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明日、戦争が始まったら。

 そういう副題のついた小説がある。
『Tomorrow 明日、戦争が始まったら』というシリーズもののヤングアダルト小説だ。

 ストーリーは、至ってシンプル。
 オーストラリアに某国が攻めてきた。高校生の男女は、某国の兵隊から逃げながらも、次第に、ゲリラ戦を展開していくようになっていく。

 この本を読んだのは、もう10年以上前にもなる。中学生の時だった。
 僕はその時は非常に病んでおり、はっきりと言って、危ない状態であった。
 そんな時に、まさかの学校の図書室で見つけたのが、この小説である。
 この小説の思い出しレビュー形式をすることに、何かの理由があるわけではない。突然、書きたくなったからである。

 この小説を読んで感じたのは、戦争というものの恐ろしさより、人間の心理状態を克明に描いていることの凄さだ。
 確か主人公の女子高生の視点で描かれていく。そういうストーリーだったと思う。 

 そんな彼女の口からは、戦争は悲惨だとか、やってはいけないとか、日本の戦争映画で語られるような、道徳的メッセージではない。

 人を殺した。仕方ない。どうしたらいいだろうか?
でも、殺さないと生きていけない。

 そういう心理描写が、個人的には衝撃だった。
もっと具体的に描かれていたと思う。
 人間は、本当に戦争の渦中にいると、普通の心理状態からだんだんと麻痺していくんだと。
 その描写が怖いからこそ、逆に戦争が個人にもたらす被害というか、傷を追体験できるような小説だった。

 これは映画では、なかなか味わえない感傷だ。強いていうならば、映画だと、地獄の黙示録が、一番近いかもしれない。
 なぜなら、やっぱり欠損した人間の遺体が写ったり、血が飛び出してしまうと、戦争って、良くないよなぁと、脳が判断してしまうからだ。

 これを読んだ時、病んでいた中学生である当時の自分にとって、なんだかトリップしたような気分になってしまった。  

 そして、今この小説を振り返ると思うのが、きっとイスラエルパレスチナ内紛も、ウクライナ侵攻戦争も、きっと、この小説で描かれているような出来事だって起きていると思うのだ。
 だけど、僕はそれに対して何もできない。今、それを書いていて、気づいた。

 戦争や群衆が織りなす心理、それらを僕らは学んでいくことしかできない。
 そして、もし、自分が戦争やそれに近い境遇に入ったとき、僕は学んだことが、果たして理性を保てる自身がないのも事実である。

結論がないまま、この記事を終わることにします。

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