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育成ビジネスのジレンマ。夢を諦めさせるのは悪か。

このnoteは教育、育成に携わる人に読んで欲しいです。先生やコーチといった指導者側、学校や企業の運営側、そして生徒、受けている本人たちです。

言葉の定義
教育:教え、導き育てること
育成:育てて立派にすること
指導:ある目的や方向に向かって教え導くこと

私はAscendersという会社を創業して経営してます。その中でAscenders Collegeというスポーツの専門職の育成事業をやっています。育成においては起業してから5年ほど携わってきて、500人以上の人生の選択、或いは岐路に携わってきました。

人生というのは人それぞれで、正解など分からない。だからこそ教育や育成方法に正解はない。ただ、本人が「こうなりたい」と目指してる目標、ゴールに向けて達成する指導ができたらそれは正解なのでしょうか?

1人の人間を育成するのに最適な方法は存在するかもしれません。徹底したパーソナライズが可能で、ひとりの状態変化に対して修正ができるからです。しかし、多数の人間を教育するのに最適な育成方法が存在するのでしょうか?

育成を実行する運営側は、よっぽどのボランティアじゃない限り、報酬をもらい対価として指導をするビジネス形態です。ビジネスとして成立させるには多数の人間を教育するパターンが9割です。ここでのジレンマは私自身の選択(意思決定)を最も複雑にしました。

多数の人間を教育するのに最適な育成方法があるとすればx点の状態人間を目標、y点まで到達させること、例えば、ある数値目標をクリアすることで達成できる事がゴールである場合は正解となる育成方法が存在します。資格や受験などは、もし合格の定員がなければ、絶対評価になり、全員が達成できれる育成が可能です。

スタート地点(x点)も成長速度もゴール地点(y点)も違う場合、どうすればいいのでしょうか?ゴール地点が変わった(z点になった)場合、あなたはどうしますか?

①x点からy点へ到達させることができるか
②最適化されている(効率良く最速で到達できるやり方になってる)か
③目標がy点じゃなくなった時でも役に立つことも指導しているか

私の育成事業のルールであり、私なりの倫理でもあります。

教育とビジネスのジレンマ

お客様を満足させることができればビジネスは成り立ちます。なのでx点からy点にするという考えがいらないこともあります。曖昧な目的を掲げ、曖昧な評価(感覚)で判断することもあります。例えばスポーツなんかでよくある「楽しむこと」を目的として、やってるの中で知識やスキルを身につければいいと考えてるスクールもあります。ここでの成長の定義が曖昧ですが、何かしらの能力スキルがx点からy点へ進んでると言えます。

ビジネス視点で考えると、スクールの目的がなんであれ共通するのは自身の運営する育成環境から離れる瞬間にジレンマが起きます。離れる瞬間は「離脱か満了」になります。途中で辞めるか期限がきて卒業のどちらかです。離れる瞬間、生徒の進路が期待通りの道に進まなかったとき、あなたは喜ぶことができますか?

私たちはAscenders Collegeの中でスポーツトレーナーを3年で育成するコースがあるのですが、生徒のためにx点からy点へ到達させる最も効率的な学習機関として作りました。

500人以上のスポーツトレーナーとそれを目指してる学生と話して出てきた違和感と非合理的なシステムに疑問を持ったからです。「それが当たり前」「それしか知らないから」という情報の非対称性が原因で選択肢がない状態でした。私はスポーツトレーナーを目指したこともなく、その業界のことは全く知らなかったから、それらが当たり前ではありませんでした。

現在の学校のシステムは昭和後半〜平成を考えれば合理的だったのかもしれません。しかし、今の時代、令和に合ってるかと言えば絶対にそうではないと思っています。私たちは現代におけるスポーツトレーナーを目指す上で最初の地点(x点)から現場に出れる状態(y点)までの合理性を求めて最高の環境と仕組みを作っています。中身の部分は常にアップデートして、パーソナライズできる点と統一できる部分を仮説検証しながら作っています。

3年制のスクールで開校してから2年も経たないうちに、想定していた結果が出たことに嬉しさがあった。トレーナーの仕事が決まった、他にやりたいことが見つかりクリエイターの道に進む、進路に悩み休学したなどの理由で離脱していくことでした。

スポーツトレーナーになるためのスクールを運営し始めて、10名以下の人数で卒業(契約満了)を待たずその道に早く進んだり(成長速度)、途中で道を変えたり(y点の変更)、足を止めて休学を選択したり(y点の考察)といった例が出てきました。もちろん継続している生徒も確実に成長し、同年代に圧倒的に差をつけています。

今起きている嬉しい悲鳴をあなたは心から喜べますか?

経営的な視点であれば、契約期間中に辞められることは素直に喜べない瞬間があります。しかし、全ての行動や努力は目的よって正しい、正しくないの判断が客観的にできます。本人が後悔のない決断をしているのであれば嬉しいことですし、その結果は始める前から想定していたことでした。なので目的が変わった場合、別の道に進むために会社でできる限りのサポートをしています。

当然、専門性を強めて全員が継続したら目標達成できる環境を目指しますが、進むべき道が変わってもそこでの経験が活かせるように、どこでも使える考え方やスキルを身につけていくことを徹底しています。

500人以上の○○を目指してる学生がいて、○○に実際に進む人はそもそも少なかったです。意識が高いコミュニティだったとしてもです。○○を目指すための育成事業をするなら、その事実と向き合わなければいけません。断固たる決意がそこにあるかどうか見極めれたとしても10代20代の選択は大きく、簡単に変わります。

10代で狭い世界で生きてきた子供がその時点で決めた夢や目標は情報が溢れた現代において、きっかけひとつで変わるに決まっています。それを3年の縛りを与えたり、外の情報をシャットダウンして辞めさせるリスクを減らしたり、辞める気持ちを止めることをしている学校の仕組みがあるとするのであれば、それ自体が若者の可能性を下げ、ロスを生み出しています。

「◯◯になれる」や「◯◯を輩出」と明言している育成機関でも、入った後「◯◯になるのは無理」と言われるわけです。◯◯になれる確率がそもそも低いのであれば、現実を教えている優しさなのかもしれません。そうなのであれば入る前に言えば良いですし、別の道に進む可能性が高い前提で受け入れているのならお金も時間のコストもなるべくかけずに進むべき方向を決める手助けをしていますか?

