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なぜベトナムの国旗は「ひとつ星」の図柄になったか

ベトナムで建築家として働きだして早11年。知れば知るほど興味深いベトナム文化の中で、一つ星のデザインの国旗はそのシンプルさゆえに気になるもののひとつでした。どうしてこんなデザインになったか?ベトナム在住者の感じた風景から考えました。(もしよければこちらのnote自己紹介からデザインを手掛けた建物も御覧いただければうれしいです。)

ベトナムの国旗の図柄について考えたきっかけ

ハノイに寄ってくださった建築家・吉田晃さんからの差し入れで、PHP文庫『日本史の謎は「地形」で解ける』3部作を読了。

著者は、竹村公太郎さん。建設省でダム・河川のエンジニアとして長年活躍された方です。

仕事で鍛えたするどい観察眼で地形をさぐり、その情報から謎解きのように歴史の断片を痛快に読みといていきます。スリリングな推理小説のような展開が非常に面白く、余暇に一気に読み進めることができました。

「なぜ信長は比叡山延暦寺を焼き討ちしたか?」「「小型化」が日本人の得意技になったのはなぜか」など、歴史的な定説や環境がつくる文化の背景について新しい視点を得ることができました。

この「なぜ?」からはじまる問いに地形というインフラストラクチャーから示されたデータや情報をもとに考察していく竹村さん。そこから学んだことは、ぼくたちが知識として覚えている歴史上の出来事が、実は確定されているものではなく、データを読み解くことによってあたらしい視点や理由が発見できる可能性があるということでした。

この視点は僕たち建築・土木に携わる人間だけでなく、施政やまちづくりといった長期的な視野で物事を考えている方々にも役に立つと思います。

日本の国旗の起源を考えることがベトナムの国旗の起源について考えることにつながった

そのシリーズ二冊目、【文明・文化篇】と名づけられた中に「なぜ日本の国旗は「太陽」の図柄になったか」という一節がありました。

日本の国旗、「日の丸」どうして太陽をかたどったものになったかという素朴な疑問を各国の国旗の比較を通して考察し明らかにしています。こちらの結論は本で読んでいただくとして、ベトナムに住んでいる僕としては、日本国旗と似たようなシンプルな柄のベトナム国旗に興味が展開しました。

ベトナムの国旗といえば赤地の旗のまんなかに黄色い大きい星がひとつ。ベトナムでは、かつての日本がそうであったように、祝日や記念日には赤い国旗がかかげられ街をいろどります。

竹村さんの考察の方法を参考に、ベトナム国旗がなぜ赤地に「ひとつ星」になったのかを考えてみたところ、いろいろなピースがパチリとはまり、僕が考えるベトナムの人たちの原風景にたどりついたので、ここに記します。

太陽の図柄の国旗と星・月の図柄の国旗の地理的関係

竹村さんによれば、日本のように太陽を国旗の図柄に使用している国緯度の高い温帯あたりに多く、国旗としてはずいぶんと少数派だそうです。一方で夜の空のシンボル、月や星を国旗のモチーフにしている国赤道直下から緯度南北30度くらいまでの熱帯・亜熱帯に多くなるそうです。

その理由として、温帯の国では太陽の恩恵を得て日中が活動の時間帯になること。一方で、熱帯の国では太陽の暑さは相当にきびしく主だった活動時間帯が夜になることが原因だろうと経験から推察されています。熱帯では太陽は避けたい対象で、月、星が出ている時間が喜びの活動時間になる、というのです。

日本と同様に南北に非常に長い国として知られるここベトナムですが北緯8度~24度に位置し、南側は熱帯、北側は亜熱帯に分布します。(下のケッペンの気候区分図での青系が熱帯、緑系が亜熱帯に分類されます。)

僕の住む首都ハノイは北緯21度の亜熱帯エリアにあり、春夏秋冬の四季があり、冬の気温は最低7度くらいまでになります。ただ四季とはいえ夏の期間は長く、4月後半から10月にかけて夏日が続きます。6月、7月には40度になる日もあり、湿度の高さとあわせてエアコン無しでは昼間の生活は困難なくらいです。

猛暑の昼間に幼児をつれて出歩くと、ベトナム人のおばさんたちから大そうな剣幕で注意をうけます。暑すぎて体の小さな子どもは日射病、熱射病になりやすいからでしょう。一方、朝は夜明けからにぎやかで、夜も10時過ぎまで路地で遊ぶ子供たちの声がアパートの部屋まで届いてきます。

