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物と心のバランス(続)

おはようございます。

先日、物と心の融合を図りたいと書きました。

戦中派の人が、
戦前から戦後にかけて
価値観がひっくり返った経験を経て、
イデオロギーには背を向け、
変わらないものとして、
物作りに励みました。

一方で、その過程で日本人は、
エコノミックアニマルと揶揄され、
プラグマティズムだけではなく、
よりどころとなる精神的な価値観を持とう
という時代もありました。

いまは何でもありの新自由主義を経て、
もう少し心よりのものが欲しい。
できれば物か心かという対立ではなく、
両方を兼ね備えたものを生み出したい
と書きました。

前置きが長くなりましたが、
では物と心を兼ね備えるとはどういうことか
と考えます。

ひとつは、ミクロな話ですが、
江戸時代、街には職人さんが
店を構えていました。
職人さんは、
かんざし一本に魂を込めてつくりました。
そういう道具一つに思いを込めた職人さんが、
それぞれに店を構え、
多様性豊かな街をつくっていました。
そのようなイメージが一つです。

もう一つは、マクロな話ですが、
日本人は自然界のもの、雲や、空や、石など
あらゆるものに神様をあててきました。
そして神様は、喜怒哀楽があり、
善と悪が同居して人間臭い神様です。
いわゆる多神教というものです。

人間は自然界の一部であり
一体であるという感覚です。

話は変わりますが、
除菌をうたった商品が売れています。
私も毎日使います。

けれども、口の中を顕微鏡で覗けば、
細菌だらけです。

また、
唾が自分の口の中にあれば違和感ないが、
吐き出された唾には嫌悪感をもちます。

この倒錯をどう考えるのか?

環境と人間はそもそも一体のはずなのに、
何時からか人間はそれを分けて考えるように
なったのでしょう。

物と心は融合させるものではなく、
もともと一体だということです。

出発点はありのままを受け入れることでしょう。

今日もよろしくお願いします。

安島

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