特にやりたいことがないからそこ(学校やスクール)にいるとしたら、そこはレールを与える場なのか、新しい道に進むきっかけを与えてくれる場所なのか?運営側もしくは指導者の考え方と行動で変わると思っています。

ポジティブな離脱をあなたは喜べますか?資格という安心材料を与え、決められた別の道に強制的に進めることが生徒にとって最適なのでしょうか?夢を諦めさせることを言った人は悪なのでしょうか?運営側と現場で指導してる人の育成への想いは同じなのでしょうか?否であれば淘汰させる場となると思います。

ビジネスとして成立させる

育成をビジネスとして成立させるには、どうしたらいいのでしょうか?それだけを議論するなら、かなり簡単な話です。黒字を安定的に出すための経営判断をし続ければ良いわけです。

ただ、生徒のための環境や仕組みを自分たち運営側のリスクを上げてまで実行できるのでしょうか?考え抜いてアイデアを絞り出して双方にとって良い決断が理想です。それでも運営側に、ビジネス的にデメリットがあっても生徒のための判断ができるのでしょうか?

3年で360万かかる育成環境があるとします。1回で360万、1年で120万、月10万と支払いパターンが3つある場合。返金が日割でされない前提であれば月払いが生徒にとっては理想ですが経営側からしたら1回払いが理想です。「3年」という期間を設けるのであれば、1回払いが運営にとって理想である最大の理由は回収スピードにあります。設備や人材に投資がしやすく生徒に還元できる点で言えば生徒側のメリットにもなります。

これは全員が続ける前提でしか成り立たず、辞めたとしても人数×360万が売上になります。3年通っても3ヶ月で辞めても支払う金額は変わらないのです。支払う金額が大きければ大きいほど心理的に途中で辞めるハードルが上がるので目標達成にコミットさせるにはいいかもしれません。

学校では年間または半年単位で支払うことが一般的です。合う合わない、途中で目標や、やりたいことが変わった際に辞めるタイミングを与えてくれます。ただ支払って1ヶ月それに気づいて、辞めたとしても返金はされません。運営側の工数や手間を考えれば半年単位での判断は妥当だと思います。

月10万のような月額支払いは回収スピードが遅く、途中で辞めるハードルも下がるので、運営側にとってリスクしかありません。でも生徒側からしたらどうでしょう?若年層であればあるほど、目的も目標も大きく変わる可能性が高いからこそ休学や離脱のハードルを下げ柔軟な対応をすべきだと考えています。

月額分割支払いこそが生徒ファーストかと言えば答えはノーです。先に述べたように先行投資ができて環境整備ができたり途中で辞めるハードルが上がることでやり抜く力がついたり一括支払いのが生徒のためになることもあるからです。

私たちの運営している環境はスポーツトレーナーを目指した人、なった人からヒアリングし、データを収集し、最適な育成プロセスと環境を合理的に考え作っています。運や個人の圧倒的な努力、偏った思想を排除し、前提とゴールを考慮して再現性のある仕組みを作ります。

これはプロセスを経験した人からしたら、自分自身のこれまでの経験から私たちの方がいいと判断できます。しかし、プロセスを経験したことがない人からしたらその判断基準はないのです。

本質的なプロセス、リアルな話されるより「◯◯になれる」や「◯◯合格率95%」の方がいいわけです。結果として、マーケティングや広告の視点からすると数値が正しさを証明しています。ビジネスとして成立させるにはあまりにも当たり前のことをしているわけです。誇張しすぎてたとしてもやっているところが殆どだと思います。自分たちの存在を知ってもらわないと、興味を持ってもらわないと始まらないのです。

育成ビジネスは生徒が集まらなければ成り立たないからこそ、難しさもあります。目的や目標が変わる、その前提で運営が良かれと思ってやっていることが大半だと思います。そこに悪気や嘘があるのなら淘汰されるべきであり、長くはもたないでしょう。でも運営側がそれでいいと思ってしまえばそれは育成ビジネスとして割り切ったということです。

「◯◯になれる」というのであれば、やり抜いたその先に◯◯になれる保証はつけるべきなのか?本人の努力次第なのはどの世界でも言えることだが、生徒のためを思うなら、それをはっきりと伝えてから受け入れていますか?

私たちも◯◯になれるための環境を作ってます。スタート地点からゴール地点(◯◯になる)を絶対に実現できる仕組みはできます。その◯◯に実際になる人、本気で目指してる人がそもそも少ないのも知っています。その上で時代にあった最適な環境をアップデートしてビジネスとして成り立たせるために毎日考えています。

運営側、指導者側、生徒側どの視点を最優先で考えるのか?と聞かれれば、生徒と答える人が多いと思います。そのために考え行動していたとしても、それは運営側や指導者側次第で大きく変わるということです。生徒のため、に正解がないので一生悩み続けると思います。

弊社の創業ストーリー、もし良ければ読んでください。


https://ascenders.co.jp/


自分にしか発信できない、スポーツに関わる全ての方にとって役立つ情報をGiveし続けたいと思います。