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ケッペンの気候区分から抜粋

ベトナムの国旗デザインの一般的説明

ベトナムの国旗は「金星紅旗(きんせいこうき)」とよばれます。ベトナム語では「Cờ đỏ sao vàng(金色の星のある赤い旗)」、英語はその直訳で「Red flag with a gold star」です。この国旗はベトナムがまだ国としてフランスから独立する以前、1941年の太平洋戦争中にベトナムを占領していた日本軍への反抗活動の旗印としてホーチミンさんが結成したベトナム独立同盟会(ベトミン)が使ったところに起源があるそうです。

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ベトナムの国旗(金星紅旗)


このデザインについては一般的な説明ではこうです。

地の赤色は「革命で流された血の色」、星の黄色は「肌の色」もしくは「革命の色」、星の五つの頂点がそれぞれ「労働者」「農民」「知識人」「青年」「兵士」を意味しています。(参照:wikipediaベトナムの国旗)

この説明は、非常に頭でっかちで後付け的だと思いませんか。僕もこの腑に落ちない説明をうけて、中国などにみられる一般的な共産国家の赤色に星の図柄を採用したのに適当な理由をつけたのかな、という風に思っていました。しかし、竹村氏の本を読みながら、国旗は地形がつくりだす人々の原風景につながっているという視点をもって、再度ベトナム国旗について考えてみると違うアイデアが浮かんできました。

湿ったベトナムの空に浮かぶ明るい一番星、明星

ベトナムは湿気が高い国です。特にハノイの朝は1キロ先がかすむほど湿度が高い。ロッテホテルハノイは高層のタワーですが、下から見上げると頂上まで見えない日もあります。タワーに登り、地上56階のダイニングから見下ろすと、街の朝の風景は何も見えないくらいかすんでいて、雲の中でかすみを食べるとはこういうことかと思えるほど幻想的な風景だったのをよく覚えています。

最近では、空がかすんでいるのは湿度のせいだけでなく都市の空気が汚染されているからという、現代の環境問題でもあります。しかし、夜に照明がほとんどなく、空気もまだきれいなよほどの田舎にいっても夜空に見える星は本当に数えるほど。日本ほど多くありません。ましてや夜でもかなり明るくなった近頃のハノイ市内では、子どもたちに星座について教えたくても、一等星さえどこにあるかわからない。そのなかで、夕方、明け方に見える一番星だけは明るく瞬いているのは見つけやすく子どもたちの楽しみのひとつです。

子供でも見つけられるほどのこの空に明るく輝く一番星「明星」。実はベトナムの国旗にみられるひとつというのは、この「明星」なのではないでしょうか。人の活動しやすい時間帯にみえる、夕焼け、朝焼けのオレンジ色の空に浮かぶ「明星」。それがベトナムの人たちにとって喜びの象徴であり、人々の活動の時間を祝うものだったのではないだろうか、と。

「明けの明星」はベトナムではSao Mai(サオマイ)と呼ばれています。(英語ではThe morning star)。ベトナムの街を歩けば、タクシーや売店など多くの会社がSao Maiを社名として使っているのに気づくと思います。一方、宵の明星はsao hôm(サオホム)と呼ばれますが、あまり使われないようです。何人かのベトナム人に聞いてみましたが「なんていうんだったけかな?」と出てくるのに時間がかかる言葉です。

デザインする立場から考えたこと

僕は建築家として働いていますから、普段からデザインについて考えています。その中で直感的に出てきたアイデアでも、人に説明しなくてはならないことがあります。同じように国旗をデザインした人にとっても、まず原風景をもとに直感からくる図柄のアイデアがあって、その補足として説明などを後からつけたので、前述のようにデザインの説明が非常に堅苦しいものになった、と考えることができないでしょうか。国家の旗だから、もっともな理由が必要とされるのかもしれません。でも、そのデザインのとっかかりは、「朝焼けの東の空にうかぶ明けの明星」もしくは「夕焼けの西の空にまたたく宵の明星」に見る、貴重な活動時間からくる喜びが隠れているのではないかと思うようになりました。

「夕焼けは羊飼いの喜び、朝焼けは羊飼いの悲しみ」というマザーグースの歌があります。湿度の高いときほど、朝焼け、夕焼けはより赤く美しく見えるそうで夕焼けの次の日は晴れるというのが高緯度地域ではよく見られることから偏西風のふくあたりでそう歌われたそうです。ベトナムの風事情は違うと思うので、天気についてはこの歌の知識をそのままあてはめることはできません。しかし、年中を通して湿度が高いベトナムでは、この歌のように時にびっくりするほど赤く美しい夕焼けに出合うことがあります。

朝の早いベトナム人。明け方、明るくなりはじめてから太陽が出だすまでの時間は貴重な活動時間だったと思います、また、一日の終わりの夕焼けも日没後の涼しい時間に向けての活動の時間を彩る風景だったのではないでしょうか?

