失われた〇〇年とは?
おはようございます!
整備工場チャネルの話を書きました。
自動車保険を売るチャネルとして、
一世を風靡したこのチャネルは、
30年前にはすでに衰退しつつあると
指摘されていたと。
そして、30年後の今も
まだそのチャネルを頼りにしていたのです。
*
同じようなことを先日考えました。
そごう・西武の労働組合が、
ヨドバシ連合に百貨店事業を売却するのは
けしからんと記者会見をしました。
新聞の解説欄には
百貨店は業態として衰退しており、
何でもある百貨店ではなく、
力のある「五十貨店」に絞り込まなければ
生き残れないと書いてありました。
30年前、
私はある百貨店に
「五十貨店」構想を提言していました。
都心の一等地に
仏壇は必要か?
布団は必要か?
家電は必要か?
と経営陣に問いましたが、
「仏壇がない百貨店などあるわけない!」
と一喝されました。
そして、今でも百貨店に
こだわっているのです。
*
バブルがはじけてから、
失われた〇〇年と言われます。
何が失われたかと自問すると、
それは新陳代謝だったのではないか
と思うのです。
今あるものを固陋に守るのではなく、
次の新しいものに変わっていくことです。
正確に表現するなら
守るべきものは守り、
変えるべきものは変える、
となるのでしょう。
しかし、そうした正確な表現の下で、
すべき変化もなされなかった
のではないでしょうか。
新しいことは、新鮮で楽しいものです。
変わると考えずに、
新しいものをどんどん取り入れていこう
と考えてみたい。
今日もよろしくお願いします。
安島
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