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ググった先の世界

おはようございます!
 
子供の頃、わからないことがあると
母親に聞きました。
 
もう少し立つと、
家にあった百科事典を開きました。
 
学校に入ると先生に聞くようになり、
図書館を使うようにもなりました。
 
経営コンサルタントになりたての頃は、
国会図書館にも足を運びました。
 
調べること自体が偉いことでした。
 

 
それが劇的に変わり、ネット検索が普及し、
お客さんと話している最中にも
ググって調べるようになりました。
 
便利になったかと言えば、
間違いなく便利になりました。
 
調べる時間が劇的に効率化されました。
 
一方で、調べる時間が減ったかというと
そうでもなく、
調べる分量が増えただけです。
 
昔は、調べる時間に振り回されないように
仮説を立ててから調べようと気を付け、
今は調べた情報に振り回されないように
仮説を立ててから調べようと
気を付けるようになっただけです。
 
この仮説を立てる、
考える時間が大切なことは
今も昔も変わりません。
 

 
では、
考えるとはどう考えることなのか?
となります。
 
月並みですが、
論語とそろばん
に私は今、行きついています。
 
そして、どうも咀嚼できないことがあります。
 
Steve Jobs氏やElon Musk氏に
論語を求める人はいません。
そろばんである
ビジネスモデルの素晴らしさをたたえます。
周りとの軋轢をいとわない非論語性が
そのビジネスモデルを実現したと
たたえることさえあります。
 
松下幸之助氏や稲盛和夫氏には、
まず論語性を求め、
そろばんの話は後景化します。
 
ビジネスモデルも素晴らしいので
多くの人が食べていけるのですが、
それが前面に出ることはありません。
 
この彼我の違いは何なのか?
まだ釈然とせず、
論語に偏る日本の論調に違和感を覚え、
そろばんに偏る欧米の論調にも違和感を
覚えます。
 
そして、
「お前はいったい何者か?」
と自分に問いかけることになります。
 
今日もよろしくお願いします。
 
安島

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