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THE FIRST SLAM DUNK

漫画とアニメっていう既に成熟した表現方法の、そのどちらでもない、新しいものを作ろうとしたんだなと思った。
井上雄彦のその挑戦する姿勢はいつもかっこいい。
でも、個人的には成功してるとは思えなかった。
誰も見たことのない新しいものだから評価は難しいし、それがこの先どう定まっていくかはわからないけど。


漫画としてのスラムダンクは極まっていた。
ほぼセリフなしで描き切った最終巻後半(確か60ページ)は、実写にもアニメにも小説にも絵画にもできない、漫画表現の真髄、集大成、到達点だった。

あのたった1秒が引き延ばされて10秒にも20秒にも感じられる魔法は漫画ならではのもので、明確に時間の流れが存在する映画ではもったいなく感じてしまう。

その無理難題に挑むために取り入れたのがCGで(井上雄彦はアニメーターではないし)、その世界の実在感を高める方を選んだんだと思うんだけど、漫画っぽい線描と、モーションキャプチャーを取り入れたぬるぬる動くCGはどこか不釣り合いで、僕は少し空虚に感じてしまった。

だから個人的なピークはあのオープニングで、手書きで一本ずつ書き足されていくキャラクターが徐々に動き出しプリミティブなアニメーションになっていく演出は、自分の頭の中にしかなかった世界が現実に生み出されていくようでゾクゾクした。

逆に試合開始時のカメラワークは昔ながらのアニメ手法では絶対に無理な、CGだからこそできる表現だけど、でもそれをいきなりドーンと見せるのは少しわざとらしくはないか。

僕は宮崎駿原理主義者なので、CGのアニメーションにどうしてもワクワクできないところがある(もののけ姫や千と千尋でも明らかにCGだとわかってしまうシーンは少し冷める。)
宮崎駿初のCGアニメとして制作を開始した毛虫のボロが結局手書きアニメに回帰してしまうのも示唆に富んでいる。
じゃあアニメーターにもっと働けってことかと言われるとごめんなさいだし、ディズニーが早々にコスパを重視してCGに振り切ったのもわかる。
でも宮崎駿の新作は死ぬほど楽しみ。

漫画としての最高傑作であるスラムダンクと、アニメーターとしての人間国宝宮崎駿を本作の引き合いに出すのはやりすぎかもしれないけど、客席やベンチの躍動感とか熱量とか、頭の中ではもっとすごかったんだけどな。

点と点の間の空白、行間を想像力で埋めるのに人間の脳みそは長けていて、そうやって世界を認識しては新しく作り変えてきたんだろうなってことまで考えたりした。

5回は泣いたけどね。

スラムダンク好きだから。

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