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「note」って名前のタイムカプセル。

私は何か気になることがあるとすぐにインターネットで検索する。

その過程でいつだったか、「はあちゅう」という存在を知った。

歳を重ねるごとに流行語に疎くなっていく私は、「インフルエンサー」という単語があることは知っていたが、どのような人のことを言うのかまではピンときていなかった。まぁインフルエンザのように感染力の強い人だろう。私の予想はだいたい当たっていたように思う。

そんな私がいつの間にかインフルエンサーのはあちゅうさんに夢中になり、毎日のように、朝起きて、お昼休憩中、仕事帰りの電車の中、夜ソファに横になって、隙を見つけては、Instagram、Twitter、ブログをチェックしている。まるで友達のことのように、「今日、はあちゅうがね!しみけんがね!」と、旦那に会ったこともない人物のことを語る。

もう、はあちゅうさんのことは何から何まで知っているつもりだ。(つもり)

そんな、はあちゅうさんの小説「仮想人生」。

読み進めていく中で、「あれ?これ、前にはあちゅうさんが言っていたの聞いたことあるなぁ。」と思うことが何度もあった。
物語の中の登場人物はみんなどこかに作者が住み着いている。分身のようなものなのかも。そう考えるとなんだか面白い。

一冊の本の中に今までの経験と感情、思考が詰め込まれているのか。そうすると、歳を重ねれば重ねるほどに面白い物語を作れるのかな?

つい数ヶ月前にそんなことを考えていたけど、すっかり忘れてしまっていた。今日、だいふくさんの記事を読んで、その記憶が呼び起こされて、改めて思考を巡らせることができた。

沢山の経験を積んだからこそ違うものが見えてくる。同じ作品であっても、つい何度も見てしまうのは見るごとに視点が変わるからだ。見るごとに視点が変わるから新しい見方ができるようになる。


成長すれば新たな感情が生まれてくるというのは私も大人になるにつれて感じてきた。子供の頃に感じられなかったことが大人になって分かるようになった。昔はよく理解できなかった作品を最近読むと、共感できることもあったりして嬉しく思う。

では、その逆はどうなんだろう?

幼い頃、どうしてこの人たちも昔は子どもだったはずなのに、そんなことは無かったかのように大人の都合を押し付けてくるんだろうと理不尽な思いをしたことがあった。きっと私だけじゃないと思う。

大人になると子ども時代の記憶がなくなってしまうのか?確かに昔の考えを修正して、より良い考えに書き換えて、上書きして保存することは多々ある。

10代のときの恋心とか。「ふっばかばかしい。子どもだったなぁ。」なんて思うけれど、あの時は確かに必死に悩んでいた筈だった。苦しんでいたあの感情はニセモノではない。
社会人になったばかりの頃や、なにも周りに怖いものなんて無かった幼い日の記憶とか。

こんな風に思いを書き換えていったら、いつか、パソコンのごみ箱の中身のように消えてなくなってしまうの?なんとかして復元することはできないの?子どもの心が分かる大人になりたいと思っていたあの頃の気持ちはもう戻ってこないの?


私なんて、つい数か月前に考えていたことすら、綺麗さっぱり忘れてしまっているのに、世代を問わずに共感できる作品を作っている人もいる。子どもの時に見て感動して、大人になってまた感動してっていう話を作っている人もいる。この人たちはいったいどんな魔法を使っているの?

私が大好きな作品「ニューシネマパラダイス」。少年トトと、その父親のような存在であるアルフレードのお話。今はトトの視点で観ているけど、もっと歳をとった日には、トトを見守ってきたアルフレードの気持ちが分かるようになるのかと、将来、改めて観るのを凄く楽しみにしている。

でも、もしかすると、その日が来たときには、今の気持ちは失われているのかも。そうなってしまった日のために、思い出せるように記録しておきたい。だいふくさんの記事を読んで、記憶が呼び起こされたように、昔のnoteを読めば思い出せる想いもあるかもしれない。

何回も止めよう続けよう止めよう続けようとエンドレスに考える気持ちが、続けようの方に傾いた。

私は今このときの感情をそのまま、ばあちゃんになるまで持っていきたい。

noteさん、よろしくで~す♪


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noteを止めるな!


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