオンラインメディア事業に特化して様々な形で事業運営や開発に携わってきました。

そこで考えていたのは、テキスト・動画に限らず、特にコンテンツを自社で制作・編集・配信するメディアビジネスは、事業の大きな成長を望むほど、その自重を支えるための新たな取り組みが、往々にしてこれまで支えてくれた顧客との別れを伴うということでした。それは提供するコンテンツのエッジさ・人を選ぶ切れ味に最も潔癖な自分自身との闘いという意味で、ほとんどの場合は経済合理的意思決定がなかなか難しいということです。

国外を見渡しても、一時は57億ドルの評価額に達したVICEは多様なビジネスモデルを模索した後破産し、Buzzfeedも昨年ついにニュース部門を閉鎖しました。
メディアの主たる収益源の広告について、個別媒体から見た運用型広告のCPMは相対的にどんどん下がるし、予約型は取り扱うコンテンツがエッジであればあるほど売りにくい。

サブスクは経済メディアなど、ユーザーが明確にROIが感じられないとなかなか課金してくれない。じゃあECかというと、今まで広告やってきた部門からするとめちゃくちゃ粗利が出ない。しんどい。

一方で、上記VICEはしぶとく(とてもマイルドにはなったけれど)いい意味で様子のおかしいコンテンツをまだ細々とつくり続けているし、ハフポストはとりあえず黒字だそうです(黒字だと強調しなくてはならない程度にぎりぎりだということだけれど)。要はサイズの問題と、続けさせてくれるパトロンがいるかどうかになっている。そういう意味では昨年末のカーリー・クロスのi-D買収は象徴的なイベントかもしれません。(i-DもVICE傘下でした)

越境して視野に入らないくらいの多くの人を虜にすることは残念ながらできなかったけれど、仲間や少数のファンにできるだけ長く愛され、愛していけば良いじゃないか。という市場のメインストリームからの撤退の末の共同体主義に、少なくともコンテンツにこだわりのあるほとんどのバーティカルメディアは回収されていっているように見えるのです。

情報配信の生産性

対してそんな哀愁を無視するかのように不特定多数の手によってつくられる無数のコンテンツはアルゴリズムによって日々粛々と配信されています。

私が近年までキュレーションメディア企業のアライアンス事業の責任者をしていて考えていたのは、キュレーション、すなわち編集ではなく編成によって価値を出すメディアビジネスもまた既に転換点を迎えているということです。

すなわち、不特定多数のコンテンツと不特定多数のマスを相手にするビジネスは、それを仲介する人間が不要になっていく。むしろ人手を減らしていかないとやはり競争環境と共に事業構造上粗利がどんどん減っていく。

AI、アルゴリズムによる情報配信の最適化文脈では、コンテンツを生産する媒体がAuthenticかフォロワーが多いかはつまるところあまり関係がなくなってきている、というか人間が認識・管理できる変数の数や粒度でのコンテンツ評価軸は意味を持たなくなりつつある
皆が横並びで同じトピックに関心を寄せる時代はとうに終わったし、ユーザーによる人気不人気の可視化やオーディエンスの傾向を踏まえて人手でいちいちチューニングをするようなアルゴリズム開発ですら判断が遅すぎるし雑すぎる、と感じられる段階に至っています。

生産性vs人間性、コミュニティ

僕らが生産性向上という終わりなき目標に向かって傷つきながら頑張って全力疾走をしていたら、突然すごい勢いでAIにまくられたこの1年ちょっと。

今まで朝から晩までかけてやっていた仕事が一瞬で片付けられそうで途方に暮れる人、今までと同じ方向に走り続ける人、生産性ではなく人間性に向かって元来た道や別の方角を模索する人。


私は生産性の前に人間性(たとえば健康や享楽、ミッションなど)を牧歌的に優先しながら30代を過ごしてきたなあと思うのですが、多くのマネジメントの生産性向上に付随する葛藤と矛盾への挑戦に接するなかで、少なくとも組織をまとめながら目標に向かうにあたり、その自分の素朴さがとても底の浅いものに思えてきたのもまた30代でした。
というと良い風に言いすぎている気がするけれど、ロマンとそろばんの矛盾を矛盾のまま受け容れるには胆力と体力が要ることを、時には健康を損なったりしながらとても時間をかけながらゆっくり理解したというか、それを習慣でカバーしながら成すべきことに集中するのに丸々10年くらいかかった、とも言えると思います。

"コミュニティ"とビジネス

コミュニティは人間性に富む概念でありつつ、ビジネスにおける顧客コミュニティ、ユーザーコミュニティは短期的には生産性との矛盾をたくさん孕んでいると思います。社会学などのアカデミックな(あるいは伝統的な)文脈でのコミュニティとは重なる部分もありつつ、隔たりも大きい。その意味ではコミュニティをビジネスにするのは、観測する立ち位置によって罪深く映ると私は思っています。


コミューンはBtoB,BtoCの顧客・ユーザーコミュニティサクセスのプラットフォーム提供に加え、昨年から本格的に社内コミュニティ向けのプロダクトも提供し始めています。まだ立ち上がって間もないですが、早くもサントリー社などかなり規模の大きな組織に導入が決まっています。

前述のアカデミックな視点のうちのひとつでは、これはE・ウェンガーのCoPに象徴される、経営学的な組織論からのコミュニティに対する眼差しをとてもうまく受け止められる事業を展開していると思います。

事業とコミュニティの観点では既に業界をリードするコミューンの導入社数からも実績からも、経営的なインパクトは出せることは一定証明されていて、あとはその規模や数の問題になっています。SalesforceのTrailblazerはあまりにも有名だし、Notionはコミュニティと共に成長してきました

様々な角度からの毀誉褒貶やそれにすら至らない無関心はまだまだこれからも引き受けながら、ビジネス領域もすでに、あるいは、はじめからCommunity Everywhereなのかもしれない。

自分がこれまで犯した過ちは、「それはコミュニティではない」と方々で指摘するのに多くの時間をかけてきたことだ。
陸の孤島で主張したところでそれとは関係なく時代は変わる。

The Community Everywhere Era: Modern Strategies For a New Era | Richard Millington

AIの文脈で、人間では判断が遅すぎるし雑すぎる、と書きましたが、そこがまさに人間性が宿るところでもあります。言い淀み、ノイズ、不完全さ。

誰かにとって行動を促されるようなコンテンツは、伝える人の人間性が乗っかって初めて意味をもつものになることが、コミュニティのなかにはよくあると思います。

経済的な持続可能性を最適なサイズで担保しながら、コミュニティを構成する人たちが人間性を包み隠さず貢献し合い、供給者と受益者の固定的な関係ではなく、組織やひとが融け合う環境をつくるために自分のできることをやっていきたいと心から思っていて、またそれができる環境にいることに感謝しています。


そしてコミューンではあらゆる組織とひとが融け合う未来をつくるための仲間を募集中です!カジュアル面談しましょう!


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