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読書録:幸福な監視国家・中国 (梶谷懐 高口康太)何よりも大事な「議論のベース」

献本いただきました、ありがとうございます。

ちゃんとしたインテリが書いた、多くの人が興味あるテーマにしっかりと取り組んだ良い本なので、多くの人に読まれることを望む。

実は少ない、きちんとした中国の情報

僕が日本語の中国情報(もっというと海外の情報)をほとんど読まなくなり、読んでもコメントを出さなくなってだいぶ経つ。この本の著者である高口康太・梶谷懐はその理由を端的に説明してくれている。

世の中には、一旦立場が分かれてしまうと、双方がその立場に固執して建設的な対話が成り立たない話題がいくつかあります。(梶谷懐 本書の後書きから)
日本人は海外のニュースについて本当の意味では興味がなく.(高口康太 僕は昔ブログで読んだのだけど、今ググったら見つからなかった、、)

日本に住んでる人にとって、海外に関する話題は基本的には他人事で、エンターテインメント(ひまつぶし)として消費されるものだ。だから、プロレスラーを語るスポーツ新聞のような色合いを持ち、実態は別として、「彼はアマゾンの奥地で発見された」「毎日歯にヤスリをかけて尖らせている」的な奇天烈なエピソードが珍重される。
比較的情報が多いアメリカに比べてシンガポールのように情報が少ない国になると情報の歪みは大きくなり、言葉の壁がある中国になるとさらに大きくなる。しかも隣国であり大国である中国の情報はニーズがあるので、記事の量は増える。娯楽として量が増えた記事はますます情報に尾ひれをつけるようになる。エンターテイメント性としての尾ひれ、書き手がバズをもらったもの、何らかの正義感に基づいたものなど、いずれにせよ情報についた尾ひれは拡散される。

Google検索やGoogle Map, Gmail等のサービスを使ったことがないか、せいぜい2-3日しか使ったことがない人間や、Facebookアカウントを持っていないか友達が2-3人しかいないような「知識人」同士が、「俺の考えたGoogleやFacebookの野望」について討論している様子を見たらアホらしくならないだろうか。
中国の情報サービスについてだと、その程度の話がほとんどになる。しかも、全員が自分の立場を持ち、つまらないマウンティングを繰り返している。そして、書いている方も読んでいる方も「ほんとうにそうなのだろうか?きちんと調べなければマズイ」と思っていないように見え、僕はしばらく、ニコ技深圳コミュティのメールマガジンやfacebook等で見れる情報以外はシャットアウトするようになった。見たらなにか突っ込みたくなるし、そのうち大切なものが見えなくなる。
立場はいろいろあって良いし、自分と意見の違う人と意見交換するのは勉強になるので歓迎しているが、不正確な情報と付き合うのはエネルギーのロスになる。結局、「この人はこの点について継続的に調べているなあ」ともともと知ってる人の情報をまとめて読んでいることが多い。
それでも月に10本以上の情報はあり、他に読むべき書籍も多い。消費されるネタとマウンティング争いに参加するより、そちらの方が大事だ。

信頼できる現状分析

本書の価値を増しているのは、そうした絶望的な状況の中で具体的な情報と関連書籍、経緯についてあたり、おそらく著者たちにとって非専門である西洋市民社会の成り立ちやAIについても筋道立てて考えて調査することで、「社会の統治はどうあるべきか」という多様で複雑な問題に対し、しっかりした議論を行っていることだ。中国社会が10年単位で見れば、生活も理不尽さもマシになってきているのは事実だ。中国の生活をマシにした何割かはテクノロジーと、それを活用した起業家のおかげだ。また、中国は一般のイメージと違い「お上への申し立て」がそれなりに多い国で、上層部も国民に向けての人気取りをよくやる国でもある。本書の1-4章は、そうしたテクノロジー・起業家・市民の申し立て・お上の人気取りが中国をどうマシにしてきたかについて系統立てたレポートになっていて、ここが一つのハイライトになっている。この部分があるから、テクノロジー+政府の暴走としての「第7章・道徳的合理性が暴走するとき」でレポートされるウイグルのディストピアぶりが説得力を持つ。

未来への模索

おそらく著者たちにとってもう一つの本書のテーマである、「では、どういう社会が望ましいのか」を考えている第5章・6章は自分には共通の知識が薄くてかなり難しく、読むスピードが一気に落ちた。前提となっている抽象的な考えがキッチリ理解できたかどうかは今も怪しい。
その上で感じたコメントを言うと、
・功利主義と、中国の天理や西洋の市民社会といった形而上的な問題を分けて考えるのは難しいのではないか
・インターネットによって社会の多様化と複雑化が進む中で、均質な法治が難しい分野がどんどん増えているのではないか。
正当防衛や危機回避時のスピード超過のような事例だけでなく、新しいテクノロジーやビジネスが世の中にでてくる速度が速まるにつれて、「法律が後からついてくる」サンドボックス的な対応がますます重要になってくるが、それと無法は違う。どう対応していくのか。(本書でもレギュラトリー・サンドボックスについて記載があるが、僕はこの問題をたくさん書いて欲しかったのだけど、本書では1ページしかないのでさびしい)
・裁判官や陪審員はそうした法治と実際のバランスをとるための制度(だから動機や更生の見込みなどが裁判で話される)だと思うが、社会が多様化するにつれて人間が把握できる限界を超えているように見え、テクノロジー事件に関する判決や警察の法解釈はトンデモなものが多い。アーキテクチャやAIで多少マシにしていくことができるのではないか。SNS内やネットワークゲーム内での統治の仕組みに何かヒントがないか(特に中国国内の事例はすごく情報が少ないので、調査のしがいがありそう)
・オープンソースソフトウェアの開発における問題解決、「やさしい終身の独裁者」みたいな中に何かヒントがないか
などがコメントとして浮かんできた。いずれも、本書をきっかけにより深く考えてみるべきテーマがでてきたものだ。こういうのが本を読む喜びでもある。

本書が指し示すインテリの役割
いわゆる「誰でもできる仕事」をどんどん機械が代替していくにつれ、社会におけるイノベーターの割合は増える。昔100万人に1人だった起業家が1万人に1人になると、そのぶん多くの「法治が追いついていないビジネス」が生まれるだろう。また、「進歩」に見られるように社会全体が進化するにつれて様々な人権が生まれる(進歩にあるとおり、女性や黒人の選挙権はさほど古いものではない。また、僕はLGBTの権利みたいなものが話題になるようになったのも、社会全体の進化のおかげだと思っている)。社会統治の仕組みもそれに合わせて進化(または変化)する必要があるはずだ。

僕は、今の日本をよくするきっかけの一つが、インテリが勇気を持ってその問題は僕はよくわからない、もっと調べましょう。と語り、実際に調べるための行動や情報をシェアし学ぶためのコミュニティを作っていくことだと思っている。そもそもが共著であり、自分の持っている情報や知性にたいしてインテリらしく臆病である本書の議論は、それ故に歯切れ良くないが、現実社会を語る話はこうであってほしい。

もう一度書く。ちゃんとしたインテリが書いた、多くの人が興味あるテーマにしっかりと取り組んだ良い本なので、多くの人に読まれることを望む。

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