船上から見る空

豊穣なデルタをはぐくむ大河をもち、南北に長く伸びた国土の東側を南シナ海に臨むベトナム。ホイアンの栄えた江戸時代から日本とも交易が盛んだったことから船での移動は一般的だったと思います。ジャングルにさえぎられず、この明星のある空を見渡せる場所を与えてくれるのは船上ではなかったのか?そう思い、1930年代のフランス占領下のベトナムをテーマにした名作映画「インドシナ」を見直してみました。

すると冒頭のシーンから霧の中を走る船。夜明けの葬儀の場面です。つづくシーンである検問では船の交通を取り締まっています。フランス統治時代、船は主要な交通手段であることがわかります。ベトナムの独立革命のために人生をかけたホーチミンさんを中心とした人たちもベトナム国内を移動するために船上での時間を多く過ごしたはずです。国民も、また、革命を指導した人たちも持っていた共通の風景。それが赤い空に浮かぶ明星。そう思います。

ひきつづき映画をみていくと、ゴムのプランテーションの林の中での作業場面では、作業者が額に明かりをともして森にわけいっていくシーンになります。夜明けの暗い時間帯から労働作業がおこなわれていた。暑くなる昼間を避けて、早朝、暗いうちから朝の時間帯、そして夕方から暗くなるまでの時間は貴重な労働時間でもあったんですね。

ダナンでのサイゴン開放40周年のパレードを見ながら赤と青の旗をみつける

僕がベトナムに来たのは2010 年。まずはホーチミン市に入りましたが、その4月30日、戦後35周年を迎える戦勝記念日の壮大な祝賀パレードがありました。そして5年後の2015年、ハノイでテレビをつけると40周年祝賀パレードの地は中部のダナン市でした。朝8時からはじまったにぎやかなパレード行進を見ていると、国旗を振る人たちの中に上下二色に分かれたベトナム国旗を振る人たちが見えました。この旗は、上部が赤、下部は青、その真ん中に黄色の星を備えています。その旗のデザインに軽い衝撃をうけすぐ調べてみるとその旗は、当時、ベトコンと呼ばれたベトナム南部解放戦線の旗でした。デザインの配色としては決して良くないその旗をみながら、当時の執行部の人々の心境が浮かび上がってきました。やはり、星は明けの明星だったのではないかと。そして、船上からの風景だったのではないかと。


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ベトナム南部解放戦線の旗


赤は共産国家のテーマカラーで、青はアメリカのテーマカラーですから、いろいろな説明できるでしょう。しかし、僕の目には海と朝焼けの赤い空に浮かぶ明星を見つめながらベトナム統一を誓う人びとの姿が見えました。

金星と明星

ここまで書いた稿を読み返していてもうひとつ気づいたことがあります。明星は金星、この旗の名前は「金星紅旗」です。ベトナム語ではこの旗の星は「sao vàng(サオヴァン)」すなわち「黄金の星」という意味となっていますが、過去に漢字を使っていたベトナム。中国との交流が多かったベトナムの独立活動家たちや中国での滞在が長かったホーチミン主席をはじめとした知識人にとってこの「金星」は中国語での「明星」としての「金星」と同義であったのではないでしょうか。では、どうして黄金の星としたのでしょう。国家の旗としてより象徴性をあげたかったから、なのかもしれません。


この仮説を思いつき、この稿を書きながら、ベトナムのひとつ星の国旗に非常に親しみがわいてきた、そんな気がします。そういえば息子、娘がハノイで通っていた幼稚園も「モーニングスター・キンダーガーデン」といいます。フィンランド人のだんなさんとベトナム人の奥さんが自分たちの子供たちのために始めた幼稚園です。今度、園長先生にも幼稚園の命名の由来を聞いてみたいと思います。

ベトナムの原風景にかかわることのできる歩道橋プロジェクト

2020年3月、わたしたち、Takashi Niwa Architects は長大ベトナムと共同でホーチミン市の中心部をながれるサイゴン川の歩道橋の設計プロポーザル競技で優勝しました。ホーチミン市中心部ドンコイ通りの突き当り、マジェスティックホテルの向かい側の川辺から、対岸のトゥーティエムエリアにかかる歩道橋のプロジェクトです。

ホーチミン市とデザインの最終調整中ですが、ひとびとの原風景である川からの眺めを彩ることができる貴重なプロジェクトになります。ベトナムの金星紅旗に表現された原風景がより魅力的になるプロジェクトにしていきたいと思います。

(2015年にブログに書いたものをリライトしました。)

参考

1)『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』竹村 公太郎著, PHP文庫, 2014年「第14章:なぜ日本の国旗は「太陽」の図柄になったか」p.259-284


2) 僕がベトナムに投資する理由:ベトナムの国旗はどうして赤いのか?


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