ググった先の世界
おはようございます!
子供の頃、わからないことがあると
母親に聞きました。
もう少し立つと、
家にあった百科事典を開きました。
学校に入ると先生に聞くようになり、
図書館を使うようにもなりました。
経営コンサルタントになりたての頃は、
国会図書館にも足を運びました。
調べること自体が偉いことでした。
*
それが劇的に変わり、ネット検索が普及し、
お客さんと話している最中にも
ググって調べるようになりました。
便利になったかと言えば、
間違いなく便利になりました。
調べる時間が劇的に効率化されました。
一方で、調べる時間が減ったかというと
そうでもなく、
調べる分量が増えただけです。
昔は、調べる時間に振り回されないように
仮説を立ててから調べようと気を付け、
今は調べた情報に振り回されないように
仮説を立ててから調べようと
気を付けるようになっただけです。
この仮説を立てる、
考える時間が大切なことは
今も昔も変わりません。
*
では、
考えるとはどう考えることなのか?
となります。
月並みですが、
論語とそろばん
に私は今、行きついています。
そして、どうも咀嚼できないことがあります。
Steve Jobs氏やElon Musk氏に
論語を求める人はいません。
そろばんである
ビジネスモデルの素晴らしさをたたえます。
周りとの軋轢をいとわない非論語性が
そのビジネスモデルを実現したと
たたえることさえあります。
松下幸之助氏や稲盛和夫氏には、
まず論語性を求め、
そろばんの話は後景化します。
ビジネスモデルも素晴らしいので
多くの人が食べていけるのですが、
それが前面に出ることはありません。
この彼我の違いは何なのか?
まだ釈然とせず、
論語に偏る日本の論調に違和感を覚え、
そろばんに偏る欧米の論調にも違和感を
覚えます。
そして、
「お前はいったい何者か?」
と自分に問いかけることになります。
今日もよろしくお願いします。
安島
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?